コネの世界②

 所長は元々、役所の事務職員であった。定年退職後、再任用として雇用されている別のスタッフも同じである。
 友人・知人の多い彼女は言った。
「所長は役所で使い物にならんから、行かすところが無くてあそこに移動させられた。再任用の××さんにしても同じや」
 有名な話であった。どちらも仕事が出来ないのは一目瞭然である。目下である非正規職員にさえそう思われていて、疑問視されない時点で大きな問題ではないか。彼女は続けた。
「△△は、自分は仕事が出来ると思ってる。しかも選ばれてそこに居ると思ってる」
 まるで怪談のような話だ。思い込みって怖い。それにそう思い込めるだけの自信が、本人の何処から生まれているのか、凡人の私には計り知れなかった。
 しかし、そんな彼女が思い込みだけで高給を取り、仕事もせずにのうのうと事務所にのさばっているという事実こそ、本当に恐ろしいことに他ならない。公務員である彼女が得ている給料は、他の誰でもない、間違いなく市民の税源から出されているのだ。
「うちの市の職員は、皆コネって言う噂や。保育所なんか、殆んどがそう。繋がり過ぎてて世間が狭いったらない。所長も△△も地元の人やし、絶対そうやと思うわ。それでもあぁしていられるのは、バックに強いのが付いてるせいやろ。△△は旦那も役所の人間やからな…。大分偉い人なんちゃうか?」
 そう嘯く彼女の言葉に頷く。否定できない要因が多過ぎるばかりか、そもそも彼女自身が隣接する市を地元としており、学生生活を終える頃、知人によって市の職員として口を利いてやるという申し出を受けて断ったというのだから、信憑性を否定するのも野暮だと思えた。
「なんで断ったん!受けたら公務員。就活に苦労することなんかなかったのに…」
 不正であっても、上手い話に乗らない心意気というものを、是非知りたかった。
「そんなん、学校出たところで何にも出来へんのに、口利きで入って何の役にも立たへんなんて、そんな怖いことないやん!」
 世の中には奇特な人がいたものだ。
 △△なんて、保育所に勤め出した当初、一緒に組んだベテランと奇跡の再会を果たして涙を流してしたが、そのベテランは、教え甲斐なく仕事もしない彼女を嫌悪していて、陰では人に聞かせられないような口を叩いていたというから恐ろしい。本音と建前は上手に使い分けるものだとは思うが、真実を知らずにいるということが幸せかどうかは、本当にわからない。△△にとっては、【知らぬが仏】ということなのであろう。
 公正であるはずの行政という社会に、コネの噂が立つのは、そう珍しいことではない。小さな町なら尚更だが、政令指定都市などのように大きな力を持ってしても、謎の多い人事というのは存在する。【蛙の子は蛙】ということなのか、公務員の子どもが公務員試験に一発合格する…という事実は、そこかしこに存在する。
 私も過去に受験経験があるが、公務員試験というものは決して簡単なものではない。一般教養試験が、決して一般教養でなかったりもする。世の中には偏差値の非常に高い人達がいて、アホを自称する私にとって難しいだけなのかも知れないが、落ちたら落ちたなりに成績なんぞを取り寄せてみたりすると、合格圏から外れていても、上位から数えた方が早い成績だったりすると、それがいかに難解なものであるか想像がつく。アホの私より下が、三分の二以上もいたりすると、私も強ちアホではないのかも知れないし、大人になってから多少なりとも〝勉強〟というものを真剣にやってみて、少なからず結果になっていることを気付くきっかけにもなる。
 しかし、受験者の99%が落ちるような試験を経て雇用された新任が、中学校で習うような漢字すら書けなかったりする。また、1パーセントの合格者の両親が、同市の職員として現職で働いていたりすると、疑いの目を向けたくなるのは私に限ったことではないのではないか。
 それでも百歩譲って〝コネ〟の疑いがある入職者を受け入れるとしよう。そこでバリバリ仕事を頑張っていたりすると、その背景に目を向けることは少なくなる。個を認め、「流石、難しい試験を突破しただけある!」と周りを唸らせるだけの力を持った人もゼロではないはずだ。
 しかし、そういうタイプの人は、そもそも〝コネ〟の疑いすら微塵も感じさせないで入職していたりする。結局、周りから疑いの眼差しを向けられるのは、周りに何らかの悪影響を齎している人間だからであるせいなのに、当の本人達は、少々のことでは職を解かれない〝公務員〟という肩書に甘んじるのである。
 コネ疑惑が生じるのは、何も行政に限った話ではない。入り口の門が狭ければ狭いだけ、世間の目は厳しくなる。コネであろうとなかろうと、そういう世界に身を置こうとするなら、それ相応の覚悟が必要だということなのに、そもそもその覚悟が足りないか、自覚を無視して生きて行けるような人ばかりが多く存在し、その立場に胡坐をかいてのうのうとしているか、悪用しているかのいずれかが悪目立ちするのである。
 以前、宝塚歌劇の100周年イベントで、朝丘雪路さんが爆弾発言をした。
「父と小林一三先生(宝塚歌劇の創始者)がお友達でしたので、裏口入学しましたのよ。オホホホホ…」
というような主旨の話を数千人の公共の場で悪びれることなく披露して、司会の真矢みきさんを焦らせたのだ。
 その様子をカットすることなく、DVDの映像に残して販売した宝塚グループの肝の太さにも恐れ入る。
 公正を謳う場所や、競争率の高い世界で、コネを公言することは常識的とは言えないが、疑惑を隠そうとしないことの意味することとは何だろう。民間の企業や組織で、コネがそれほど悪意を帯びていないことを思えば、自ずと本質は見えて来るのでないだろうか。
 友人共々、私達は話す。
「あの市はもうあかんやろな…」
 私達が熱意を持って仕事に臨んだ某施設は、今年度に入って利用者が激減しているらしい。苦情に溢れ、それに対する改善に着手しないばかりか、その上に立って、苦情を申し出る市民を卑下している。
 しかし行政は、荒廃しても失墜はしない。
 私達は市の施設であるその場所が、一日も早く民営化して、結果を出すことを惜しまずに仕事が出来る場所として解放されるのを、実は心待ちにしている。

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