任期満了まであと一年 ③

 次年度の任用について意向調査があったのは秋も盛りのことだった。
【任用を希望しても、同じ勤務形態で雇用されるとは限りません】というような一文が添えられていた気がして、ずっと違和感があった。【希望する】に〇をして提出したが、記入するとき、心の中では『同じ勤務形態でなければ希望しません』と思っていた。○を付ける場所が二択だけで、他に意見を記入する欄などは設けられていなかったため、氏名と○以外には何も書かなかったのだが、今思えばこの時点で、様々な変更が事後に行われる可能性が大きかったのではないかと思った。
 変更が決定し、緊急の説明会が開催された日、出席者にはいくつかの書類が手渡されていた。出席できなかった私の元へは、翌週の火曜日に一部を除いたそれらが、またもや緑の封書で自宅へ届く。何故そんなに時間のかかる方法を取るのか、理解が出来なかった。
 入っていたのは、書類の概要を書いた送付書と、労働条件変更に至る経緯を綴った説明文、次年度の任用に対する再度の意向調査書、そして退職届の四通。退職届には鉛筆手書きでこう記されてある。
【決して退職を推進するものではありません。是非、任用継続を希望されますよう宜しくお願いします。】
 意向調査の締め切りは同月二十日となっており、決断までの猶予は僅か一週間。希望しなければ月末で退職ということになる。時間と給料を減らしてでも仕事を続けるか、嫌なら辞めて路頭に迷えということらしい。残り半月で新たな職に就く段取りが整うとは考えにくい。また、授業が最終段階に差し掛かっているだけでなく、事後処理が山のように残っている。そこへ追い立てられるように新年度準備の作業が〝出張〟という名の下で丸四日。休みを取る権利を行使する時間を見つけることさえ難しい。退職を選ぶなら、てんこ盛りの有給休暇はドブに捨てなければならない。残り一年の任用期間中、次の就職先を探すために必要に応じて使えるよう、大事に取っておいたのは自分の判断だが、全くの計算外だった。
 大慌てだった。
 説明会に行けなかったが、行った司書から報告を受けるため、終業後に時間を確保する必要があった。
 説明会に行けなかったので、別の日に改めて説明する時間を取るから終業後に役所まで赴けと、雇用先からも連絡が来る。
 ペラ紙事件で問い合わせた時の「不利益変更に当たる」という言葉を無視出来ず、自分を納得させるためだけにでも、労働基準監督署へ行く時間を作りたい。
 ダメもとでも転職先を探したい。ハローワークへ行かなければ!
 しかし仕事は山積みで、終業時間を一時間以上越しても帰れないのが当たり前になっていた。世の中の企業ではその程度の残業などザラであろう。しかしそもそも基本の待遇が違う。残業代など一円たりとも付かないし、そもそも「校長命令」ではないのだ。タイムカードが導入されて久しいが、何のためのそれなのか…。
 毎日泣きたい気分だった。しかし年度内の仕事はきっちり終わらせたい。最後の〆は、児童の頑張りに対する餞の証でもある。気持ち良く終わりたい。いや、終わらせたいのだ。
 結局説明会へは行かなかった。行けなかったといっても嘘にはならない。一日二十四時間中、時間を確保するスペースを見つける余裕がなかったのだ。
 心労で食べられなくなり、一週間で3キロ痩せた。多忙からくたびれ果て、寝付けるものの、とんでもない時間に目覚める。そしてすぐさま悩みが往来するので、再び眠りにつくことが出来なくなった。毎日フラフラだが、仕事に行けばすることが山積みなので、相変わらずの長距離短距離走状態。気が張り、こちらの勢いに対して、子どもは同じだけのエネルギーを返してくれるので、年度末の〆はその波に乗って順調に片付いていった。
 毎年、何人かは、手紙をくれる。一年の感謝を綴ったメモ書き程度のものだが、何年か繰り返しているにも拘らず、毎回予期していないだけにとても嬉しい。しかし今年はその数が心なしか多かった。専任になって週五日来ているので、個々との関りが密になったせいか、また、教室が近い偶数学年や今年度の図書委員に、マメな児童が偏ったのかも知れない。しかし、一年間殆ど顔を見せなかった高学年のある男子が突如やって来た時は本当に驚いた。
「せんせー、来年おらんなるってことないよな?」
 虫が知らせる…というが、本当にそうなのだろうか。私は何も言っていない。雇用形態に変更が生じたことも、辞める辞めないということも、この時点では一切職場で口にはしていなかった。他校の司書などは、労働条件引き下げ問題が勃発した途端、職場で窮状を暴露したようで、学校中が大騒ぎになっていると耳にした。私は何故、誰にも言わなかったのだろう…。改めて考えてみた。
 言ったところでどうしようもないことだと思った。
 騒ぎ立ててこの問題が白紙になるとは考えられなかった。
 それ以前にショックとパニックの方が大きかった。
 仕事が忙し過ぎて、それどころではなかった。
 雇用先も違い司書の何倍もの収入を得て生活している教員という他業種の人々に訴えたところで、誰に何を理解してもらおうというのか…という自制が働いた。結局自分が虚しくなるだけではないかと…。
 難関を突破したうえで、それなりに激務を熟しているとはいえ、時々首を傾げたくなることがある。司書は食事を摂る時間やトイレに行く時間さえままならないのに、担任は別として、担外で仕事をしている教員などはゆったりしたものである。何かに追い立てられるように走っている姿など見たことはないし、昼休憩後も職員室の座席で長々と話をしていたり、スマホを弄っていたりする。その他の時間でさえそうで、各自の授業がない時は、その準備さえ済んでいれば、終始休憩しているようにも見える。しかし正規でなく講師という立場でも、ボーナスや退職金はきちんと支払われる。同じ職場に居ながら、職種が違うとこうまで違うのか…と、心がざわつく。
 そもそも司書とは、もっとのんびりゆったりした仕事かと思っていた。専門職とはいえ、基本給が安いのはそのせいで、それなりの仕事しかないからその程度の待遇なのだろうと…。誤った思い込みだと知ったのは、一週間を二校兼任でしたからというだけではない。勿論それも理由の一つではあるが、業務量が想像以上だったからである。
 一日六時間、みっちり授業を行い、長休みや昼休みはおろか、十分休憩ですら児童や職員の利用対応をしている。そんな教員は一人もいない。其々空き時間があったり、低学年の担任なら午後からの授業が免除されていたり、勿論時間内では業務が間に合わないから多くが残業しているのだろうが、残業代が付かないとはいえ、基本給には既に上乗せされた状態で収入が確保されているのである。
 私たち司書にはそれがない。しかし仕事は山の如し。仕事は授業だけではないのだ。

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