ほめられてる!(眉村ちあき最高って話とか)

 最近自分のことをホメるようにしている。
 たとえば爪切りをなくした時、どこを探しても見つからなくて、自分が悪いのにめちゃくちゃイライラして、それでやっと見つけた時に

「よく見つけたねえ、えらいねえ。」

と頭をなでてホメてあげるのだ。これがとてもいい。ホメられたい欲求を満たしてくれるだけじゃない。何かを可愛がりたい欲求までも満たしてくれるのだ。とても人には見せられないけれど。

 話は変わるが、眉村ちあきという人間が好きだ。めちゃくちゃにカッコいい。俺のやりたいこととか、コンプレックスとか色々をすべてかっこいい形で肯定してくれているような存在だ。

 ムカつくこととかがあって、否定を原動力にすることがある。そうして作られた作品は世の中にいっぱいあるだろう。でもそれがただ否定だったら面白くなくて、自身も救われないような気がする。俺は小説や詩を書いているのだけれど、肯定に変換することが大事だと思っている。別に明るければいいとかそういう話ではない。
 誰かが言っていた言葉を思い出す。悲しみや喜びに詩情はあっても、苛立ちに詩情はない。
 そういうことを、眉村ちあきの音楽は体現している。

 それから、レペゼン地元という流行がとても苦手だ。それは単に流行に過ぎないから、なくなるんだろうけど、地元愛を求めるような空気は昔からある。小説や詩の投稿には必ずと言っていいほど、出身を書く欄がある。出身校を書く欄も必ずある。やたらと出自を求める。それを書きたくない人もいっぱいいるだろう。俺は別に地元や出身校を憎んでいるわけじゃないけれど、出自を自分と結び付けられるのは嫌だ。そこに自分の作品への影響が見られたとしても、それは研究者以外には関係のない話だろう。でもしょうがないかと、いつも書いていた。
 眉村ちあきに「I was born in Australia」という曲がある。インタビューでアラスカ出身ですと答えていることがある。その場の思いつきで適当に出身を言うその姿がカッコいいと思った。だから俺も真似しようと最近はバヌアツとか適当に言っている。

 合わないんだろうなと思っている人がいるとする。でも喋ってみると案外話せる面白いやつだったりする。人の印象なんていい加減だ。だから理由なく何かを避けるのは、単純に可能性を潰しているだけで、もったいない気がする。人見知りだからそんな気軽に話しかけたりはできないけれど。でもそうなんだろうなと、経験上思う。
 同じように、やってみたら面白かったということもあるだろう。例えばライブで声を出したり、手を振ったりすること。やったら面白いんだろうけど、恥ずかしさとかカッコつけとかが勝ってできないこと。でも眉村ちあきのライブだとそれが自然とできた。それでそれは結構面白かった。楽しかった。
 お笑いは前提を覆すものだ。いい加減な第一印象っていう前提があって、それが覆されたところに面白さがあるなんて、最高じゃないか。

(最初に見たライブ)

 俺は尖っているものが音楽にしろ、何にしろ、好きだ。ポップに尖っているものが一番好きだ。だからaikoが大好きだ。一生ついていこうと思っている人が一人いてそれはaikoだ。

 デビュー10周年を超えてこんな曲を生んでしまう恐ろしさ!この時一生ついていこうと思った。
 それで3.11があって、aikoがキラキラを歌っていた。名曲というのは後から意味が追いついてきたりするのだなと思った。涙が出た。 

 そして最近更に一人増えた。それはカネコアヤノだ。

 弾き語りを見に行ったとき、拍手をさせる間も与えずに続けざまに曲をやり、MCもせず歌い上げ、最後に「ありがとう」と言って去っていく様に、シビれた。 

 二人ともポップな中で尖っている。音楽を好きになったきっかけは椎名林檎だった。やっぱり尖っていてカッコよかった。
 ポップの中で尖ると、ネガティブな尖り方とか、暗い方向に尖るものが多い。椎名林檎はわかりやすいが、aikoもそうだろう。内向的で、ネガティブな精神性と大衆性の同居が、ポップス尖りのスタンダードだろう。
 だけど眉村ちあきは違う。ポジティブな方向に尖っているのだ。明るく尖っている。今までないんじゃないか(知らんけど)。ポップの先に振り切れているのだ。
 ポップが他よりも明るいからもっと明るいところなんて誰も想像していなかったのかもしれない。誰も想像しなかった場所に連れて行ってくれそうなそういう凄みがある。
 だからまた一人増えたのだ。眉村ちあき。しかも一生ついていったら絶景を見せてくれるって歌っていた。
 しかし三人についていくなんて大変な人生だ。とても楽しみな。

 多幸感のあるものが好きだ。だからEarth, Wind and Fireが大好きだ。音楽の多幸感というのはああいう、バンド全員が音楽を楽しんでいるという実感を音に乗っかって体感するような、あの感じ。それはグルーブってやつだろう。
 眉村ちあきを聞くと多幸感があふれている。音楽を楽しんでいる感じ、それは間違いなくある。でもそれだけじゃない。人間味だろうか。よくわからないが、すごい多幸感だ。それは俺の今まで知らないものだ。

 眉村ちあきに「ほめられてる!」っていう曲があって、よくほめられるからみんなのこともほめてあげるという、とってもいい曲。冒頭の習慣とはまったく別に出会ったのだけれど、この曲のことを思い出して眉村ちあきの話になりました。

どうしたって毒に触れてしまうことってあると思います。毒気というか。人と人が暮らす社会にいる限りどうしたって。それで意味もなく落ち込んだり、暗くなったり、気持ちが跳ねなかったり、何もできないままに休日が終わっていったり。
でも「毒は毒で制す」なんて死語だ。
現代医学は発展し、それが更に体内の毒を活性化させてしまうことを発見したのです!そんな現代において毒に対する特効薬がひとつ見つかりました、それが眉村ちあきです!
俺は今日なんにもできないでいたのですが、眉村ちあきの動画を見てやっと心臓が動いたような気がします。ここの文章だけ上に書いた文章とは別の日に書いているのですが、ホントありがとうって感じたので、付記してみました。

(その動画)

追記

これも楽しそうでいいなあ。


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