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哲学者とオオカミ マーク・ローランズ


「ウンコがファン(送風機)に当たったら、人は神を求める。ウンコがファンに当たったら、わたしは小さな子オオカミのことを思い出す。」


何度読んでも泣けてくる、それがこれ。


ひとりの若いイケメン哲学者がなんたる運命的にオオカミイヌの子供を買い、育て、共に生活する話だ、むろん、実話だ。

そう、得てしてイヌは孤独になると精神の混乱から破壊魔と化す、この哲学者はそんなブルドーザーみたいなブレニンをひとりにしないため(我が家を守るため)、大学の授業に同行させたという強者だ、彼が講釈してる間、教室でブレニンは寝そべったり、うろついたりしていたという。。。
しかもブレニンを一度もリードで繋いだことがないという!

そんな彼らはどこへいくも一緒だった。

ぼくはこの哲学者とブレニンが大好きだ。
むしろブレニンとブレニンを思う哲学者が大好きだ。
なぜにこれほどこの本が好きなのか。
ぼくには哲学者の思いがわかるからだ。

人間のような小賢しい詐欺師のサルよりもはるかに美しく、強いオオカミ。
比較するたび醜悪なサルである自分が居た堪れなくなるってもんだ。
けれど、そんなサルなんかと一緒にいてくれるこの気高くも優しいケモノ、隣にその「美」を見るたびにたくさんのことを学べるんだ。


「どれほど憂鬱な気分であっても、静かに滑空する美しい姿を見ているうちに、必ず気分が良くなり、元気が出てきた。もっとも重要なのは、このように美しいもののそばにいると、少しでもこれに似たいと思はないではいられない、ということだ。」

哲学者ってやつはかなりの割合で人間嫌いになるらしい。

サルである人間の脳がなぜこれほどまでに巨大化したか。
それは他者を「欺く」能力のため。

オオカミとサルは同じ社会的な動物だ、けれど、家族単位の群れを作るオオカミとは違い、より多くの利益を得るためサルは群れを拡大し、さらに複雑にする、その結果、他者との関係は希薄になり、代わりに強化されるのが「欺瞞」だ。

奴らは信用できない、自分が騙されないためには、他人をもっとうまく騙さねばならない。。。

奴らは信用できない、ゆえに契約を結ぼう、私はあなたを殺さないから、あなたも私を殺さないでね、ちゃんと見張ってるから。

本心を隠し、裏の裏を読む、そうして脳は巨大化する、「嘘をつく能力」これこそがぼくら醜いニンゲンが賢くなった本当の理由だ。

哲学者はそういったさ、ぼくもそう思う。

ニンゲンの最も重要なコミュニケーションツール「言語」がこの最たるものだ。言葉は嘘をつく。けれど、言葉に頼りきってボディーランゲージを読む力の衰えたニンゲンは言葉でさらに騙しやすく、騙されやすくなった。

オオカミは嘘をつけない。
彼らはそういう能力を必要としなかったし、それゆえ磨いてこなかった。
嘘の世界に生きる嘘つきのサルには、思ったこと全部丸出しでそれでも強くあろうとする彼らが神様みたいに見えた。
そんな彼らを心から信頼できたし、忘れていた「何か」を思い出させてくれた。

「何か」とは、「幸せ」とはなんぞや?だ。

ぼくら暇を持て余すサルは「幸せジャンキー」だ。
みんな「幸せ」が欲しくてガツガツしてる。
モット!モット!と地獄の餓鬼みたいに「楽しいこと」を求めてる。
哲学者に言わせると、幸せと気分は違う。
楽しい、嬉しい、だから「幸せ」ではない。
辛い、苦しい、だから「幸せじゃない」わけでもない。

幸せは「瞬間」に宿る。
「瞬間」を透視し、常に過去と未来を見ているニンゲンは幸せを見ることができない。
ニンゲンの在り方ときたら、「〜のため」ばかりだ。
いい学校に入るため、いい会社に入るため、いい老後をおくるため。
そうしてあるかわからない老後のために貴重な今を投資する。

ニンゲンは「今」をすかして、あるかわからない未来を見ている。

じゃあ、オオカミもそんなふうに考えてるのかっていうと、どうもそうじゃない。オオカミだって空腹を満たす〜ため獲物を狩る、けれど、これは「今」お腹が空いているからだ。
じゃあイヌはどうだ、確かに未来を予測しているかに見える。あの人が帰ってきたら散歩にいける、散歩から帰ったらご飯が食べれる、ご飯が終わったら歯磨きガムもらえる。。。
確かに順番は覚えるようだ、けれど、そのことの今に次のことを予感して、今、次のこと思って楽しんでいるわけじゃない、次のことはそれが起こる瞬間になったとき楽しいのだ。確かに一日の順序はわかっている、けれど、「〜たら」と未来を楽しんでいるわけじゃない。イヌは妄想しない。
パブロフの犬はまた別の話。


ニンゲンとばかりいるとイライラして疲れるし、怒りっぽくなる、ぼくが地獄に落ちたのもその「罪」もあるのだろう、ニンゲンのくせにニンゲン嫌いな罪だ、そのくせ一人じゃ生きて行けやしない。
ヒトは良くも悪くも「嘘」ばかり表現する。言葉だけじゃなく、表情や態度でも「嘘」を演じる。ぼくもそうだ。ニンゲン社会では「嘘」は時に「善」になりうる。嘘をつくことが正しいこととなりうるのだ。
「あなたのお気遣いがとても嬉しいです」と嘘をつく。ぼくは疲れてしまう、そんなヒトを好きにもなれない。


ブレニンのような生き物は良くも悪くも正直だ。イエスは宙返りするし、ノーは牙を剥き出す。もちろん彼らだって時にはズルをする、けれど、見つかったからって言い訳なんかしない、「みつかっちゃった!」と表現するんだ。
彼らの全身で表現する感情の輝きが彼らの在り方を教えてくれる。
「イヌ」はニンゲンに寄り添いすぎたのかもしれない、彼らはそこまで正直でもない。なんせ、怒ることもできないくらいだ。それでも「嘘つき」というほどではない。

最近は自分の血の繋がったニンゲンの家族よりもペットを愛するヒトが多いらしい。そう、ほっとするんだ、彼らの偽りのない一途さが。怒ってもサルのように根に持ったりしない、イヤラしいぼくらを許してくれる。そんな彼らを守ってやらねばと思う、すると、ニンゲンがさらに嫌になる。そんな人間嫌い、パラノイア、アル中哲学者が、ブレニンから学ぶことで哲学の道も開け、穏やかなハッピーエンドのこの物語がぼくは好きだ。


ぼくは、地獄、どす黒い穴蔵、輝きのない世界にいる。ニンゲンであるぼくは己を救うため己に「嘘」をつく。そう、「神」を、「物語」をつくる。

幸運が尽きたぼくはいつここから出れるんだろう。


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