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悪童日記 アゴタ・クリストフ

LE GRAND CAHIER
Agota Kristof


「ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。」



これは「ぼくら」の日記だ。
「ぼくら」は双子で、乳歯がまだあるっていうから、10〜12歳くらいじゃないかと思われる。
そんな「ぼくら」はおばあちゃんちに疎開する。


これは「ぼくら」の日記だ。
読み始めてすぐに、ぼくは思う、

こいつらなんか変じゃね?


「ぼくたちの側では、これらの商品と引き換えに、あなたのために何らかの労働を遂行する用意があります。」



「ぼくら」は観察し、独学し、鍛錬し、交渉し、自ら金を稼ぐ。
そう、「ぼくら」は非常に子供らしくない。
だれにも頼らない、だれにも甘えない。
「ぼくら」は天才児のようで、その高い知能で自己を高め、生き抜くために「弱さ」を排除する。


「感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。」


「ぼくら」が詳しいことを知らないからか、詳しく書かれないのだが、これは第二次世界大戦のナチス政権の最中で、ユダヤ人たちは強制収容されていく。
不穏な戦争の影によってあからさまになるニンゲンの残忍さ、滑稽さが「ぼくら」目線で書かれるんだけど、「ぼくらのルール」により、そこには感情がかかれない、ゆえに、なんとも言えないキミの悪さが漂う。

だからって、「ぼくら」に感情がないわけではないんだ。
「ぼくら」は静かに怒っているようだ。
「ぼくら」には「ぼくらの正義」があるらしく、それがグッとくることもあればゾッとすることもある。

以前読んだマッカーシーさんの「越境」の少年に少し似てて、冷静さと、沈黙という彼らの不動の精神がなんとも痛快でもあり、不気味でもあるよね。

この見た目は幼く、天使のように愛らしい「ぼくら」は同時に悪魔的で、ゆえに、「人にあらざる者」の公平さと容赦なさがある。

「ぼくら」がなぜに「人にあらざる者」であるかというとだね、彼らには人間様には欠かせない「欲」がないんだね。
彼らは観察する、冷たい眼差しで、ニンゲンの醜い欲望を。
ぼくの苦手とするエログロもあるのだけど、「事実の忠実な描写」ゆえ読めてしまうね。



「違うよ、おばあちゃん。ぼくらはただ、ぼくら自身のことを恥ずかしいと思ったんだ」



「ぼくら」の「善」はそこにある。「恥ずべきことはしない」だ、それによって裁きを下す。
聖書を誦じる「ぼくら」、その「善」の底にはキリスト教が多少はあるみたいだけど、「ぼくら」はイエスに従うことも良しとしない。
人を殺しても彼らは「後悔」しない。それは彼らにとっては「必要」な行動であって、「恥ずべきこと」ではないからだ。

「ぼくら」が行う残酷な仕打ちを小気味よく思ってしまう俗なぼくは「シャーデンフロイデ」だ、いかにもニンゲンらしいんだ、けれど「ぼくら」にはそういうものはない、ザマアミロ、なんて書かない、「真実」ではないからだ。


「どうして、初めから助けてくれなかったの?」
「おまえがどういうふうに身を護るのか、見たかったのさ」


「正義」とも違う。
周りの人々はこの「善」と一切関係ないからだ。
「ぼくら」がぼくら自身(守るべきもの)をどう思うか、が全てなのだ。

ぼくら自身を守るために全ての「弱さ」や「欲」といった「人間らしさ」を排除するのを突き詰めると、何か透明感が増す、そこに「真実」が見えそうなんだ。

この「人間らしい」視点を排除した観察日記、まるで人間が動物や虫を観察して記録をつけるように「ぼくら」は「ぼくら」の周辺(ウムヴェルト)を観察する、「ぼくら」を守るために。

野生動物のようだ。
ぼくは思う。
いっけん冷血に見える彼らだけど、実はそうでもないようなんだ。
彼らは「家族」を守る。
おばあちゃん、将校、兎っ子。
彼らは隣人であり、「ぼくら」の家族だ。
そんな家族に対して「ぼくら」は「ぼくら」なりに敬意を表し、彼らの力になる。
ある意味、面倒くさい「人間らしさ」を削ぎ落としたがゆえの単純さ。
「ぼくら」の人でなし具合が「高潔」にすら思えるのだ。

そうして「ぼくら」がこの群れのリーダーなんだね。
いっけんか弱く見える子供である「ぼくら」は実は、誰よりも「強い」のだ。
現に「ぼくら」は誰にも頼らない、助けを求めない、あるのは「交渉」だ。
「ぼくら」は金銭的にも精神的にも自立していて、迷いもない。
なんだか「ぼくら」に甘えているのは周りの大人たちみたいに見える。

「家族」という意味。
「ぼくら」にとっての家族は「一緒に暮らす者」だ。
もはや本当のお母さんとお父さんなんかは家族ではないらしい。
彼らに対する冷徹さにゾッとするも清々しくさえ思える。

なんだか興味深い、不思議な物語だ。
次回作「ふたりの証拠」、タノシミダ。



「そう、国境を越すための手段が一つある。その手段とは、自分の前に誰かにそこを通らせることだ。」


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