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木曜日だった男 チェスタトン

THE MAN WHO WAS THURSDAY:
A NIGHTMARE
Gilbert Keith Chesterton



「汝らは我が飲む杯より飲み得るや?」



キミの見たこと考えたことは、本当に「正義」かい?
よく見たまえよ、彼は本当に「悪魔」かい?


キミ、「聖書」読んだことある?
ぼくは、もちろんないさ!




「真実は、たとえ足枷をかけられていても恐ろしいものだ。」



無政府主義。。。爆弾魔。。。裏切り者。。。
おいおい、なんか政治的な物語なのかい?ぼくには向かないよ?
ぼくの頭にチラッと、昔観ようとしてはじき出された映画が浮かんだ。
「裏切りのサーカス」。
ゲイリー・オールドマンとか、コリン・ファースとかカンバーバッチとか見てーよ、ってんで観ようと試みた映画、こ難しくてさっぱりわからなかった。。。
これだから、常識知らずの政治白痴は困るよ。

とにかく、きっとまた置いてきぼりを喰らうんだろうと読んでいたけれど、これがどうしてどうして面白く読めたんだ、そう、ぼくでも。
そうして読み終わった時に頭に浮かぶは、ぼくの好きなミハイル・ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」。

「かれらは幻影に惑わされていない。かれらには知性があるから、人間がこの地上で原罪と争いからすっかり自由になるなぞとは考えない。」


無政府主義の会議、かれらは目論む、ロシア皇帝とフランス大統領に爆弾を投げつけてやろうゼッ!イェーィ!
集まった7人のコードネーム(?)は曜日。
この7人の中に「警察」が潜んでるってよ!?

片側だけで不吉に微笑む、月曜日。
もじゃもじゃ頭のポーランド人、火曜日。
豪奢な洒落者な侯爵、水曜日。
我らが主人公ポエマー、木曜日。
死にかけヨボヨボ教授、金曜日。
黒い丸メガネで髑髏面の、土曜日。
人間とは思えないほどどでかい議長、日曜日。

さあ、裏切り者はだれだ!?

「異教徒は過てり。キリスト教徒は正し。」

まあ、物語の面白さはその犯人探し的なところにあるかもしれない、けれど、この話はどうしてどうして単純に政治ミステリでもないようだね。
ぼくが思うに、これは「神」ってなんだ?だ。
自身も悪魔と契約しかけたというチェスタトン氏、大いに語る。

面白いのは、南條さんの訳だ。
ぼくね、南條さんみたいな昔かたぎ訳ダイスキさ。大正〜昭和初期の言い回し。漢字ひとつにしてもいちいち古臭い方を選ぶんだね。
セリフの妙な言い回しがたまらない。

面白いのは、人物の描写だ。
我らが主人公サイムくん、メンバーのキミワルさをとことんまで観察する。
そう、キミの悪さは、恐ろしさを煽る、けれど、人が人を「キミワルい」と思うのはなぜだろう、どう言った特徴からだろう?

面白いのは、わけのわからなさだ。
「議長の追跡」で日曜日がメンバーそれぞれに一言書いた紙を投げつけてくるね、そこに書いてあることが意味不明だ。本人たちも「あの気狂いめ、どういうつもりだろう?」というくらいわけがわからない。
けれど、もちろん意味があるんだろうし、それぞれに一言あるわけだから、その一言がその者の何かを現しているんだろうよ。


精神が壊れるほどの苦しみに苛まれるとき、人は宗教に縋る。

このことは最近面白すぎるテーマだけど、どうもニンゲンという生き物はそういうふうに造られているみたいね。

思うに、この「日曜日」という人間離れしたどでかい男は、やはり人間じゃあないんだろうけど、それが「悪魔」なのか「神」なのかわからない。
人によってまるで違った印象を受ける者。

「あいつが好きなのは、あんなに肥っていて、あんなに軽いからなんだ。ちょうど気球のようにね。…中くらいの力は激しさに示されるが、無上の力は軽さに示される。昔の空論みたいなものだよ…」

「あいつは心ここにあらずなんだ。…悪人がぼんやりしてるってのは、ちょっと空恐ろしいぜ。…ぼんやりしている人間は、善良な人間だ。たまたま君が目に入れば、詫びを言うような人間だ。でも、ぼんやりしていて、たまたま君が目に入ったら、君を殺す男なんて、耐えられるかい?それが神経に障るんだーー心ここにあらずと残酷さの取り合わせがね。」

人間の見た目ではあれど、動物のような者。
何を考えているかわからない者、何をするかわからない者。
自分とは違うなんだかわからないものを人は恐れる。

「『パンは』と教授が夢見るように言った。『神でもあり、獣でもある』」

パンね、あの牧神のね。
あいつ、キミワルいものね。

神なのに、悪魔みたいに見える。

おんなじものを見ても見る者によってまるで違うものになる。
おんなじものを見ても見る時によってまるで違うものになる。

それが神、それが悪魔。

「この全世界の秘密を教えてやろうか?それはね、僕らは世界の裏側しか知らないっていうことなんだ。我々はすべての物を後ろから見る。だから兇悪に見える。」

ああ、なるほどね、全ては見る側の幻想なのね。

ぼくの小さな神さま、ポウくん。
彼も「パン」だった。
パンはパニック、パンは全て。
獣の姿のおどけた神。
はんぶん悪魔、はんぶん神様。

けれど、それはぼくが感じたこと。
彼はただ、彼で在っただけ。

言葉の通じる人間同士でさえ、同一の人間が神にも悪魔にも見えたりする。
相手の気分もあるのかもしれない、でも神か悪魔かの烙印を押すのはいつだって「我」だ。相手は何も言わない。「私は神だ」とも「私は悪魔だ」とも名乗らない。名を与えるのはぼくら「我」だ。自分の都合に合わせて自分勝手に命名する。
その相手が日曜日の正体。それが全ての他者の正体。
「神」とも「悪魔」とも呼ばれ得る者。
でも、明日は我が身さ。


そんな日曜日がどことなく動物めいているのは、余計なことをしゃべらないから。彼は微笑んでいる。キラキラした目で何かを見ている。このどでかい灰色のネコのような男、本当に悪魔なのかい?

「もしも何か奇蹟が起こって、この場を切り抜けられたら、自分はあのアーモンドの木の前にいつまでも坐って、他に何も欲するまい、と思った。」

そんなふうに悟りを開かせるのはいったいなんだろう?
このどでかい男の何がそんなふうに思わせるんだろう?


「『貧しそうに見えますけど』ブル博士が疑わしげに言った。
『さよう』と大佐は言った。『だからこそ、彼は裕福なのです』」

農民は善良。
本当にそうなのかい?
貧しさの美徳、それって富める側からみた皮肉かい?


「君はじつに素敵なやつだ。君は自分の正気さだけではなくて、他人の正気さも信ずることができる。」

貧しい者も、富める者も、みんな苦しんでいるってよ、ニンゲンだもの。
「苦しみ」も十人十色、己の苦しみなんてもんは所詮他人様にゃあわかるめえ。
そうですとも、「苦しみ」は勝ち負けじゃない。誰のがすごいとかじゃない。他人から見たらどうにもくだらないことだって、その人にとっては生きるか死ぬかの「苦痛」になるもんだ。

オマエラハ我ノ苦シミヲ共ニデキルカ?


「『僕らだって苦しんだ』とこの告発者に言う権利を買い取るためなら、どんな苦悶だって大きすぎることはない。」

そう、みんなそれぞれ言いたいことが山ほどあるってよ、苦しんでるってよ。



オマエラニ我ガ苦シミハ決シテ解カラナイ

それが真実だ、ぼくは思う。
ただ、相手の話を聞いてやることで「苦痛」を吐き出させ、「苦しみ」を軽くすることはできるやもしれない。
神なのか、悪魔なのか、日曜日はみんなの「不満」を微笑みながら聞いてくれたさ、それが日曜日、安息日だ、喧嘩はやめて、だ。


「西欧人の精神はまったくちがいます。かれらにとって宗教の教理は、それなくしては息もできない生活必需品です。」
                     
「不可知論だの、科学主義だの、信仰復興運動だの、さまざまな主義や思潮が百出しますが、どれも人を本当に安心させるには至らない…不安はえんえんと今日までも尾をひきずって、世界の政治情勢にすら影を落としています。」
                       ーーー訳者解説より


そう、「聖書」は生きる手引き、唯一無二の人生マニュアルってなもんよ。
地上最強の大ベストセラーよ。これさえあれば、大丈夫なんだ!
人間様ね、マニュアル大好きなもんだから、教科書ないとどうしていいのかわからないってね、人生に迷っちゃうわけよ。それが例の「不安」ってやつを産むんだな。

そんなガッチガチの舗装道路を爆弾でぶっ壊したって、そういうことよ。
バラバラになった不安定な足元でどうやって立つかってもんよ?
さあ、ニンゲンさんよ、「神」なしであんたどうするよ?


人間様と宗教の関係は、切っても切り離せない。
ぼくら自称無神論者でも、神頼みしたりする。
この世界のなんらかの「神」を感じる時、「物語」が生まれるしね。

「神」と「悪魔」は同じ者。
それは見る者次第。
人は誰でも苦悩する、その時、つかまれるものがそれだ。
そうすればとりあえずは死なないだろう。
ぼくらはツチハンミョウの幼虫みたいに必死にピョンピョン飛び跳ねてなんでもいいからつかまんなきゃ死あるのみなのよ。

それが「神」でも「悪魔」でも。



「『汝らは何故に跳ねるや、汝ら、高き丘々よ』丘は本当に跳ねるんだーー少なくとも、跳ねようとするよ……僕は何で日曜日が好きか?……どういうふうに言えばいいかな……あいつは飛び跳ねる者だからさ」


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