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良犬トビーの愛すべき転生 W・ブルース・キャメロン

Am 2. November



「お前と別れるのは辛いよ、ドゥードゥル・ドッグ」



まず、この映画👇を見たね。

犬好きの人ならこれも絶対見てると思うけど、いい映画なんだね。
犬目線の一人称物語、これって、人間中心的擬人化臭くて苦手な人(ぼくかよ?)もいるやも知れぬ、けれども、ドウシテドウシテこのイヌになりきったニンゲンが書くものってけっこう面白い。

主人公の「僕」は映画でも割と犬らしい犬に描かれていて、レトリーバーらしいヤンチャっぷりと好きな人といつだって一緒にいたいこの犬の魅力が楽しめるよね。
アメリカの果てしない緑の草原を犬が疾走する場面なんかたまんないよね。

映画を先に見たぼくだけど、すでに何度も見て、そのたび咽び泣いたもんだ。

さて、この物語の味噌は、「転生」なんだね。
これって、人間様、大好物なネタなんだね。
無宗教のぼくは輪廻転生とか復活とかよくわからないけど、まあ、地球上のナマモノであるからには有機物が巡回するよね、くらいには思っている。
魂とか自我については考えても仕方ないからね、ぼく哲学者じゃないしね。

と言うわけで、「生まれ変わり」とか言っちゃうと、テンション上がりまくりの人も、下がりまくりの人もいるだろうけど、そんなにピュアじゃないぼくでもひどく楽めたね。

あれだ、「犬の健気さ」、汚れちまったぼくらはこれにやられるんだ。
小説だと最初は野良犬として生まれる「僕」。
それから、何度も死んだり、生まれたりするんだけど、この現代社会で犬が生きていくための難しさ、ニンゲンが操る運だけに左右される環境。
犬を巡るぼくら人間様の作り出した世界の問題を感じるね。

犬は飼い主を選べない。

犬と子供の境遇っておんなじで、生きていく環境を自分で選択できないんだね。これって本当に恐ろしいことで、それでその一生のほとんどが決まってしまう。
ここで面白いのが、「比較」だ。
「僕」の何度かにわたる一生を一緒に体験していくと、今回は前回よりましだ、とか前の生活にまた戻りたいとか、おんなじ一生の中でも優劣がついてくる。
初めの一生だけなら野良犬に生まれて死んだ、それだけだったのに、同じ意識のまま複数の一生を経験することにより「幸」「不幸」が際立つんだよね。

ぼくが思うに、他人の生と比較して不幸になるのってヒマな人間様の特徴やも知れぬね。
彼らイヌは一度の生を懸命に生きていて、他者と比較するすべもヒマもない。

そんなイヌになりきったニンゲンの物語の何がいいかって、彼らの側に立って彼らの気持ちを想像してみるってことだ。
彼らは飼い主を選べない、ならば、彼らの立場になった時、どんな飼い主に寄り添いたいか。
ただ心地よい環境を与えてくれる、それだけじゃないんだ。

なぜ「僕」が、イーサンを選んだのか、イーサンと一緒に生きたかったのか。
それを考えるのが、ぼくら、身勝手な選択をするニンゲンにできること。

ぼくらが「僕」だったら、人間社会で無力なイヌだったら、どんな飼い主と一緒にいたいだろう。

小説は映画ほどハッピーエンドじゃない。
そう、物語は悲しいんだ。

だから、ぼくは僕に問う、

「ぼくは君が一緒にいたくなるような人間かい?」


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