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十五匹の犬 アンドレ・アレクシス

Am 16. Mai

FIFTEEN DOGS
Andre Aléxis


「どうなると思う?動物が人間の知性を持ったとしたら。」
「人間と同じくらい不幸になるんじゃないか」


突然喋りだした犬が問う、「愛」とはなんぞや?


可愛い我が子(イヌ)がこんな風に思ってたら。。。ぼくはつらい。。。

犬を飼ってる者ならそう呟くであろう戦慄の人間犬物語。
怖い。。。悲惨だ。。。

いっておくけど、人間の言葉が解る動物物語だからって「ルドルフとイッパイアッテナ」(コレぼくダイスキ)じゃあゼンゼンないんだ。


ぼくは「アルジャーノンに花束を」を思い出した。
そう、有名なダニエル・キイスのあれだ、アホなときは自分もみんなも幸せだったのに〜のあれだ。
幸せとは何か?
もっともっとの人間の欲望に問いかける素晴らしい物語だ。


もしくは「蝿の王」。
これなんかぼくのトラウマ小説のひとつなもんで、何も言いたくない。
野蛮化する少年ども、人間動物の本性を突きつける、ほとんどホラーだ。


そしてこれ、キャワユイ犬の話だと思ったら大間違いなんだ、心温まる犬物語を所望の方はご遠慮願いますだ、もう犬たちが怖すぎる。。。
人間のような犬というより、犬の格好した人間なんだ。


タマタマ同じ動物病院に居合わせた十五匹の犬たち。
マタマタどうしようもない神々の思いつきでなぜか「知性」を与えられるね。
いっちょ暇つぶしにこいつらが幸せになるかどうか賭けようじゃあないか!
そう、神々は無邪気に残酷なんだ。

人間のように考え、人間のように言葉を学習する犬たち。

そんな生き物、もはや、犬じゃねえ!

そうなの、その通りに彼らは犬らしさを忘れてどんどん人間になってゆく。
言葉をつかって物事を理解するやり方を知ってしまったが最後、犬らしくシンプルに振る舞うことができなくなる、そして、陰謀。

「陰謀」!
これぞ人間らしさってやつだ!
瞬間をないがしろにし、未来を操作しようとするもくろみだ。
己の欲望のために他者を欺くサル的行為だ。

ヤダなー。

「だけど、ぼくのことをわかってくれる仲間がいなければ、生きている意味なんてない」

支配者になるため陰謀を企むヤツ、それに便乗し血を見たがるヤツ。
ヤツら、貴重な仲間を次々と殺してゆく。

ヤダなー。

こいつら、もはや犬じゃねえだ、人間様だ。

「犬社会に属する以上にすばらしいことなんて、ないよな。」

「おれはときどき恐ろしくなるんだ。もう二度と、そういう気持ちになれないんじゃないか、もう二度と、犬のなかで犬でいるっていうのがどんなことなのか、わからないんじゃないか、とな。」


面白いのは、「蝿の王」とは違って「インテリジェンス」でもって野蛮化するという、まさに人間様への道が描かれておることじゃね。

犬の科学と詩的な文学の融合か?
確かに「犬から見た世界」(イヌ好きにはたまらん犬の行動学、ぼくホロウィッツさんダイスキ)の書き方なんだけどね、そこに擬人化ではない人間の思想が入ってくるのが野生気質のポウくんを愛するぼくにはちとえげつなく感じるんだ。
ギリシャの神々だとか、芸術的な映画だとか、詩における音とかをもりこんでるから、犬好きよりも人間好きにウケるのやもしれない。

この話、こんな犬を生み出したのが行き過ぎの科学なSFじゃなく、神々のイタズラっていうメルヒェンでよかったよ。

だいたいさ、こいつらの固執する「群れ」ってなによ?
ただのごろつき集団なのかい?

「群れ」ってやつは種の保存のための共同体のはずだ。
こいつら、もはやメスも殺してさ、家族を守ることそっちのけで自分の保身しか考えてないよ、ニンゲンの悪党そっくりだよ。

野生のオオカミにおいて「群れ」は「家族」だ。
この犬の祖先においてこれは自分たち家族、共通の遺伝子を残すための超個体的な集合体だ。
親は子供を命懸けで守る、そんな親が絶対のリーダーであり保護者だ。
子供たちも自分の弟妹を世話し、守る。
以前はニンゲンも皆そうであったね。
ニンゲンとオオカミは本来、似た者同士だったんだ。
そんなぼくら、野生を離れた犬と人間は真摯に家族ごっこをしてる。


けれども、どうだ、こいつらを見よ!
ポエムまで作るってもんだ(ぼく、ポエムは好きだけどね)。
まるでどっぷり狡猾な人間様に成り下がっちまったさ。

イヌが人間のような思考で持って、こんなこと考えてたらヤダなー、と思わせる、それが著者の意図なのかもしれない。

結局、著者の言いたいことは「人間の言葉(音)の素晴らしさ」なんだね。
これを持つことによって、他者との理解が深まり、「愛」つまりは「幸せ」というものを知れるらしい。

嗅覚で創られる犬から見た世界を描いているようにも見えるけど、知性という「人間的な見方」が加わっているためなんか気味悪い感じがするんだ。

最後は犬好きのために配慮した終わり方になっているけれど、この物語をぼくは好きじゃない。
犬から見たニンゲンたちは悲惨(人物的にも運命的にも)だし、登場する犬たちの運命はもっと悲惨だ。
マジヌーン(プードル)なんかハチ公かよっ!
ただマジヌーンの飼い主(?)ニラの思いには共感しちまった。
ぼくも、ポウくんが「気高く思考的」ゆえ、ものすごく気をつかうからね。

「幸せとは何か?」を問うておるが、ぼくには誰も幸せだったように思えなかった。
それはイヌとして幸せなのか、ニンゲンとして幸せなのか。
むしろ「心を交わす」犬と人間の幸せをぶち壊しにしちまって、「言葉」ってどうしょもねーな、と思ってしまう。

「言葉」は嘘をつく。

真実を言語化することは不可能だ、とぼくは思う。
ぼくらは言葉を手に入れたことで世界を歪んで認識するようになった、と。

イヌは非言語でなんと多くの感情を純粋に伝えてくれるだろうか!
イヌが言語を持たないおかげでぼくらは彼らから世界の真実を学び、心から信頼し、愛せるんじゃないのかな。
「言葉を交わす」人間どうしよりも深く結びつく、イヌに魅入られた者なら分かるよ。

著者はイヌを「愛」したことがあるんだろうか。。。

人間様なぼくは、今日も無駄口をたたく。


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