見出し画像

ぼく、ジェルさん

 全く科学的根拠のない話をする。
 というか、科学的根拠がないという根拠もないから、YouTubeの早口漫画広告だと思って聞き流してくれていい。それに加えて曖昧な記憶を引っ張り出している。多少の改変や脚色があるかもしれないことをご理解いただきたい。

 中学受験突破のために個人塾にぶちこまれていた小5僕は、持ち前の人見知りを遺憾無く発揮し、分からないところは質問せず分かったふりをし続けていた。もちろん成績は振るわず両親の頭を悩ませたことは言うまでもない。

 分からない問題があったら、黙って問題用紙を見つめる。ただ、微動だにしないとサボっていると思われるので、髪の毛を指でくるくると巻いて考えている風を装った。そして基本的に分からない問題だらけなので、塾にいるほとんどの時間を指でくるくるに費やした。

僕が天パになったのはこの手癖が原因である。

 ※科学的根拠、ないっしょ!

 だってそれまでの僕はサラサラストレートヘアーで、キューティクルがキュートな少年だったのに、こんなのあんまりだ。前髪は半円を描き、もみあげはイヤミみたいに内側にカールした。劇的ビフォーアフターである。
 もちろん思春期なので、ホルモンバランスで髪質が変わったのもあるだろう。というかそれが真実だ。でも、あの巻き癖と当時の尋常じゃないストレスが確実に天パ化への手助けをしたはずなのだ。

 さて。どうにか中学に上がることができたわけだが、そこは新天地。既存の友達は一人もいない。当然周りの目が気になるわけで、特に異性からは少しでもカッコよく見られたい。塩でも醤油でも何でもいいから評価されたかった。

 以前の記事でも書いたが、僕はとあるバンドマンの髪形を真似して、前髪長めのストレートヘアーを目指していたんだけど、この天パに邪魔をされて思うようにキマらなかった。なんて忌々しいのだろう。

 とにかく髪の毛を真っ直ぐにしたい。そのためなら鬼にも悪魔にもなろう。当時の直毛への執念はちょっと異常だったかもしれない。
 くせ毛補正を謳ったシャンプーを試したり、なるべく汗をかかないように、風の抵抗を受けないように過ごしたり、厳戒態勢の日々。朝起きると、ヘアアイロンで髪の毛を伸ばすのが日課だった。髪の毛をピンピンに伸ばしたら、ワックスを前髪に塗りたくり固定する。そして更にその上からスプレーを振りかけてカチカチにする。更に更にその上からもう一度ヘアアイロンを通し直す…。

氷柱(つらら)、である。


 「今日から俺は!」に憧れていないやつが「今日から俺は!」みたいな髪型をしていたら恐怖しか感じないだろう。0→1の独自製法でこんなデタラメヘアにしているのだから。

 結果、異性は僕を異星人として扱った。
 その一方で、同性の友達はみんな優しくて、僕の前髪の氷柱にそっと触れてから、「これ、どうなってんの」と興味深そうに観察するにとどまった。正直ベッタベタで気持ち悪いし不潔に見えたと思うんだけど、それでもいじめられなかったのは人に恵まれたからに他ならない。

ただ、あだ名はジェルさんになった。


 当時、そう呼ばれても満更でもなかったのを覚えている。なんで満更でもなかったのかは覚えていない。どう考えても天パのままの方がいいだろ。そんなテッカテカなヤツいないよ、油谷さんじゃあるまいし。

 中3の春、クラス替えでフルタくんとイシカワくんに出会う。どちらも僕とは正反対の陽キャスポーツマンで、クラスの中心的人物である。そんな遠い存在とすんなり友達になれたのにはシンプルな理由があった。

2人とも超がつくほどの天パだったからだ。

 僕らはお互いの姿を確認すると、コンプレックスを瞬時に理解し肩を組んだ。1限と2限の間の10分休みになると教室の後方に集い、こっそり持ち込んだニット帽をカバンから取り出してかぶった。少しでも髪が乱れたり、広がったりするのを防ぐために徹底的に前髪を押さえ込むのだ。

 僕らは自分たちを【ニット帽倶楽部】と呼称し、時間を見つけてはニット帽の着脱を繰り返した。(今だったらてんぱ組.incとかもう少しユーモアのある名前にしたかもしれない)

 集っている間はストレートパーマと縮毛矯正の違いなどについて語り合った。とはいえ金銭的に誰も経験が無かったので、そんな虫の良い話あるわけないよな、と小馬鹿にする感じだったけど。ただ同じ悩みについて気兼ねなく語れることが幸せだった。傍から見れば、全員HAN-KUNみたいに目元まで隠していて、奇妙奇天烈集団だ。風や海を嫌う湘南乃風、ちょっと面白い。

 そんなある日、野球部のフルタくんが顧問の先生に髪の長さを注意され、強制坊主の刑に処された。注意されたその場でバリカンでつるっつるにされた。血も涙もない、残酷な儀式だった。

「坊主にすると髪質変わるって聞いたことあるし、これは楽しみだな」

 あの時のフルタくんの引きつった笑顔が忘れられない。泣いていいんだ。いや泣いてくれ。僕らもそうしてくれた方が気が楽だよ。そもそも君以外の野球部はみんな坊主で、その中で1人髪を伸ばしてニット帽をかぶっていたのだから、気にしてないはずがないだろう?

 案の定、彼の髪は伸びてもチリチリのままだった。

 余談だけど、今思えばウチの学校は体育会系なので、そんなことは日常茶飯事だった。眉毛を剃ったのがバレて、先生に油性マジックで激太眉を書かれ、「学校にいる間は必ずその姿で過ごしなさい」と言われたり、学年朝会をします、と講堂に集められたと思ったら実は嘘で、頭髪検査が始まったり。(その時はキッチンばさみと姿見が用意されていて、検査に引っかかると地獄のセルフカットが待っていた…。廃校になれ、と100回くらい思った。)

 やがて高校生になった僕はお小遣いアップの交渉を成立させ、念願の縮毛矯正を受けた。施術後、僕は感動で泣きかけた。本当に何もつけなくとも髪の毛が真っ直ぐのまま維持される。魔法だ。これでプールや雨に怯えなくて済む。ヘアアイロンで火傷することもなくなる。

 クラスのみんなも「いいね!」と褒めてくれて、次第に僕をジェルさんと呼ぶ人はいなくなった。ジェルをつけていないのだから、当たり前と言えば当たり前だけどやっぱり名前で呼ばれると嬉しい。そんなことも忘れるほどに僕の3年間は過酷で孤独で目まぐるしかったのだと思う。

 そして時は流れて今となる。その間も縮毛矯正はずっとしていたけど、全体縮毛から前髪縮毛になり、なんと2年前から矯正自体やめてしまった。

 再び髪質が変わり、以前ほどの厄介な癖がなくなったのだ。美容師さんに「なんで天パじゃないのに縮毛するんですか?」と聞かれるまで全く気付かなかった。何やってんだ俺ェっ!!

 あと今はさすがにピンピンに真っ直ぐじゃなくて多少ウェーブがあった方が自然で良いと思う。色んな条件が重なっておかしくなっていたあの頃が愛しい。

 …そうだ、そろそろ美容院に行こうと思ってたんだった。

 もちろんカットのみで。いや、白髪を誤魔化すためにカラーも追加しなくちゃ。

 この若白髪は中学卒業と同時に現れ、新たな敵として僕の前に立ちはだかった。きっと、あの悪戦苦闘の日々が髪や頭皮にダメージを与えたせいに違いない。

 いや、科学的根拠はないんだけど。


2024年5月26日深夜 自宅にて 編集が進まない、初夏。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?