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きのう、同じハッシュタグをつけている 記事のひとつと、とても印象的に出逢った。 タイトルがわたしになじみのある学科の名前 だったので、なんとなくタップしてみた。 この3月21日に卒業された大学4年生の方。 無事に卒業証書(学位)を受け取って来たことが 綴られていた。 よくよく読んでいると、それはわたしの母校だった。 4年通ったあの大学だ。 いや、実を言うと4年よりも少ない。 半年ぐらい心の病で、休学していた。 ちょうど二年生の春か夏頃だったかも しれな
noteをふいに訪れていると、誰かが 誰かのためだけを想っている言葉に であうことがある。 ふだんは、わたしはわたしのことしか 考えていないようなにんげんなので。 宛先がいつも誰かであるひとに会うと、 どうしようもないぐらい、恥ずかしく なってしまう。 じぶんの心を整えるために書いてきたので たぶんわたしの言葉はいつも宛先はじぶん だったような気がする。 だから、いっそもうじぶんのことは置いておき たいと思うことがある。 「わたし」や「じぶん」から遠
慌ただしい朝の台所に母と並んで立ちながら、この二年という歳月がもたらした明らかな変化に、私はいちいち反応している。 *** うちの雑煮は昔からずっとすまし汁で、具は餅と紅白の蒲鉾とかしわと決まっていた。お椀の上に三つ葉を結わえて浮かせ、仕上げにゆずの皮をほんのひとかけら散らす。私が物心ついたころから母が作り続けてきた味は、確かに二年前に訪れたときまで、ちゃんとここに存在していた。 「お節は出来合いでも、お雑煮ぐらいわねぇ。」 母はそう言って、昆布と鰹節でとった澄んだお出
タイムラインに流れてきたバズりツイートに、「正解は、越後製菓!」のスピードで「いいね!」を押す。 わたしがnoteのアカウントを取得したのは、ある人の音声配信コントを聞くためで、自分がなにかを書くことはゆめゆめ考えていなかった。 SNSは顔見知りの狭い範囲だけで繋がり、おもしろいものを見つけたらワンフレーズで言う、その程度だった。 それがどういうわけか、はじめて見るものをおっかなびっくり触るネコのように、2021年の春から書き始めた。 雑に考察すると、理由は2つある。