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何度でも読み返したいnote3

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。こちらの3も記事が100本集まったので、4を作りました。
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#未来のためにできること

「両家の顔合わせ」は部活の思い出ざんまい

ちょうど3ヶ月前、梅雨入りしてすぐのよく晴れた日曜日のお話です。 午後には、間宮くん(私は娘の旦那さまを、noteではそう呼んでいます)のご両親が我が家にいらっしゃるので、私は朝からなぜか、キッチンの換気扇を大掃除していた。 キッチンには来られない予定なんだけど、なんとなく、家の空気をきれいにしたくて。 5月に長女は籍を入れ、晴れて間宮くんと夫婦になった。家族みんなの予定が合わずに先延ばししていた「両家の顔合わせ」という儀式が、入籍後にやっと行われることになった。 結納

長月に 揺れる 風鈴のこと

まだ残暑の厳しい九月のはじめ。 灼けるアスファルトの上を 先へ先へと急ぎ歩くなか、 信号待ちに 足を止めたときのことでした。 凛、、凛、、、 どこからか、懐かしい、涼やかな音がします。 日傘を下ろして、あたりを見廻すと、 道沿いの家の軒先に 綺麗な風鈴が一鈴、 下げられているのが見えました。 海月のように丸く 下の方だけ少しすぼめた外見は 縁に向かって青いグラデーションの入った 薄手のガラス作り。 そこへ白い糸が通って、 淡い絵をしたためた短冊が キュッと、結ってありま

世界を変えるかもしれない余計な一言

 「女性にうれしいヘルシーメニュー」  この謳い文句にモヤモヤとした気持ちを抱く。悪意なんてこれっぽっちもないその表現に引っかかりを覚えてしまう私はきっと面倒くさい奴なのだろう。  私は昔からこの手の表現が苦手だ。性別という大きなくくりで十把一絡げにして女性はこう、男性はこうだと特徴を決めつけることに違和感を覚えるのだ。近頃はジェンダーについてメディアでも取り上げられることが多くなり、このモヤモヤに遭遇することは少しずつ減ってはいった。しかしそれらは今だに日常に潜んでいて、遭

誰かのなかで生きる

「朝のリレー」という谷川俊太郎の詩が好きだ。 こうやってふるさとから遠く離れたところで暮らし、テムズ川越しにのぼってくる朝日を眺めていると、しみじみとこの詩が沁みてくる。 日本で夕陽が沈むころ。 テムズ川に朝日が昇る。 ♢ 「命のリレー」というフレーズをnoteで目にしたとき、私たちが生きているなかで渡していくいろいろなバトンに思いがいった。 私のアメリカ妹は、アメリカ赤十字の緊急治療室で働いている。 彼女がカバーするたくさんの仕事のうちのひとつが、亡くなった方のド