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甲府の温泉銭湯にて

年末、ちょっとした用事があって山梨を訪れた。他県とはいえ、東京の僕の地元からは車で1時間もあれば辿り着くことができる身近な場所。ついでに今年の疲れを落とすために、帰りに温泉にでも寄ろうかと考えた時、以前雑誌で読んだある特集を思い出した。――甲府の銭湯はどこも温泉を引いていて、温泉天国であると、その記事では書かれていた。なるほど、なかなか気になるところではある。用事を片付けてから、僕は甲府を目指した。

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草津温泉

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ここ草津温泉は、温泉好きの間では有名で前々から聞いたことのあった温泉であったけれど、訪れるのは初めてだった。カーナビに草津温泉と入力すると、本場群馬の草津温泉とこちら山梨の草津温泉が表示されるため、群馬を目指していたはずが山梨に向かっていた……という笑い話をtwitterなどでは時々見かける。名前の由来は、創業者が草津出身だったからというだけで、決して草津から運び湯をしていたり、泉質が草津寄りだったりするわけではない。しかしながら、源泉掛け流しのお湯を贅沢に使用した本場草津顔負けの立派な温泉である。おまけに入浴料は銭湯価格の430円。消費税増税で値上がりしたとは言え十分に安い。

浴室に入ると、建物の見た目よりもかなり広々と感じた。天井が高いおかげだろうか。おまけに照明等はないのに高窓から陽光が燦燦と差し込み、随分と明るく開放感を覚えた。浴槽は3種類。全てが掛け流し。まずは、40度ほどの中温の浴槽がどどんと真ん中に鎮座していて、ここが一番大きい。早速身体を洗い、浴槽へと浸かる。ほんのりと緑がかったお湯は、匂いこそあまり感じないものの、スベスベとした肌触りが心地良い。この中温浴槽が一番の人気のようで常に多くの人が浸かっていた。

室外には、こじんまりとした露天風呂が設けられている。ここのお湯は先ほどの浴槽と比べると随分と熱い。鼻を近付けるとしっかりと温泉の匂いが香る。あまり詳しいところはわからないが、もしかしたら内湯よりもこちらのお湯の方が新鮮なのかもしれない。あまり長い時間入るには向かないが、個人的にはこの露天風呂を甚く気に入った。

そして、もう一つの浴槽が高温浴槽であるが、ここの浴槽には常に誰も入っていなかった。何故だ?と思い浸かってみると、飛び上がるほど熱い!温度設定の表示を見ると46度~47度ということで、正直ちょっとした拷問である。果たして需要があるのか?あるから設置しているのだろうけれど、最後までこの浴槽に平然と浸かる強者を目撃することはなかった。

その隣には水風呂があり、温度は22度と一般的な水風呂よりも高め。地下水をそのまま掛け流しているということで、元々の水温が高いのだろう。この水風呂がまた実に良い。中温浴槽、露天風呂に浸かった後にこの水風呂へ入り、じんわりと体をクールダウンする。温めなのでいつまでも入っていられる。高窓からは差し込む緩やかな日差し。目に入るのは、昔からの銭湯の風景。嗚呼、世界が平和でありますように……。何だか慈愛に満ちた気持ちにすらなってしまう。この時にはすっかりと草津温泉の虜になってしまった。

露天風呂では地元の老人と世間話を交わした。地元の人間にとっては温泉銭湯が当たり前であること、みんなそれぞれにお気に入りの銭湯があること、最近できた市営の施設などには入る気にはなれないことなどなど、温泉にまつわるあれこれ。その中で、甲府には北と南に2大銭湯があるのだという興味深い話を聞いた。「北の喜久乃湯温泉、南のここ草津温泉。これがここらへんでは有名なんだ」と誇らしげにその老人は語った。「でも、若い人はどこにでも行ける。自分の足で気に入った温泉を見つけなさい」とも忠告を受け、少し苦笑しながらそうですねと返答した。なるほど、喜久乃湯温泉。良いことを聞いた。時間もあるし、折角なのでこの後そちらまで足を延ばしてみることとした。

去り際に老人は意味深な問い掛けを残した。

「急いてはことを仕損じる。これは誰でも知っている。ではその反対は何だと思う?」

「何でしょうか?急がば回れの反対のような言葉ということですか?」

「少し違うな。"急がねば、ことが間に合わぬ"。所謂二項対立っちゅうやつで、間を取ることは本当に難しい。私はその答えがわかるけど、教えないよ。自分で見つけることだ」

年末の甲府の銭湯で、まさかこのような格言を授かるとは思わなかった。世の中には実に色々な人がいて、色々な言葉で溢れている……。

喜久乃湯温泉

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甲府駅の北側、甲府の温泉銭湯の中でも老舗の喜久乃湯温泉は、昭和元年の創業。かの太宰治が甲府に住んでいた当時通っていたという逸話の残る銭湯であり、店構えからも由緒正しさが滲み出ているような気がする。でも、その割にはイルミネーションなんかもちゃっかりしていて、きっと老若男女問わず、地元の方々に愛されている銭湯なのだろうと感じた。

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男湯と女湯の間には昔ながらの番台があり、ここで入浴料を払う。こちらも銭湯価格の430円。脱衣所はまさに昭和の雰囲気そのままの造りで、壁には昭和当時のままと思われる宣伝広告がズラッと並ぶ。果たしてここに掲げられた企業やお店は今もどれくらいが現存しているのだろうか。おまけにロッカーは木造。まさに昭和レトロな銭湯であって、好きな人間にはこの雰囲気を味わうためだけでも訪れる価値があるのではないかと思う。

浴室はタイル張り。こちらも想像するところの昔ながらの銭湯そのもの。真ん中には二つ並んだ丸型の浴槽が設置されていて、その両側の壁にはズラリと洗い場とカランが並んでいる。早速身体を洗おうと思って、カランからお湯を出して驚いた。ここでは何とカランからも温泉が出るのである。ただし、温度調節などはできないプッシュ式のカランであるため、水で薄めながら使用しないと火傷するので注意して欲しい(そう、火傷した)。風呂桶は昔ながらのケロリン。ますます、昭和レトロが加速する。

ここ喜久乃湯温泉には、サウナも設置されている。一般的に銭湯のサウナと言えば別料金であることが多いが、ここでは430円の料金にサウナ使用料も含まれている。先ほどの老人の話では、サウナを目当てに、ここに通う常連も多いらしい。温度は熱過ぎず温過ぎずの適温。木の匂いが心地良い。サウナ後の水風呂であるが、浸かってみると随分と温い。それもそのはずでこの水風呂として利用されている浴槽もまた、非加熱の源泉を掛け流した浴槽なのである。そのおかげか、クールダウンしているはずなのに身体はぽかぽかと温まっていくような感覚がある。これはこれで面白い。

そのまま、源泉を加熱した掛け流し浴槽へ。あまり匂いは感じないが、湯あたりはキシキシとした感じのする温泉。バイブラが効いて底からは気泡がぶくぶくと湧き立つ。身体を伸ばして、ぐだーっと湯に浸かりながら、浴室を一望する。創業当時からリニューアルはある程度しているとは思うけれど、太宰も執筆が終わった後にぼけーっとこんな風にここからこの光景を眺めていたのかと思うと、何となく嬉しくなった。お世辞にも充実した施設とは言えないけれど、積み重ねてきた歴史は何にも代えられない価値がある。利用客も地元のお年寄りだけでなく、僕のように遠方から訪れたのであろう若い人間もいて、この銭湯が愛されていることを改めて感じた。

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草津温泉に喜久乃湯温泉、どちらも甲府を代表する素晴らしい温泉銭湯であった。時間の都合上、今回はこの2つの銭湯のみを回ったが、甲府を含めて山梨にはまだまだ沢山の銭湯が存在している。それにしても、こんな風に気軽に温泉を楽しめるというのはやっぱり県外の人間からすると羨ましいし、もう少し周りに誇っても良いのではないかと思う。以前、甲府出身の友人に甲府の銭湯事情を聞いてみたところ、「銭湯は多いけどあまり行かないね~」程度の反応だったので、地元の人間からすると生活の中の一風景と化してしまっているのだろうなあ。山梨の人ってほかのことも含めてだけど、結構地元に対しては謙虚なところがあるように思う。

次はもう少しじっくりと腰を据えて、色々な銭湯を巡ってみるのも楽しいかもしれない。新年を迎えてまた気が向いた時にでも、ゆっくりふらっと行ってみようと思う。そう、"急いてはことを仕損じる"のである……。