大学生活4年間、多くを部活に捧げた私。その結果。

 こんにちは。コンタクトとか目薬とか、開封後の期限があるやつの期限を絶対に把握できない。開封した日をメモるところがあっても、把握できない。だからたぶん、私のコンタクトは2weekと少しだし、10日間程度の目薬は15日程度の目薬になっている気がします。お医者さんに怒られる前に改善したい。

 はのとです。初めまして。


 卒業シーズンですね。私も例に漏れず。大学生活4年間に幕を下ろしました。まあ、授業とかだけで言えば全然2か月前に終わっていたんですけどね。

 大学生活4年間、2年のときはコロナで何もなかったので実質3年間ですが、あっという間でした。終わるときにはいつもそう思います。終わるまでは、長いなって思っていたはずなのに。始まったときとか、終わるのはずっとずっと先のことって、思っていたはずなのに。


 思えば4年前の4月2日。すべての始まりでした。入学式は1日だけど。2日目、少人数編成の授業を受けるクラスで集まって、教授からの説明とかを受けたあと。偶然その棟の2階上で行われていた軽音楽部の新歓に向かったことが、はじまり。

 当時は、軽音部だけでも5種類くらいあって、その他にも映像研究会とかアイドル研究会とか学祭実行委員会とか、本当にたくさんの団体で迷っていて。全然決められないまま、とりあえず近くでやっていたその軽音楽部の新歓に顔を出したんです。このとき、1番にここに行っていなかったら、私の4年間は全く違うものになったと思います。


 向かった先では、異性がもともと得意ではない上に女子校上がりの私が泣かなかっただけでもお利口と思えるくらい、たくさんの異性の上級生ががやがやとしていました。看板にはお目当ての部活の名称。場所は合っているけど、私、この中に飛び込むの無理かも、と踵を返そうとしたとき。

「うちに来てくれたの? 1年生?」

 1人の上級生に話しかけていただき、私はその輪の中に入っていきました。正直細かいことは全然覚えていないけど、部活の話とか履修相談とかをしているうちに、話し相手になってくださっていた同性の先輩方の空気感が好きで、入部を決めました。

 他の団体は見た? すぐに決めちゃって大丈夫? なんて心配されましたが、その答えは今、胸を張って言えます。私の選択は、大正解。


 1年のときは、コミュニケーションが恐ろしく苦手なせいで、同期とも先輩ともあまり仲良くなれず、いつも決まった同期と決まった先輩とだけ話していました。だけど、私のパートであるキーボードは人手不足だったので、かかわりのない先輩からもバンドに誘っていただき、1年の同期の中では1番ライブに出ている人間になりました。

 とは言え、練習中も、先輩に、異性に囲まれてずっと震えていて、怖くて怖くて仕方がありませんでした。それでも続けられたのは、演奏を見てくれる先輩や同期が褒めてくれるから。話しかけても全然まともな反応をしない私に対しても、根気よく話しかけてくれた人がたくさんいたから。いつからか、居心地の良い場所になっていました。

 そして2年でコロナ禍に入り、送り出せないまま2年分の先輩がいなくなってしまいました。3年生になって部活動が再開されたころには、私は気づくと副部長になっていた。同期ともまともにコミュニケーションの取れない私が、副部長になっていた。


 辛いことも嫌なことも苦しいこともたくさんあって、投げ出してしまおうかと思ったことも数えきれないほどあって。でもそんな中でも続けてこられたのは、楽しそうに活動してくれる後輩たち、そしていつだって側で支えてくれた同期たちがいたからです。

 私は、自分の意見を躊躇わず、そして繕わずにいつなんどきも発言してしまう悪い癖があります。副部長になりたてのころは、ところかまわずトゲをまき散らして、あちこちを傷つけるような言動をとってきました。どうしようもないですね。

 そんなんだから、怖がられることも人生ずっと多かった。だけどね、同期だけは見捨てずにいてくれた。ダメなことはダメと、根気強く伝えれてくれた。私のために、叱ってくれた。

 そんな同期たちがいたから、私は今、人として最低限のものを身に着けることができているんだと思います。最後まで、後輩たちに「いい先輩」と言ってもらえるような人間になれたのだと思います。


 大学生のサークルってさ、正直飲みがメインみたいなイメージがあるじゃないですか。私もそうで、ただでさえ通学に片道2時間かかって、教職課程もとっていて人より授業の多い私は、そんなことに時間を割いている場合ではなかったんです。なかったの。なかったはずなの。

 なのに、4年間を思い出してみると、苦しかったことの大半、楽しかったことの大半は、部活がくれたものでした。私の人生にとって必要だった多くの経験は、部活がくれたものでした。忙しくて他がおろそかになることもあったけど、それでも続けてきたから、私は、人として成長できました。

 卒業しないでって、後輩が駄々をこねてくれるようになりました。


 およそ1年前、私は目標を立てました。

「一年後、後輩たちに、書くことないって言われない四年生になりたい。」「一年後、卒業しないでって、後輩に泣きつかれるような四年生になりたい。」

 おそらく、ある程度の達成はできたのではないかと思います。


 ただがむしゃらにやるべきことをこなして、必死に部活のために仕事をして、一生懸命練習して、そんなことを続けている間に、私の目標、願いは叶っていました。毎日泣きながら帰っていたこと、寝不足になりながら1限に出席していたこと、部を代表して必要のなさそうな会議のために片道2時間かけていたこと、同期とぶつかって後悔したこと。無駄じゃなかった。

 その時は全部全部ずっと辛くて苦しくて、もう何もかも辞めてしまいたいと思っていた。義務でもなんでもない部活のために身を削る必要なんてないのにと、ベッドでずっと泣いていた。でも、責任があるから、せっかくコロナ禍明けで入ってきてくれた後輩に楽しんでほしいから、今ここで投げ出すわけにはいかないと、必死に耐えていた。

 それらすべては、今私が抱いている、あまりにも晴れ晴れとした気持ち、達成感のためだったんだなって、思っています。


 基本的に根性がなくて、何かを続けることが苦手な私。でも、私は、4年間も同じ団体で同じことを続けることができた。環境や状況は常に変化していた。でも、それでも、変わっていくものと変わらないものがあって、どっちも大切にしながら、4年間かけて大切な居場所を作った。

 部活なんて、大学生になってまでやる必要なんてない。ないけど、この間の卒業前最後のライブで、4年のための卒コンで、最後に同期たちとステージに立って、後輩たちの涙を見ながら笑顔で演奏を終えられたのは、そんな部活を一生懸命やったからだと思う。一生懸命やる必要のないことを、一生懸命やっても全然将来に役立たないことを、ただ一生懸命やったからだと思う。

 だから私の4年間は、誰にだって誇れる最高の4年間になったと自負しているし、この達成感は、誰のそれと比べても大きなものだって、胸を張って思えます。


 できっこないをやらなくちゃ。

 やったから、私は、安心して青春を大学に置いていける。晴れ晴れしい気持ちで、4月から教壇に立つことができる。


 4年間お疲れ様、私。

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