私にも守りたいものがあったって話

 こんばんは。昨年のオンライン授業になってから、ホワイトボードを導入しました。月火水木金で枠を作って、その週に出された課題と期限をメモしておくためです。今はオンラインと対面のハイフレックスなのでオンライン用に使ってますが、そこの一番上、曜日とか関係ない枠のところに今でっかく描いてあるのは「夜桜さん読みたい」というただの願望です。

 はのとです。初めまして。

 あ、ちなみに夜桜さんっていうのは、今ジャンプで連載されている「夜桜さんちの大作戦」っていう漫画です。ずっと流し読みで途中からしか読んでなかったんですけど、最近すごい面白くて、初めの方読みたいなと思ってる。


 すぎやまこういち先生がご逝去されましたね。ご冥福をお祈りいたします。


 あんまり他人の生死に関して発信するのは、私は好きじゃないんですけど、今日のトピックに関係しているので冒頭で書かせていただきました。

 私は少年でした。ドラゴンボールとドラゴンクエストで少年期を過ごし、ドラゴンボールとドラゴンクエストで育ったわんぱくな少年でした。ドラクエの世界は、私にとって勇気の詰まった素敵な世界。そこでなら、私は勇者でした。

 当時は何も考えずに、ただゲームとして楽しんでいました。でも、最近になって。本当にここ何年かです。ストーリーはもちろん、その音楽に隠れた大きな魅力に気が付くようになりました。

 勉強中にBGMとして流してみたり、通学中に聴いてみたり。でもね、あんま簡単に聴いてると、軽率に泣いてしまうんですよ。だから要注意な音楽です。

 特にね、ドラクエIIIのエンディング、そして伝説へ、は、何度聴いても、いつ聴いても泣いてしまいます。特にXIの真エンディングを見てからは。あの美しくて綺麗な映像とストーリーがぶわっと蘇ってきて、その都度思いっきり泣いてしまう。それくらい、偉大な音楽です。

 大好きな曲を上げていくとキリがないですが、我が家では母を筆頭に、ドラクエが大好きです。


 そして今日、すぎやま先生の訃報を知りました。

 ここのところずっと体調を崩していて、まあ原因はストレスとか不安とかなのであんまり心配はないんですけど、とにかく体調がすぐれなかったので、午後は寝て過ごしました。SNSは身体にも精神にも悪いのであんまり見ないで、眠りたい眠りたいと願いながら午後を過ごす。

 十五時半を過ぎた頃ですかね。ようやく眠気が来てくれたので、そのまま任せて眠りにつきました。思ったよりもぐっすり寝ていて、起きたら十六時半でした。

 とりあえず部活の連絡は来ていないかと携帯を確認し、そのまま癖でtwitterを開きました。最近は趣味垢として新しいアカウントを作って、暗い話題は入ってこないような平和なタイムラインだけを見ていました。でもね、私の趣味は少年漫画とドラクエ。だから、その悲しい情報は簡単に目に飛び込んできました。

 堀井雄二さんのツイートで、私はその事実を知りました。その他にも、ゲーム業界の方や声優の方、アーティストの方。多くの私の大好きな人たちが彼についてツイートをされていました。

 なんというか、覚悟はしていたつもりだったというか、あんまりむりしないでゆっくり過ごしてほしいとは思っていて、次が最後なのかな、なんて、こっそり思ったりなんかしていて。

 でも実際起こってみると、それはなんというか、受け入れるのが難しいというか、そもそも真実だと頭が認識するのに時間がかかっているというか。今もなんだか嘘みたいで。でも、真実なんだろうなって。

 そう思われたのは、母の涙でした。母は強い人です。私のどんな思いもいつだって受け止めてくれるし、ずっと支えてくれる。いつも文句を言いながらも一生懸命家事をしてくれる、強い人。

 そんな母が涙を流すことは、とっても珍しいことです。リビングに降りたら、目を真っ赤にして鼻をすすりながらカレーを作る母の姿がありました。「お母さん。」私が言うと、母は「見た?」と問います。「うん。」と返すと母は、「コンサート、行けなかった。」と涙をこぼしました。

 何も言えませんでした。

 私は悲しい。でも、母はたぶんもっと悲しい。気持ちを共有することなんてできない。

 そして私はこうも思いました。

 お母さんを護りたい。

 こんなひねくれてて頭も悪くて運動もできなくてすぐに爆発してしまうというとんでもない娘を、ひと時も目を離さずここまで育ててくれた母。いつだって私のために、悩んでいるときは声を掛けてくれるし、落ち込んでいるときは美味しいご飯やお菓子を作ってくれます。

 一緒にお笑いを見に行ったり、漫画やアニメのイベントに行ったり、ディズニーで泣いたり、旅行に行ったり。母はいつでも私の一番そばにいて、きっと世界で一番の私の理解者です。

 中学生のとき、初めて母と言い合いをしたあの日。私の人生20年間で、母と関係が悪くなったのは後にも先にもあのときだけです。そのときですら、母は私を見捨てずに、根気強く待ってくれていました。

 ずっと大好きな母。いつも応援してくれる母。でも、頑張らなくていいんだよって、大事なことを教えてくれる母。誰よりも優しくて家族思いで、頑張り屋さんの母。

 そんな母の悲しみの涙を見て、私は誓いました。私が生きている限り、母がもう悲しくて泣くようなことがないよう、私が護っていくと。もし悲しくて涙が止まらないときでも、私が一番近くで支えてあげようと。

 私は私の家族が大好きです。誇りです。母みたいな強い女になりたいし、母みたいな最強のお母さんになりたい。

 そんな風に思わせてくれてありがとう。素敵な両親のもとに生んでくれてありがとう。私のお母さんでいてくれてありがとう。私が護るから、ずっと笑っていてね。

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