看護職が外資系ITベンチャー企業で働くまでと働いてから

未曾有の感染症の影響で、看護職の離職が後をたたない。

学生時代の地獄の実習を乗り越え、就活をし、卒論を書きながら国家試験の勉強をして胃が痛くなりながら迎えた試験当日。

「国家試験落ちたらただの人」

とか揶揄されながら必死で勉強した。

そうして念願の国家資格を取得し、やっとの思いで夢だった看護職に就いたのに、臨床に出てから辞めたいと願う人が多くいるのが看護の世界だ。


理由はどうであれ、私もその一人。

今日は10年弱産婦人科病棟で働いてきた当時30歳で脂の乗った助産師だった私が、なぜ外資系のIT企業に転職したのか、転職してどうだったのかという話をしたい。


そもそもなぜ転職したのか

ここでは簡単に転職しようと思った理由を述べたい。

「新しい世界に飛び込みたい」

これが私にとっていちばんの理由だった。

それまでの私は社会人生活の全てを助産師という職業に費やしてきた。助産学というものは奥が深く専門性も非常に高い分野なので、やってもやっても飽きない。

助産師の仕事は楽しく私の内面を豊かにしてくれるものだった。しかし、あまりに狭く深い分野ゆえ、他の世界を知らない自分がふと怖くなった。

年齢も30歳。全く新しい世界に飛び込むには最後のチャンスなのかもしれないとも思った。

今思うには全くそんなことはない。30歳でラストチャンスなんて、人生100年時代に甘えるなと言いたいが、その時はそんな焦燥感に似た思いを抱いていた。


転職活動の実際

そんなこんなで転職することを決めたが、何をしたいのかがわからなかった。だって助産師の仕事が好きだから。他にやりたいことは明確ではなかった。

だけど唯一、持っている国家資格で活用したことのない「保健師」の仕事には興味があった。

さらに当時2歳の娘を育てていたが、月に5〜6回の夜勤、土日祝日関係のないシフト、連日の残業で娘との時間は極少なかった。

ワーママにとって小さい我が子との関わる時間の確保は隅に置けない問題である。

そこで私は

・保健師業
・子どもとの時間が増やせる

この二つを軸として転職活動をすることにした。

求人探しはネットで適当に探しただけだったが、保健師での求人は業務委託での保健指導の仕事が数件あるだけで超少ない。

それまで夜勤ありのフルタイム助産師で働いてきた収入に匹敵するものは見つからなかった。

条件で探しても見つからないが、興味を持てる企業が一つだけあった。

それが外資系のヘルステックベンチャー企業だった。

条件は

・業務委託スタート
・報酬は歩合制
・在宅勤務
・社員登用実績ほぼなし

全くもって不安定。

個人事業主になったこともなかったし、在宅勤務もしたことはなかった。

転職した後のことは全く想像できなかったが、絶対この会社で働くべきだと思った。こういう第六感に従おうとしてしまうのは非常に助産師的だと自分で思う。


先のことは受かってから考えようと思い、応募。

書類選考でまさかのビデオ審査。

5分ほどの自己PR動画を作成してYoutubeに限定公開してくださいとのことだった。

これは入ってから知ったが、大半の方はこのビデオ審査で怖気付いて辞退してしまうとのこと。かなり篩にかけることができるらしい。業界内でも珍しい手法だと思う。

ビデオ&履歴書の審査が終わったら面接3回を経てオファーをもらえた。


ビデオ審査もさることながら、看護の世界では3回も面接があるのは珍しい。それも全てオンライン。当時Zoomの使い方もよくわからないままスマホを横に傾け、100均で買った三脚で固定して面接を受けた。

あぁ私は異なる世界に飛び込もうとしているんだなと実感した転職活動だった。


参画してからは壁だらけだった

外資系のベンチャー企業で働く現実は、今思えば壁だらけだった。

まず収入面。歩合制の業務委託だったので、最初の月の報酬は4万円だった。助産師としてうん十万円の収入を毎月得ていた私にとっては驚愕の数字だった。

このままではいけないと思い、仕事を自ら取りに行き、報酬額の見直しのタイミングも直談判した。

もちろん前のめりなだけではなく、会社が何を求めているか?を常に考え、役に立つ人材になるよう努めた。看護職は協調性が高い人が多いので、この辺は得意な人も多そう。

結果、半年後には社員になり、前職と遜色ない収入にまですることができた。

今まで待ちの姿勢でしか仕事をしてこなかった私にとって、自ら動いて仕事をしていくことは簡単ではなかったが、やればやっただけきちんと評価してもらえるのは大きな原動力になった。

転職当時に軸にしていた「保健師業」と「子どもとの時間を増やす」の目標はどちらも達成されていたし、申し分ない環境を作ることができていたと思う。

ただ、小さい外資の会社なので、いつ会社がなくなるか、「日本人、いらない!」と切り捨てられるかという覚悟はいつ何時も持つべきだろうと思っていた。

環境が整うと忘れてしまいがちだが、病院のように安定した基盤の上で成り立っている仕事ではない。

油断して成長が止んでしまったらそれは衰退と同じ。常に成長させ続けなければいけないプレッシャーや、慣れがこない環境は楽ではない。


それでも転職して、病院以外の場所で働くことができてよかったと思う。またあの頃に戻ったとしても、私は同じように転職をすると思う。たとえ月給4万円になろうとも。そのくらい有意義な転職だったと感じている。


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