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分かり合おうとすることが、人生を豊かにする。

グローバル化が進んでいるはずなのに、人々の心はどんどん内向きになっているように感じることが最近多いです。

インターネットであらゆる場所の人と繋がれる時代。国境がなくなってもおかしくないのですが、実際は世界が独裁に傾いているように見えますし、インターネットの普及で「出る杭を打つ」ような行為もエスカレートしている気がします。実際、コロナ感染者への誹謗中傷も、まるで犯罪でも犯したかのように酷かったり。

先日、職場にこんな電話がかかってきました。
「アパートの隣に住んでるベトナム人が、友人を集めて騒いでうるさくて困る。そもそも外国人なんて入国させるから、こうなるんだ。日本に来たら、日本のルールに従ってもらうべき。そうじゃないなら出ていけばいい」 

こんな電話がかかってくるようなところで働いているわけですが、「お隣の方とはお話しましたか?」とお聞きしたところ、「外国人は怖い。話したくない」とのこと。

こんなとき、私は哀しい気持ちになります。

もしかしたら、隣の人は日本の文化を知らないだけかもしれないですよね。
知り合いのベトナム人技能実習生曰く、「会社とアパートの往復で日本コミュニティとの関わりがない」とのこと。
日本人同士ですら、隣の部屋の人の顔を知らないくらいですから、大いに有り得ることと思います。

つまり、お互いに自分の常識をもとにそれぞれが別々に暮らしているだけなのです。 

実際、ベトナムでは、週末にたくさんの人が家に集ってパーティーして、食事やカラオケをするのが一般的なんだそうです。皆そんなものだと思っているので、特に隣がうるさかろうと気にならない。むしろ、知らない人でも参加しちゃうらしい。

確かに日本人からすれば、アパートでカラオケなんて信じられない、となるわけですが…。

そもそも、日本人というのは結構特殊です。
よく「外国人は声が大きい」と言う人がいますが、違います。日本人の声が小さいのです。海外に行くと、普通の音量で喋ったらだいたい聞こえません。
だから、「大きな声を出さないで」という呼びかけも、どの音量をベースにしているのか、というのを考える必要があります。

もちろん「郷に入ったら郷に従え」という考え方は多少あるかもしれません。

でも今は、グローバルに人やモノや情報が飛び交う時代。寛容性を持って柔軟に流れに乗って変化していく姿勢が何より大切ではないでしょうか。

私の知り合いのベトナム人は皆、仲間や家族をとても大切にします。お互いに助け合うのは当然だし、困ってたら見てみぬふりはしないと思います。

なので、お互いが寛容性を持って関わるきっかけさえあれば、災害のときなどは、むしろ助ける側に回ってくれる可能性も高い。

生活や文化が同じ人とだけ過ごして、違うものは排除する。意見が同じような人のコメントだけ読んで、その中で交流する。
それは、批判されることもすることもなく、楽かもしれない。

でも、異なる意見や文化を持つ人と交流して話を聞き、分かり合おうとすることで、人生の幅はずっと広がり、豊かになると思うのです。
それは国籍、性別、価値観、何に関しても同じ。
私はこの世界が、多様性に富んだ彩りあるものであってほしい、そうなってほしいと、いつも願っています。

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