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ジェンダー平等不要という人たち。

様々な意見の人がいると思うので、先に書いておきますが、私はジェンダーフリーを推進する立場をとっています。

総ての人間(ひいてはこの世界のあらゆる生命)が、生物学的な規定に囚われることなく、個々の多様な価値観を認めあい、能力を活かしあって共存することが理想です。
決して「男女平等とか言うなら、女も重い荷物持って当然だ」ということではなく、「性別に関わらず、重い荷物持てる体力のある人が持てばいいよね」という考えです。

先日、「ジェンダー平等がなぜ必要か全く不明」と言う方と話しました。

彼女の意見はこうです。

男性と女性には、生物学的にも脳科学的にも明らかな差がある。
男性には、生まれながらにして金を稼いで家族を守るという使命がある。
女性は、子を産み育てるのが与えられた役割である。
女性の管理職が少ないのは、女性自身が望まないから、あるいは男性と比べて経営能力が劣っているからであり、当然の結果。
男性が家事育児をしないのも、男性が女性と比較してその分野で劣っているからであり、よりその点で優れている女性が行うのが当然。
よって、既にジェンダー平等である。

たまに、こういうことを思っているっぽい(はっきりとは言わないが)人がいるのはわかります。
特に「管理職が少ないのは~」あたりのところは、女性でもそう思っている人が結構います。
アンコンシャスバイアスに絡めとられてるよ、と言うんだけど、なかなか伝わらない。
そのくらい、バイアスが社会全体に掛かっていると理解していますが。

でも、私はこう思います。

例え多数の人が別に問題ないと言ったとしても、それをもって対応しないということはありえない。

なぜならそれは、特に生きる上で壁を感じたことはなく、何の問題もなく恩恵を享受でき、壁の存在にも気づいていない人たちの意見だから。

先日、FTMの方からこのような話を聞きました。

「ほとんどの人たちの目の前には自動ドアがあり、いつも通る前に開くため、ドアがあることにすら気づいていない。でも、それは私たちには開かない自動ドア。私たちは生きていく上で、毎回ドアをこじあけるという、途方もない作業をしている。それを理解しようとしてほしい」

ジェンダー平等不要論(というか、彼女に言わせるとすでに平等)を唱えている彼女は、社会的地位は高く、非常に恵まれた立場にあります。もちろん、その立場を手に入れるため、努力もしてきたとは思います。

でも、私たちが持っているものの中で、自分で勝ち取ったものってどのくらいあるんでしょうか。

多数の人が生まれながらにして持っているものを、持っていない人がいる。
男性が社会的に初めから手にしているものを、女性は勝ち取らなければならない。
女性が手にしているものも然りですが。

色々な人がいて、いいじゃん。
多様であればあるほど、世界は面白いよね。
思い込みに囚われることなく、個人個人が自分の特性を活かして輝ければ素晴らしいよね。

そういう寛容性をもって、物事を観たいし、観る人が増えればうれしいです。
そのためには、ジェンダーに基づくアンコンシャスバイアスを取り払わなければならないと思うのです。

全く違った意見を持つ人と協調することって、人生の幅を広げてくれるとても素晴らしい機会です。
なので、引き続き彼女とは話をしていきたいなと思っています。

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