【Twitterまとめ】「毒親との関係は、必要な関係だったんですよ。」などという『暴力的ポジティブ』について
毒の親関連の話題が多い人間ですが、定期的に頂くコメントで破壊力のあるものはですね。
「その毒親が居たからこそ、辛い経験があったからこそ、今の貴方があるんですね。必要な経験だったんですよきっと。」
てやつです。
ナイフで心臓刺されたみたいになるから辞めて欲しいですはっきり書きますね。その人は、多分『貴方のことを肯定してあげたい』なんでしょうけど。私は機能不全家族でなければ出来たことを常々色々考えてるし、人生がこんなに回り道にもならなかったし、背負わなくていい負担としか思ってない。私ならば、これは絶対に他人に向かって言えない。この言い回しでは、相手本人だけではなく毒親の所業も肯定する結果になるから。
許さなくていい、という、スタートラインに必死になって立ったAC気質の人に、それを投げつけるのは酷だよ。
この部分、説明難しいね。
その人に何らかの試練がある時、原因まで丸ごと肯定する無責任は、な…。今までこの言葉を受ける場面を沢山経験したけど『そう思えない、肯定できない自分を責めるしかない』に思考が揺らぐから、不安定にしかならなかった。もしもこんな無責任な発言を受けたら、その人からは一旦離れた方がいいや。
神が与えた試練思想は、毒親とかモラハラDVを受けた人には絶望しかもたらさないのではないか?私はそう思ってる。親がたちの悪い毒だった、配偶者や恋人がモラハラDVだった、優しい人だったから逃げられなかった。逃げる術もなかった。人には色んな事情がある。沢山の葛藤と不安と恐怖を経験してきたことなんて、外見からは分からない。
私は機能不全家族の中で育った。実家とは既に絶縁した。ここに至るまで地獄のような時間を過ごした時期もある。自身が経験してきた困難は「そんなもの私の人生に必要なかった」としか思わないし思えない。友達の家みたいに、普通の家がよかった、困ったときに味方でいてくれる人が側にいてほしかった。そんな埋められない寂しさを一生抱えながら、一人で生きて何とか自分を育て直し、人よりかなり回り道をして今やっと、認知の歪みを自覚しつつある。自分の問題点を明らかにして対処するために何十年も費やしてきた。
「必要な経験」ではないよ。
こんなもの無くていい。他人から、特に家族や肉親から心をズタズタにされる経験なんて無くていい。それを言う人は宗教家?もしくは浅はかな人かなと思うくらい。私は無理です。うまく説明出来ないなあ。
『大変でしたねお察しします』が言われて心地よいし自分も使うよ。なにか辛かった困難な経験をした人に言葉をかけるなら、その人が困難とどんな向き合いかたをしてるかで状況は違ってくる。
その人を肯定したければ、事情をよく知らないことに言及しない「辛かったね、お察しします」は、温かい言葉だ。他人の人生に簡単には踏み込めない、自分自身の人生も複雑だから。無責任に踏み込めない。皆それぞれのスタンスで頑張ってるから「よくここまで生きてきたな!」って、本人の努力を称えてあげたらいいんではないかなと、考えている。
言葉で殴られ続けて、言葉で殺されながら、生き抜いてきた毒親クラスタとかその類似カテゴリに属する人は、やっぱり言葉に過敏になることは仕方ない事なんだよ。私は、しんどいと感じたら気軽にブロックしながら生きてる。そんな性分だから仕方ない。心地よい距離感で生きるのは難しいけど、大切なことですよ。
「その毒親が居たからこそ、辛い経験があったからこそ、今の貴方があるんですね。必要な経験だったんですよきっと。」
相手が善意のつもりだからこれも私がよく書く「暴力的ポジティブ」の1種だな。心からの善意のつもりでかけた言葉が、実は相手を死の淵まで追い詰めかねないこともある。
「そんなこと言ったら何も話せなくなるではないか」
と言われそうだけどさ。その人の背景に言及するときは慎重に、みたいな話でなぁ。この概念は言語化難しいね。肯定する範囲は、悩めるその人自身が決めたらいいよね。他人に言われる事じゃないよ。誰かに好き勝手に自分の人生評価されるなんてたまらんわ。
以前、バズった自分のツイートを読みやすいよう、繋げてテキストとして残しています。(誤字脱字の修正と文章の微調整をしているのでオリジナルを多少改変しています。)
投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。