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あなたとわたしと、ホッチキスと

(ああ、)
いまか、息を吐く。
ため息にも満たない、小さな。
でも、確かな絶望。

今じゃなくていいのに。
今日中にこの書類を片付けたかった。
微熱と頭痛で、集中力を欠きながら、必死にもがいていたのに。
わたしは諦めて、手を止める。

ホッチキスの針がなくなった。
ただそれだけのことなのに、わたしは動けない。

このホッチキスは最近使うようになって、針を替えたことはない。
いや、そんなのは言い訳で、ホッチキスの針なんてもう何年も替えたことはないではないか。

オフィスの備品棚に、替えの針があることはわかっている。
手に取ってはめ込んでみようとしたものの、元がどう入っていたかわからない。
不器用でまぬけなわたしは、「前例と同じように行う」ことで、何度も乗り越えてきたというのに。
元がわからなければ、もうどうしようもない。
もうだめだ。

わたしはそれはもう、潔く諦めることにした。

「忙しいところ、ごめんなさい…」

本当に申し訳ない気持ちと、「だってできないんだもん」みたいな幼稚さ入り混じったこの声が、相手にどう届いたかはわからない。
でも、その人はすぐに振り返ってくれた。

「ホッチキスの針が、うまく替えられないんです…」

言葉にしたらずいぶんまぬけだったけど、不思議と気持ちは軽くなった。
たぶん、その人が振り返ってくれた時点で少し救われていたんだと思う。

「ああ、これ。わかりづらいですよね」と肯定してもらえてほっとした。
「サイズも似たのが2種類あって…」と、備品棚に歩いてゆく後ろ姿を、わたしは静かに見送ることしかできなかった。

正しい社会人としては、「ちょっと時間が掛かって、自分の作業の手を止めてもホッチキスの針の替え方を覚えて、次からひとりでできるようになる」という行動が正しい。
と、わたしは思うけれど、身体も頭も動かなかった。

「できましたよ」と渡されるのと同時に、
「ごめんなさい。針も替えられなくて…」
あなたの手を煩わせて、きっと次も助けてって言っちゃうよ。
わたし、ぜんぜんだめだよ。
情けないなあ。

「いいよいいよ! 針くらい! また替えるよ」

その声が、明るく響いたことを、わたしは一生忘れない。

理想の自分とか、あるべき姿を、無意識のうちにも思い浮かべながら生きている。
少なくとも、ホッチキスの針を替えられる人になりたかった。
一度教えてもらったことは、覚えるように努めたかった。
そういう人で、ありたかった。

だけど、たまにはいいよね。

こうして、ぐいっと寄り掛かって助けてもらうことがあっても。
いつかはひとりで、できるようになるから。

助けてもらうことも
きっとあなたがわたしを「助けてあげる」ことも
こうやって少しの時間、笑い合ったことも
意味があったよね、悪くなかったよね。

いつも、ずっと甘えてばかりじゃいられないけれど。
「理想の自分」とか「あるべき姿」の形そのものを、見失わない限りは
ちょっとくらい遠ざかったって、ひとりでできなくたって、助けてもらうわたしだって

いいよね。
そうだよね。

そんなふうに頷いた午後。
「いいよ」と笑う声の、明るい響きを
わたしはこれからも大切に生きていくつもりでいる。





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