服さえ着ていれば
「恋愛がね、できないんじゃないかと思って」
スターバックスの、オレンジ色のひかりの中でつぶやかれた。
一日かけて、何時間も語り合ったあとで、我々はようやくこの話題にたどり着いた。
意図的に、触れないようにしていた話題だった。
なぜだか、言うべきではない、と
不確かなのに強固な警笛が響き続けていた。
言いたいようなことがあったら、言ってくるだろう。
そう思って、何年経っただろうか。
「え、いいじゃん。べつに」
なにも考えずに出てきた、それはもうとびきりの大安売りみたいな言葉だって、嘘じゃなかった。
もう少し、気の利いたことが言えたらよかったのかもしれないけれど。
満たされているのだと思う。
目の前のやさしいひとは。
べつに、恋愛がなくても
満ちている。
そしてわたしを、愛してくれている。
だから、「愛のない人」なんかじゃない。
「足りない人」なんかじゃない。
自慢の友達だ。
誰にだって紹介できる。
わたしもまた、愛している。
ただ、それだけのことだった。
でも、空気がほんの少しだけ厚くなったのは
「よくないこと」の匂いだったと思う。
「恋愛ができていないことが、よくないこと」と
目の前の人は、どこかで思っているのだ。
わたしには、それがわかった。
そんなことないよ、と言いたかった。
でも、男と暮らすわたしの言葉は、薄く途切れていった。
*
そんなことないよ、といまでも思っている。
わたしは時折、あの夜のことを思い出す。
「よくないこと」の匂いは、時折漂う。
このあいだ「趣味がなくて」と言ったあのひとからも、その匂いがした。
「こんな年でアルバイトなんて」と言ったわたしもきっと、同じ匂いがしていた。
足りないものを数えるのは、簡単だ。
なぜだか、簡単だ。
そこに存在しているものと、存在していないものを数えるのであれば、前者のほうが簡単だと思われるのに
圧倒的に後者だ。
それは、物質以外に限る。ということだろうか。
あのひとは恋愛ができているのに
あのひとは多趣味なのに
あのひとはバリバリと働いているのに
わたしは、できない。
*
「服をさ、着てなかったらやばいじゃん?」
次に、あの匂いがしたらそう言うつもりだ。
「服着ずに外出たらいけないじゃん」
家の中だったらいいけどさ。
外はだめ。
犯罪。
犯罪だし、誰かに不快な思いをさせる。
そして、愛する人が悲しむ。
悲しむっていうかなんていうか
もう、最低だ。
「じゃあさ、恋愛できないことは?」
*
7月25日の夕方
スーパーの入口で取ったメモには、確かにそう書いてあった。
みんなが当たり前に服を着ているのを見て、そう思った。
みんな服を着ているけど
一人のひとも、家族連れみたいなのも、子供も、おじーちゃんも
スーパーには溢れている。
共通点は、みんな人類であること。
カゴに商品を詰めて、お金を払うこと。
あと、服を着ていること。
それだけだった。
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