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なんとか病

病の話、と言っても
最近流行っている病の話ではない。

この言葉を、病を自覚したのは、30を過ぎてからだっただろうか。
そのときわたしはまだバンドをやっていた…ような気がする。

なんだか頑張りたいけどだめな気がする、という時期を
おそらく1ヶ月程度過ごしていた。よくある話だ。
そして、よくある話として、ふいにやる気を取り戻してゆく。
わたしはそういうのを、飽くことなく30年以上繰り返している。

だめな気がする、と思っていた。
何かが違う、と思っていた。
どうしていいかわからなかったんだと思う。
わたしには、地図も目的地もなかった。

今も大して状況は変わっていない。
地図も目的地もないけど「歩き出そう」と決めたのだ。
しかるべきときに備えて、
自分の引き出しをひとつでも開けておこう、と。

「じたばたしようと思う」というのは、
少し前のやる気のある時期に、わたしが言っていた言葉だ。

やっぱりわたしは変わっていないので、
地図も目的地も持っていなかった、あの日も
でもやっぱり違う、どこへいっていいかわからない
「どこかへ行こうとしよう」
それを、「じたばたしよう」と言った。

いまもまさに、その状態だ。
仕事から帰って疲れている暮らしは、延々と続けられる。
が、やっぱり嫌だ。このままじゃ違う。
だいたい、やりたい仕事かどうかはさておき、仕事って疲れる。
いやもう、生きてるって疲れるのか…
はたまた、わたしがおふとんを愛し過ぎているから、おふとん以外のすべてを排除しようとしているのか…

とにかく、じたばたしている。
行き場は特に決めていない。
ブログもピアノ日記も、コピーも、音楽と映像の作品(と呼べるかわからないけど)も、
とりあえず100回頑張ってみてから決めよう、と思っている。
足掻いている、じたばたしている。

頑張ることでしか安寧はない、
というのも、30を過ぎたあたりで気づいたことかもしれない。
「何かやらなきゃ」という不安を排除するには、
「何かをしよう」と動き出すしかない。わたしは
「何もしない」ことに安寧がないからだ。

最近は、「とにかく出す」をテーマに
ほんっとうに、いっちばん低いラインで許せるクオリティのものは全部公開している。

今日は何を作ろうか
帰り道にそんなことを考えながら、わたしはあの病のことを思い出した。
二十代のころ、わたしを蝕んでいた病だ。

それは、「ライブをすれば安心病」だった。

二十代は、バンドという形態にこそこだわっていなかったけど
ライブをやる、ということを大切にしていた。
可能なライブは全部受けていた、と言っても過言ではない。
おそらく、最盛期には年間50本に近かった気がする…いや、30本くらいかもしれないけど。

月に2〜4回、
週に1回のライブ、たまにライブがない週がある。みたいな

就職という道を選ばなかったことを後悔していない。
でも、何かが欲しかった。
「音楽をやっているから就職をしなかった」という免罪符。
そしてその「音楽をやっている」というのは、「ライブ活動をしている」にイコールになる。ことがあったり、多かったりした。

もちろん、その中でCDを作ったり(実は22歳から30歳のあいだで、6枚のCDを作ってる。結構がんばった)、ワンマンや企画、曲作りもしていた。
でもやっぱり、どこかでライブが主軸だったし、ライブに甘えていた。

もちろんこれも後悔していない。
駆け出しのころ、「同じ曲でもライブを続けてみなさい」と言われたことは、大きな励みになったし、結果も得た
近年、弾き語りで駆け出したときも、その人の言葉を思い出して、支えてもらった。

でも、いまの「じたばたしている」は、
ただ、ライブを重ねて、「音楽活動をしているつもり」になっているのと
もしかしたら同じではないか。
違う、と言い切れるのだろうか。
作品を世に出して、なんとなく安心しているだけではないだろうか…

わたしは何者だろうか
何者、になりたいのだろうか

違う、と言い切れない、答えもない。
それでも、今日もわたしは身を削っている。
特に、言葉はがりがりとわたしを削ってくる。(痩せればいいのに)

それでも、
それでもわたしは、「ここはちがう」「ならばどこかへ行くしかない」
その気持ちひとつで、進もうと、これで進んでいるかの確証がなくても
手を伸ばそうと思っている。

もしかしたら、これは例の病かもしれない。
それでも、
「答えがあるから進むのではない」と、
「何も手に入らなくても、手を伸ばし続ける」と
誓ったわたしを信じて、誇って、励ましていきたい。

また次の作品を、作ろうと思っている。

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