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松永さんの場合は、

さっきまで、「もう22時になってしまった」というエッセイを書いていた。
眠すぎて、ぜんぜん先に進まなくて、下書きにして画面を閉じた。
眠すぎるときと、お腹が空きすぎているときは、どうしても書けない。

けれども人生の大半というのが、眠たいかお腹が空いているものだ。
やる気に満ち溢れている瞬間は刹那。
眠くもなくて、やる気もあって、具合も悪くない瞬間なんて、奇跡みたいな話だと思う。

そんなどうしようもない(だいたい眠い)のわたしが、noteの毎日更新を1400日を迎えようとしている理由は、ピアノしかない。
ピアノは弾ける。眠くても。
けれども面倒。
いま組んでいる足を椅子から降ろして、電子ピアノとスピーカーの電源を入れて、GarageBandを立ち上げる。
ここまではまあ、座ったままできるのだけれど、作業用のヘッドフォンは立たなければ届かないところにある。
もうムリ。

こういうときは、どうしようもないことを書きたい。


都合よく「どうしようもないネタ」が思いつくわけもなく、仕方がないのでネタ帳をさかのぼって9月23日までやってきた。

松永さんの場合は、

2023年9月23日 23:48

これがなんのために、いつ書かれたことか覚えていないけれど、なんだかいいことだと思った。
きっと、やさしい人が、そんな言葉をかけてくれたのだと思う。
「松永さんの場合は」、他の誰かと違う答えを。


例えば、世界は明るくて、やる気に満ち溢れて、三食ごはんを食べて、規則正しく暮らして、毎日仕事に行って
なんだかそういうふうなものに、ひとつも当てはまれなくて。

「松永さんの場合は」
で、いいのだと思う。

誰の場合じゃなくて、誰と同じルールブックじゃなくても、みんなが違うと言っても
松永さんの場合を、貫けばいい。

眠たくて、書けなくて、ピアノも面倒で、
そういうとき、松永さんの場合は。
「あした、noteを更新しなかったという罪悪感と向き合うのが面倒」であり
「やっぱり、ピアノの準備が面倒」なので、どうしようもないものを書く。
で、いいじゃないか。


そう遠くない……と言い切れるか微妙なラインの目標として、「デスクを新調したい」というのがある。

姿勢をよくするために、パソコンの位置を高くしたり、デスクチェアの上にクッションをおいてみたり(結局そのうえで足を丸めていたり)するのだけれど
ニトリのあのデスクの心地良さが忘れられない。

それは子供用の、ピンクの学習机と小さな椅子で、わたしのからだに信じられないくらいピッタリだった。

友達(男ふたり)を座らせてみたら「窮屈」という感想で、
なるほどわたしの身長(148センチ)で椅子と机を選ぶならば、成人用じゃダメだったんだ。
逆をいうならば、子どもサイズのわたしが、毎日成人用の椅子に座って、むりな姿勢で背伸び(窮屈)をしてるってことなんだよね?

ああ、はやくデスクを新調したい。
ついでに、ベッドも子供用に変えたい。
ベッドの上下がずいぶん余っているのには昔から気がついていて、けれども「そういうもんか」と諦めていて
でも、あの無駄な部分が消滅したら、部屋はずいぶんとスッキリする気がする。


そんなふうに、松永さんは今日も考えている。

世の中のアレコレを、毅然と無視して
けれども、人間の仮面を被り、常識をわきまえたように振る舞う。
人に迷惑をかけないことは大切で、その”迷惑”も、人によって違うから難しい。
松永さんの場合の迷惑と、あなたの場合の迷惑が異なるから、そこは間違えたらごめんねなんだけど

どこかで周りと比べて、しっかりしなきゃとか、寝過ぎとか
言ってしまえば、「成人用の椅子にきちんと座る」ことが正しいと、疑わずに生きてきてしまったけれど

松永さんの場合は、子供用の椅子に座りたい。




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