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人が好きなアタシのはなし
3月になって、少し変わった動きがある。
それは人と会うことで
それも、「今までは二人で会う機会のなかった友達」と、お茶をしている。
「友達」の定義付けは難しいかもしれないけれど、
紆余曲折あったところで、「二人で楽しくお茶ができた」「ぜひまたしゃべりたい」って思ったら、結果論で友達だよね。
ということで、友達と会っている。
まったくの不安がなかったといえば嘘かもしれないけれど、かなりデカイ”大船”に乗ったつもりで、わたしの心はふわっと軽く、話しているうちに話題に尽きることはなかった。ずっとオモロイ。今まで接点が少なかった相手は未知で「なんか目の前に珍獣いる。オモロ」みたいな気持ちで……相手もたぶんそう思っていただろうな。そういう相手がやっぱりオモロイんだよな。
二人と話していて、自分の中の答えが定まって
「わたしは、人が好きだと思う」という言葉が、するっと出てきた。
でも”対象とする人”の範囲がちょっと狭くって、人間なら誰でもいいわけじゃなくて、「コイツいけそうだな」つまり「オモロイ」オーラがある人を見極めることがちょっと得意で、選び抜いた「友達」、目の前にいるアナタに、興味がありすぎる。全員にインタビューしたい。
信じてもらえないかもしれないけれど、昔は人見知りで
だって、会った人と何話したらいいかわかんないし。
っていうか、話す必要ある!??っていうのが本音だったんだけど。
いやあ、人間はオモロイ。今ならわかる。
当時の人見知りっていうのは、「話す必要があるか(気が合うかどうか)わからない」相手と、強制ミッションのように話すのがイヤだったんだよなあ。と思う。話さないと気まずい空気というか。
いま、わたしの友達はきっと、話さなくても気まずくない人だと思う。今日も、本屋ではペラペラ話したり、勝手に見たいところを見に消えたり、かなり好き勝手にやっていたのが心地よかった。
あと、「一対多」のシチュエーションが苦手で
今でもこれができるのは、ごく親しい間柄(たぶん、大学の同期くらい)で、それ以外はちょっとドキドキしてる。「みんなに聞いてもらうような話はゴザイマセン」などと、勝手に縮こまってしまう。うーん、最近は善処したりしてきたかな。
たぶん昔は「地雷がわからない人と話すのが怖い。踏んでしまったらどうしよう」という恐怖が大きくて、直近は「アタシの話なんか大したことないワ」と蔑んだ時代を乗り越え、みんながヨイショヨイショと、わたしの心に栄養を与えてくれたので、人間らしくなれた。気がしている。
少し前なら「迷惑かも」と思う瞬間に「いやいや大丈夫っしょ!」と思って突っ込んでいったり、今日も夢の幾つかをサラッと「やってみたいんだよね〜」と話してみた。ちょっと前のわたしなら「どうせ無理だから言わんどこ」って思ってたヤツ。
話してみたら「実は同じような話があってさ〜〜〜」と道が開かれて驚いたり(えっ、これ言わなかったらエンカウントしなかった案件!??)
「迷惑かも」の先も、案外有難がられたり……世界って優しいんよ。アタシより、ずっと。ひねくれていない。そう思って、最近は安心して過ごしている。
だからまた、「いろんなひと」と話したいなあ、というと乱暴なんだけど。みんなと話したいわけじゃないから。
話したい人には声を掛けて
それがね、存在の証明っていうか
存在を証明する意味があるかわからないんだけど。
インターネットという交友手段がなくなって、例えば明日Xが消滅して、その翌日にLINEが消えたりしたら、アタシけっこう孤独だな。と思って。
孤独でも生きていける、といえばそうかもしれなくて、それも乱暴かもしれなくて
例えばそのあとの時代に、電話とか伝書鳩がたくさん使われるようになって、SNSの「みんなへ」宛てじゃなくて、「あなたへ」宛てる時代が来るとしたら
……そういう時代に備えているっていうと、なんだかオカシイんだけど。そういうことかもしれないな。って思ってる。
人が好きで、オモロくて
それを少しずつ書いて、誰かに届けて
今日会った友達は「人の具合の悪い話を聞くのが嫌いじゃない」って言っていたのが印象的で
「だって、いろんなケースを知っておくと、自分にも他人でも寄り添えるでしょ」ってサラッと言われて、すげえええって思った、その感動をここに残せば、次の誰かに、明日のアタシに、繋がってゆけばいいなあ。なんてね。
数年前まで「年に複数回会う(気兼ねなく連絡できる)友人は、3,4人」だったのだけれど、
これからはもう少し、雑に、とか乱暴に(こういうのも、わたしのいいところだって教えてもらった。たぶん、ザラザラした感じ。ムリヤリ丁寧にしなくてもよさそう)、人を好きで、声を掛けて
いま、LINEの自己紹介部分?みたいなところ、ひとことコメントに「気軽に誘うから、気軽に断って」って書いてる。
そうそう、昔は「誘われたら断れない」って思ってたの。
でもいまは、休養日に誘われたら予定あるって断ってる。休養も家事も、予定って言えるようになった。
相手にも、そんなふうに気軽に思って欲しいな、と思って。「誘う」のハードルをぐいぐい下げて
どうせ、ひとりでいると眠ってしまう人生だもの。
話をしよう。
わたしという人間のレベル上げに、人生のオモロさに
どうか、付き合って欲しい。
最近は、そんなふうに思っている。
▼久し振りの著者近影
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まゆさんも、最近お茶をするようになったお友達。
なんだか、10年来の友人のような気楽さで有り難い(タイプは全然違うのに!!)
そうそう、こんな感じ。
今まで、「お節介かな」「迷惑かな」「言うほどでもないかな」と思いとどまっていたところで、思い切って声を掛けるようにしている🙌
— 松永ねる (@hangloose_5) March 12, 2024
わたしは言葉に救われた
わたしの大切な人たちは、そんなことで気分を害したりしない
面白い未来は、出会いと言葉の先にあるって思う☺️
photo @petrich__or pic.twitter.com/4u5fKtVkB6
▼友達を”猟”するわたし
わたしとおしゃべりしてくれるひとはこちら▼
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