救いのような目眩
なんだって、”ずっと”はしんどい。
ずっと頑張ることは苦しい。
ずっと休み続けて、何もしないことは、罪悪感になることもある。
ずっと一緒にいれば、ひとりになりたくなるし
ずっとひとりでいると、誰かに会いたくなる。
“ずっと”というのは、
幸福の匂いを漂わせたまま、とても過酷なことだと気づいたら、目眩がした。
どれほど楽しい時間も、
ずっと続けば飽きてしまう自分に
疲れてしまう自分に
億劫になってしまう自分に
うんざりしてしまう。
抱えている幸福の大きさが、ときどきわからなくなる。
でも、”ずっと”はやっぱり過酷だと思う。
幸福になることも大切だけど、それを維持することも大切なことよ、と
笑ってくれた友達の声が、やさしい耳鳴りみたいに響いている。
大好きなお菓子を毎日食べ続けたら、
わたしはそれを、好きでいられるだろうか。
それでもどうか、
馴染みきって、洗い古したTシャツみたいになった日常に
思い出したように、きちんと感謝していきたい。
でも、すなおに”ずっと”の過酷さを認めることができたなら
それは、気の遠くなるような
救いのような、目眩なのだと思う。
【photo】 @TripGirrrrl
https://twitter.com/TripGirrrrl
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