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わたしのもの

妙にリアルな夢を見た。
この家を、出てゆく夢だった。

目覚めて見渡せば、そこはいつもの部屋だった。
不思議だ、眠る前に眼鏡を置いた場所のこともしっかりと覚えているのに
夢の寂しさも、さめざめと記憶されている。

ふらりと視線をやると、本棚に飾った写真集と目が合ってほっとする。
このあいだ生まれて初めて買った写真集は、しょこたんデビュー20周年の作品集だった。
しょこたんは同年代なので、頑張っていたり、美しい姿を見ると励みになる。
だから写真集は本棚にしまわずに、手前に立てかけて飾っている。

かつては本のサイズより大きい本棚を、憎んでいた。
イケアで安かったから、楽譜や同人誌が入るサイズだから買った本棚は、文庫や新書を入れるとがばがばだった。
買い直したほうがいい、と何度も思って十余年。

わたしが本当に捨てたかったのは、幼く貧乏だった記憶ではなく、昔の恋人との記憶だということには気づいている。
楽しかったこともつらかったことも
わたしは器用に持ち合わせることができない。

結局、本棚は捨てなかった。
捨てるほどの情熱も気力も発揮することができなくて、その程度の感傷だった。
文庫と新書、漫画を入れるようの本棚を買い足して、がばがばだった部分にはいろんなものを飾っている。

友達からもらった桜のカード
コナンのアクリルスタンド
隣には、ゆるキャンの、ちあきとあおいのふたりが並んでいる。
友達からもらった、おなかの青い犬のマスコット
お気に入りのネイルを箱ごと
本はもちろん定期的に入れ替え、いまの自分に合うよう最新版にアップデートされている。

すべては少しずつ集めたお気に入りだ。
だいじょうぶ。
ここは、わたしの部屋だ。

床で寝たのがよくなかった、ということには気づいている。
そして、よくないことをすべき瞬間がある、ということにも
その瞬間には決して抗うべきではない、ということにも。

深夜の明け方の狭間に目覚めて、よろりとベッドに倒れ込む。

お気に入りのシーツと、まくらがふたつ。
ふたつ、というのを気に入っている。

それから、ニトリのブランケット。
その幸福たるや
どれくらい気に入っているかというと、これを買った年の秋には、3人の友達に同じものをプレゼントした。

そしてその幸福は、いまでも褪せない。
毎晩、褪せないことに驚く。
そのとろりとした肌触りに、確かな幸福を抱きとめる。

ああ、この部屋を出るときにはこれも持って行ける。
わたしがひとりで電車に乗って、ひとりでニトリに行って買ったブランケットだもの。

そう思えば、この部屋のほとんどすべてのものは持って行けるだろう、と思う。
大きな本棚に預かったいくつかの本を除けば
確かに、すべてがわたしの持ち物だった。

壁に飾ったフェルメールのポストカードも
何年もお守りにしている安野モヨコのカレンダーも
お気に入りのネイルだけを詰めたケイト・スペードの箱も
なにも失うことはない。

わたしはいったい、何に恐れていたのだろう。

わたしはいったい、何を失うつもりだったのだろう。

この家を失って
でもこの部屋のすべてを連れて行けて
どこに旅立ったとしても、お気に入りの毛布にくるまって、まくらをふたつ抱えて、お気に入りの写真集やポストカードを飾ってネイルを塗る。

ああ、いったいなにが怖かったんだろう。

なにかとても大切なものを失うような気がしていた。
きっと、触れなければ気づけない痛みがあって、わたしはこの家を出るとき、きっと泣くだろう。

でもわからない。
何を恐れているのか、
恐れているということは、大切なことを失うということで
きっとわたしは、何が大切なのかわかっていない。

そしてそれ以上に「意地とプライドより大切なものはない」と零した本音が
どうしたって打ち消せない。

君はわたしの涙を拭おうとしたけれど、その手を払ってしまった。

「涙は流すもの」
「わたしの傷は、わたしのもの」
と云って。







※now plyaing

今宵の物語の結末は、椎名林檎だったかもしれない。





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