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孤独な冒険

この駅に着いたのは、ほんとうに偶然だった。

友達と、歩いていたらこの駅だった。
そしてここは、「いつか歩いてみたい」と思っていた場所だった。
ここから、家まで。または、家からここまで。
家までの道は、おおよそまっすぐであることは知っていた。

「バスで帰ろうかな」と、友達が言う。
バスが好き、という気持ちはよくわかるし、わたしは彼女の「バスが好き」なところも、大変に好きだと思った。
じゃあ、とわたしは言う。
「わたしは歩いて帰ろう」

別に何を話したわけでもない、という時間は大変に幸福だった。
駅ビルを少し歩いて、「お世話になった人への誕生日プレゼントを買いたい」という彼女の買い物に付き合っただけで、わたしは何も買わなかった。
「買い物とかさ、だいたいひとりで行っちゃうからさ。こういうの、楽しいよね」と笑う彼女に、わたしは頷いた。
わたしもそうだ、と心から思った。

そろそろかな、と言って別れたのは18時の少し前だった。

Googleマップを見つめる。
家までの距離は、約6キロ。1時間20分と表示された。
普段の散歩が40分くらいなので、倍くらいの時間がかかる。
でも、わたしは恐れなかった。

いや、ほんとうは恐れていたのかもしれない。
夕暮れの空は美しく、それは一瞬のできごとだと知っている。
いまの季節は、19時になれば真っ暗になる。
わたしは、迫りくる暗闇を全身に受けながら、歩くことになる。

勇敢さは湧き上がるのに、孤独は押し寄せてくるから不思議だ。
全身を駆け巡る、ということでは同じなのに。

「おおよそ真っ直ぐのルート」に入るまで、わたしは何度かGoogleマップを確認した。
昼間に友達と「良い景色だね」と言っていたはずなのに、わたしはまっすぐ前だけを見ていた。

前しか見れないんだ、ということに気づくまでしばらく時間が掛かった。
わたしは、散歩が好きだった。
それはきっと、「わかりきった道」を歩いていたからなんだと思う。
わかりきった道、または「昼間」、または「目的のない旅」だった。

今日は、「暗闇の中、家にたどり着く」という目標があった。

必ず、たどり着くということはわかっていた。
まっすぐの道を取り違えることはない。
歩いていれば必ず、たどり着く。
わかっていたのに、寂しさがこみ上げてきた。
「帰ろう」なのか「帰らなきゃ」なのかも、もうわからない。
いつもより、足早に蹴り出すわたしがいることに気づいた。

まっすぐな道を、何度も振り返る。
さっき友達と居たビルが、次第に小さくなってゆく。
もう、ビルに張り付いていたロゴは見えない。
まっすぐな道を歩いていたはずなのに、いつしかビルの明かりも見えなくなった。

少しだけ歌をうたった。
「ランニングする人が音楽を聞くのは、脳から発せられる”苦しい”という感情を打ち消すためだ」と、このあいだテレビでやっているのを見た。
だからわたしは音楽を聞いて、うたうことにした。
うたは、いつも勇敢だった。

途中で少しだけ煙草を吸った。
すれ違う人もほとんどいないような道の影に隠れたのに、なんだかどきどきした。
家の近くの、人がいない場所では平気で吸うのに。なんだか、ぜんぜん違った。

わたしはきっと、自分の住む町ですれ違う人に親しみを感じていたんだと思う。
そんなことにも気づいた。
帰り道の、途中の街ですれ違う人は他人行儀だった。
なぜだか、そんな気がした。
それはわたしが、よそゆきの顔をしていたからかもしれない。
そのゆきのたままの煙草は落ち着かなくて、残り半分のところで火を消した。

座っていても、前には進めないのだ。
当たり前の事実を確認する。
ここにいても家には近づかないし、夜は迫ってくるばかりだ。
少しずつ迫る暗闇は、わたしの視界を奪ってゆくようだった。
18時や19時なんて、いつも歩いている時間なのに、今日はどっしりと暗く、重たく感じた。

うたって、道沿いの建物を見て、意味のないような思考を繰り返して、わたしは進んでゆく。

ときどき、時計を見る。
秒針が進んで、わたしも足も進んで、家まで近づいていることを確認する。
でもまだ、見知った風景ではなかった。
少しずつ家の近くに「似ている」ような錯覚に陥ることで、正気を保っていた。

わたしは毎日、ひとりでパソコンに向かっている。
言葉を紡いで、ピアノを弾いているあいだ、わたしは誰ともしゃべらない。

そのことを、孤独と思ったことはなかった。
「ひとり」と理解しているだけで、それは決して孤独ではなかった。

(ああ、照らしてもらっていたんだ…)

そんなことに気づいて、溢れる気持ちを繋ぎ止めるために唇を噛んだ。

わたしが日頃歩んでいる道は、ずいぶんと明るかった。
照らしてもらっていた。
誰かが掛けてくれる言葉や、その存在が、足元から遠くまで、やさしいひかりになって守ってくれている。
だからわたしは、ひとりで言葉を紡ぎながらも寂しくなかったんだ。
わたしの人生はきっと、今歩いているこの道よりも、ずっとずっと明るい。
だからなにも、怖くなかった。

そんなことに気づいたら、早くうちに帰りたくなった。
明るいわたしの部屋に帰ろう。
今日のこの、孤独な冒険の話をしよう。

これ以上歩く速度を上げることはできなかったけれど、
わたしは一定の速度で、蹴り続けていた。

ふいに、懐かしい看板が見えた。

牛丼チェーン店の看板。
わたしの家の近く、今歩いているこの道に当たる場所に、牛丼屋があることを、わたしは知っている。

あれは、わたしの知っている看板だろうか。
時間的に、そろそろ見えても良い頃だ。
わたしはそのひかりに向かって歩き続ける。
小さかった看板は、きちんと、確かに、一定の速度で大きくなっていった。

牛丼屋の横を通り過ぎたときに、まだ知らない道だったので愕然としたけれど、3分も歩いたら知っている場所に出た。
そうだ、牛丼屋はいつもの散歩コースの「奥」にあって、実際に牛丼屋の隣を歩いたことはなかったんだ。
そうだ、そうか。
これはあの、いつものひかりだったのか。

ここまでくればもう安心、とわかっていたのに、わたしは歩く速度を緩めずに、家を目指した。
いつもの自販機を横目に、いつもの横断歩道を渡る。
ああ、この場所は毎日歩いている。もう大丈夫だ。
そう思うのに、なんだか不思議だった。
ほんとうに帰ってきた、という事実に納得できないわたしもいた。

ほんとうに?
6キロの道を、わたしは歩いてきたのだろうか。

いつものスーパーの前を通り過ぎる。
そういえば欲しいものがあったんだ、と思い出し、左に曲がる。
よく知っている場所なのに、わたしは”浮いている”ような感覚だった。
いま思えば、「よそゆき」の空気が、わたしをそうさせていたんだと思う。

買い物をして、レジはいつものおばちゃんで、少しだけほっとした。

スーパーを出れば、「買い物をして帰ったいつものわたし」になれる。
そう思ったのに、まとってしまった暗闇が、いつもと違う空気を発していた。
でももう、冒険も終わる。
もうすぐ、わたしの家だ。

帰ってきて、いつも通りに電気をつけて、手を洗う。

ほんとうに帰ってきたんだ、あの場所から。
そんな実感も希薄で、「どうしてここにいるんだろう」と不思議な気持ちだった。

ときどき、そんな気持ちで冒険を終える。
それは、ほんのときどきで、大きな冒険をしたあとだった。

懐かしい。
この感覚は、「終電を逃して10キロ歩いて帰った」あの感覚と同じだった。
ほんとうに帰ってきたんだ。
ほんとうに?
そのことを受け入れるまで、少し時間がかかる。

ベッドに倒れ込んで、いつもそこにあるぬいぐるみの顔を見て、冷たいシーツの感覚を確認して
わたしはようやく「帰ってきたんだ」と実感して、そのまま目を閉じた。

これが、今日の冒険のすべてとなる。

わたしはこの冒険を、あなたが掲げたひかりのことを忘れない。
わたしのいつもの旅を、明るく照らしてくれるあなたへ

2021.0411 まつなが




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