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おとなになる、ということ

「5分の電車に乗りたいの」

彼女は、はっきりとそう言った。
「5分がむりなら、11分までには、必ず」
そう言って、時計を覗き込んでいた。

それは、春休みの出来事だった。

わたしの春休み、ではない。
世間の春休みで、”彼女”は子供だった。
小学校高学年か、中学生か。
みんなマスクをしているし、私服だし、おとなっぽいし、身長はみんなわたしと変わらないか、少し高いくらいで、年齢なんか検討もつかない。

ただ、彼女は”子供”だった。そういう年齢だった。
春休み、友達とのお出かけでおしゃれをしている彼女のほうが、わたしよりよっぽどおとなっぽかったと思うけれど、実際おとななのはわたしのほうだった。
おとなのわたしはパーカーを羽織って、ひとりでのんびりと、駅に向かうバスに揺られていた。

ひとりで退屈だったので、彼女の話を聞いていた。
「5分か、11分の電車に乗りたい」と言っていたけれど、それは少し難しそうだ。
現在の時刻は、19時55分。
5分の電車には間に合いそうもないし、11分だってぎりぎりだ。
バスっていうのは、電車よりも時間通りに動かない。

かつてわたしも思っていた。
「5分か、11分の電車に必ず乗らなくてはいけない」と、焦っていた。

物事が思い通りに進まないことに、
バスが遅れてしまうことに
妙な苛立ちを感じていた。

あの頃はどうしてあんなに、ぜんぶが思い通りになるって信じていたんだろう。
ずいぶん肩肘の張った疲れる生き方をしていたなあと思う。

5分と11分に電車が来るなら、次は17分とか18分に、きっと電車が来るでしょう。
その電車でも家に帰れるから、焦ることはないよ。
なんて思ったけど、門限でもあるのかなあ。

だいじょうぶだよ、帰れるよ。

わたしは、彼女の横顔にそう告げた。
声にならない声で、ゆっくりとほほえんだ。

そんなに焦って生きなくても、だいじょうぶだよ。
家には必ず帰り着く。
どうか、今日はたのしかったって記憶だけ抱えて帰ってよ。それでいいんだよ。

おとなのわたしは、のんびりそんなふうに思ったけれど、きっとそうはいかないんだろうな。
もう彼女は、時間通りの電車に乗ることで頭がいっぱいなんだろうな。
慌てて怪我とかしないといいな。そればっかりを願っている。

彼女がもう少しおとなになったら、
のんびりとバスとか電車に、乗れるようになるといいな。と勝手に思った。

おとなになると、少しずつ手の抜き方を覚える。
然るべきときに、「まあいいか」と自分を許せるようになる。
いつからだろう、わたしがそんなふうに思えるようになったのは。
二十歳を越えて、ずいぶん経ってからのような気がする。
それまでわたしは、ずっと怒っていたのかもしれない。
意のままに進まない人生に。

駅前でバスが停まった。
わたしは彼女たちを先に見送り、ゆっくりと駅まで歩いた。

さあ、わたしも家に帰ろう。
電車の時間なんか、確認せずに


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