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【往復書簡】 その涙は誰のために

 今日、会社は休み。
 日中をのんびり過ごしてしまったのだけれど、夜は予定がある。
 ならば陽が落ちるまでに今日のnoteを書いてしまおうと、ドトールにやってきた。
 往復書簡を書く、と決めて。

 そういう日は、なんだか幸福だと思う。
 文章を、言葉を、紡ぐ気力を、分け与えてもらってそれでも書いてゆけること。ドトールへ旅立って、わたしにはすべきことがあることを
 時折妙に、嬉しく思えてしまう。

 まるで泣いてしまいそうなくらいに。

\\\往復書簡、やってます///

人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙

「どんなときに涙を流すのかな?」と問われて驚いた。
 ここ数日は、ぼろぼろと泣いている。
 引き金となった出来事はあったのだけれど、心身ともに健やかであれば笑い飛ばせたような気もするので、つまりはそういうことだと思う。

 一度、溢れ出してしまったものはなかなか止まらず、悪いふうに考えて、気づくとまた涙が流れている。
 わたしは、静かに泣く。
 堰を切る、という言葉通り崩壊してしまったのだ。
 修復には時間が掛かるし、時間しかないのだという気もしている。
 気力とか体力とかが戻って、冷静になるのを静かに待っている。
 あくまで、静かに。

 泣くときの根本は、バグだと思う。
 本来の多くは、笑い飛ばせることだと思う。
 ただ、混乱して、思考が追いつかなくて、処理落ち。

 あとは、「感極まって」ってやつは、「年を取ると涙もろくなる」っていうのもある。そしてこのふたつ「バグ」と「感極まる」は異なる涙で、涙の種類は大枠でこのふたつしかないのではないだろうか、と思う。わたしの場合は。

 バグは、家族の前でしか起こさない。
 わたしはあまり感極まらないタイプなので、「泣きそうなほど感動する」ことはあっても、なかなか泣かない。
 ということは、わたしの涙の大半は家族の前でしか落とされないし、原因は家族にあると思うと、彼には多大な期待をしてしまっていたのである……ということを、いま反省している。
 思いやりが足りないのだ。もっと相手の立場になっていれば、こんなに声を荒げることもなかったのに。期待して、求めて、理想と違って、押し付けて……本当にわたしは、家族を持つのに向いていないタイプだと思う。友達にならば、延々に優しく素直にできるのに、家族にはできないよ。
 めけ、どうしよう。この辺りはまた別途相談させて欲しい。
 でも、仕方がないではないか。とも思う。一緒に暮らすというのは、仮面を脱いで共に過ごす時間がある、ということだから。
 うーん、でも家族の前でも家族用の仮面(というか、礼儀)を持って入ればいいの? なかなか難しいよ。


 ということで、わたしは対外的には「あまり泣かない人」だと思う。
 そしてめけは、「他人の情緒をバグらせる優しい才能」を持っているのだと思う。めけの言う通り、泣きたいときに泣けるのはいいことだ、と思う。
 わたしはたいてい、泣きたくもないのに泣いている。
 情緒の起伏はあってもいいけれど、スマートにいきたいし他人に迷惑はかけたくない。それはもちろん、家族であっても。

 でも、めけの前で泣いた彼女たちも、泣きたくて泣いてるわけじゃないのよ、と思っているかもしれない。と思うと、「泣きたくて泣いている」なんていうことは、存在し得ないかもしれない。
 少なくともわたしは、泣きたくなんてない。疲れるから。これほど、わたしの体力は有限であると自覚しているというのに。


 話は逸れるけれど、「泣く」というと、自分のルーツになるような設定(というか)事実があって
 わたしはどうやら、生まれた瞬間に泣かなかったらしい。
 言葉通り、産声を上げなかった。
 わたしは、産後すぐに別室に連れてゆかれたと聞いている。
「大丈夫よ」と言われた母は、あまり意味がわからなかった。とか、そういうことを言っていた気がするけれど、覚えていない。もちろん、当時のことも、そのときの話を聞かされたときのことも。

「生きるのが苦手」とか、「息をするのが苦手」という意識はなんとなくずっとあって、学生時代は自分のことを「劣等感の塊」だと認識していた。
 でもそれはもう、生まれた瞬間の烙印みたいなもので
 確かに、生まれた瞬間から人並みに呼吸することができなかったんだもん。と思えば、なんとなく「仕方がないなァ」と思えたりする。
 ちなみに幼少期はとにかく泣かない子供で、よく寝ていたというから驚きである。松永ねるは、本当にずっと寝ていたのだ。


 そういえば、こんな歌詞を書いたこともある。

その涙は、誰のために流したものだろうか

「序章」と名付けた曲の、最後の部分。
 書いたのは、23,4の頃だから、今より十年以上昔の出来事になる。
「いつでも始まり」というような意味でつけたタイトルだった気がする。
「いまが終わりのようでも、いつでも始まり」という呪いじみたものだったかもしれない。あの頃のわたしは、創作のすべてを通して呪っていた。

「流したものだろうか?」という疑問系で曲は終わるわけだけれど、実はこれには明確な答えがあった。
 それを歌詞には載せなかったのだけれど、自分の中での決め事。
 十余年の月日を経て、それを今思い出して、妙に納得して、勇敢な気持ちになっている。
 これからの未来を生きるわたしへのメッセージをして、これを残しておく。

わたしは、わたしのためにだけ泣く

 とやかくあれこれ言われ、泣くのはずるいだの、なんだの言われた結果に辿り着いた答えを、今もどこかで誇らしく思っている。いや、懐かしく、だろうか。わたしらしいことを、嬉しく思っている。


 ということで、「涙」というテーマをいただいたので、「涙」を通していろんなことを振り返ってみた。
 ここ数日、「うまくいかないなァ」とか、「やっぱり自分はダメダメだなァ」と思って、息をするのもやっとのような気持ちだったけれど、こうして自分のことを語ってみれば「ダメダメで当然だなァ」と妙に納得してしまえるのである。
 そしてそのうち、涙は引っ込んでゆく。
 そういうことを、繰り返してゆく。ばかのひとつ覚えみたいに。明けない夜はないみたいに。それでもまた、泣くと思う。


 どんなときにでも、手紙を書ける友人がいることを幸福に思う。
 話を聞いてくれてありがとう。勝手にしゃべっていただけだけれど、ずいぶんとすっきりした。

 また次の手紙で会えることを楽しみにしています。
 と思ったけれど、別に「往復」書簡にこだわらなくてもいいよな、ということをすっかり忘れていた。
 今まで手紙というのは「やり取りをする」ものだと思っていたのだけれど、「書きたいときに書けばいいじゃん」と友人に言われてハッとした。
 別に、返事は待たなくていい。
 わたしもそうするから、めけもそうして欲しい。
 書きたいとき書く。
 往復書簡っていうか、「往復っぽい書簡」って感じで。


▼今までの手紙まとめ


(追伸)
 先日は、ライブのお誘いありがとう。
 おじさんたちは皆、元気だったろうと思います。
 伺えなくてごめんなさい。

 わたしはその日、note placeを訪れていました。
 こちらが先約だったので、ごめんね。
 また何かあればお声掛けください。

 いや〜〜〜立食でひとりで、交流会って言われたときは泣くかと思ったわ!!
 人と話すの好きなのにね。「この中から好きな人を選んで話しかけてね」っていう状況には戦慄してしまうよ。めけは、そういうの得意?
 わたし、「目の前の人としゃべってね」だったら、大丈夫なような気がしてる。


▼now playing


▼追記

感極まって泣いたりしない、って書いた直後に、スガシカオに泣かされた……
なんでいま言って欲しいこと言ってくれるのは、いつもスガシカオなんだろう


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