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【往復書簡】あなたの涙のそのわけを

 前回の手紙では「おもしろいこと」なんて言って困らせて悪かった……と、ほんの少しだけ思った。めけのことだから、そんな困った状況も、おもしろがってくれているのだと信じている。

 信じてもらえることはとても喜ばしいことだ。それは財産に似ている。無駄遣いをするとすぐになくなってしまう。困ることが楽しいとは実に愉快なことだ。それがたとえば逆だったら目も当てられない。

 でも中にはそういうこともあるのだと知っている。困るの逆、うれしいが楽しくないという人付き合いはストレスになる。誰も何も悪くないはずなのに。なぜそうなるかについてはいろいろなケースがあるとして、それはねるを困らせるために、次回までの宿題としておこう。

\\\往復書簡、やってます///

人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙

 小生がいま、取り組もうとしている長編になるだろう小説のテーマは涙。その涙を食らうなぞの生き物——怪物或いは妖怪のような怪異に取りつかれた男の怪奇譚というのが大筋なのだけれども、それは小生の実体験に基づくリアルなフィクションだ。

 ねるはどんな時に涙を流すのかな。
 音楽を流しながら書き物をしているときはたぶん何かいい感じの脳波になるのかなと思う。小生は最近『ながら』で音楽を聴かなくなった。聞かなくなったというのは行為のことなのだけれども、実は頭の中には常に音楽が流れていて生態ジュークボックスのように、或いはラジオ局のように小生のリクエストに応えてくれたり、粋な音楽をここぞというタイミング、場面で流してくれる。

 音楽を聴いて泣くこともあった。今でもあると思う。どんなにしんどい場面でも小生の頭の中には何かしらの音楽が流れている。時には町の風景がそのままMVになったりもする。ただ、書き物をしているときはどうだろうか。小説を書くような場合は厳選する必要があるし、ものによってはないほうがいい場合もある。静寂が支配するような場面や音楽をきかなさそうな登場人物、或いは時代物というのでも、音楽は邪魔になる。
 逆に会話劇のような場合は、西尾維新の化物シリーズのように滑稽さを強調するような小気味で小躍りしたくなるような音楽が脳内で流れたりする。

 そう、たとえばこの往復書簡を書いているときに流れる音楽はどちらかと言えば喫茶店で流れている名もなきBGMやコーヒーの香りを引き立てるような軽快で品のある音楽。或いはスターウォーズならベイダー卿が登場したときのあのテーマ、あれをボサノバチックにしたり、ちょっと間抜けにアレンジしたあれだ。

 さてさて、涙の話に戻る。先日また人を泣かせてしまった。小生は横にいて彼女の話を聴いていただけなのだが、涙ながらに彼女は訴える。
”わたしだって、つらい時はつらいのよ”
”お母さんをやるって、大変なんだから”
”なんでそんな傷つくようなこと言われないといけないの”

 これらについて、小生は何一つこちらから話を振ってはいない。身の上話を誘導するようなことはなにも言わずとも、勝手にそうなってしまう。これでもかなり気を付けていたはずなんだが。

 小生には涙を食らう妖怪【ナミダ喰らい】が取り憑いている。この前もうっかり二日前に失恋したばかりの人と遭遇し、できるだけ関わらないように身を潜めていたおかげでなんとか涙を見ずに済んだのだが、今回のケースは回避不可能だった。いや、まったく不可能というわけではなかった。

 会計を済ませて帰ろうとしたタイミングが彼女のグループが解散したタイミングと重なり『えー、帰っちゃうの? 今から一緒に呑もうと思ったのに』と声を掛けられ、知らぬ顔でもなかったし、相川七瀬の『夢見る少女じゃいられない』を気持ちよくデュエットした相手でもあったので、カウンターで1時間だけ飲むことにした。これが行けなかった。

 聞けば彼女はバンドが大好きでしょっちゅうライブハウスに足を運んでいたのだという。だから小生のライブにも観に行きたいと話は盛り上がった。そこまではよかった。
『だけどねー』

 それで好きになった人と一緒になったのだが、数年前に他界したという。細かいことはここでは触れないが、なぜだか小生はそういう境遇の人を引き寄せてしまうのだ。『あっ、しまった』と思ったが時すでに遅し。『ナミダ喰らい』は小生に尋ねる。

『ねぇ。食べていい?』
 小生は答える。
『食べちゃダメ』

 ナミダ喰らいは涙を食べる。その涙の原因となっている感情ごと、想い出ごと食べてしまうのだ。だから食べていい涙というのは限定される。

 今回のケースは涙の成分が複雑で何を一番に感情が高まって流した涙なのかわからない。ナミダ喰らいはその成分の一番濃い感情や記憶を消してしまう。彼女が生きる上で必要な感情や記憶が消えてしまうと下手をすれば俳人のようになってしまう。

 小生は何度か涙を食らわせたことがある。その人の涙の成分が何であるのか。しっかりと分析した結果、日常生活に影響がないと判断したときだけだ。嫉妬ややっかみや憎しみと言った感情が根源である涙であったり、恐怖や怒りといった涙がそれにあたる。

 そういう感情は雑草のようにどれだけとってもまた生えてくる。そのような涙を流す人は翌日、いや、数時間後には何事もなかったようにけろっとしている。それは食ってもいい。

 小生は思う。
 泣きたいときに泣ける人は幸せだと。

 涙を流したくないのに流れてくる涙は複雑だ。また今日なのか、明日なのか小生は人の涙を見て、それを分析する。人の感情の発露としての涙は愛や恋といったものよりも具体的で尚且つ象徴的だ。たぶん一生をかけて小生は人の涙を分析するのだと思う。

 でなければ、なぜにこんなにも小生は人の涙を見るのか。それはなぜやたらと人に道を尋ねられるのかと同義で、小生はそのような星のめぐりあわせを持っている。

 タロットでいえば月MOONのカードであろうか。

 マジシャンはとても強いカードですべてを手にいているが、MOONというのは不穏さと神秘さが混ざり合ていて占ううえでも実に解釈の広いカードだと思う。月を見て泣く人は、どこか心の中にアンバランスな問題を抱えているのだと思う。月に吠える犬、沼からはい出そうとっするザリガニ(エビ?)、月から降り注ぐ光の玉は太陽のそれとは違ってどこかまがまがしい。縦位置中央、両サイドにそびえたつ二つの塔は安定を表しているが、その上下の光景はどうにも不穏だ。

 とはいえ……。

 本当であればここに書くべきことはほかにあって、それは大きな変化が小生に起きていることを報告すべきなのだろうが、それについては次回にしたほうが面白そうなのでとっておく。

 MOONのカードのように実に複雑なことが起きていて、この話は会ってすべきかもしれない。ただひとつ言えることは、

しなくてもいい経験をしている人の話は、時間を作っても聞くべきだ。

めけ語録

 最後に、6月16日におじさんたちの宴が水道橋WORDSであるので、遊びにおいで。

これまでのやりとり

PS
結局アトリエシリーズはそのまま黄昏シリーズの2をやりだしてはまっています。そろそろ1週目おわり。今回は主人公男女なので2週しないと真のエンディングがみれないパターンです。楽しくプレイしているのとやっぱりこのシリーズの音楽っていいなぁと思いました。


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