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フツーのひと

ルイボスティーが美味しい。
久々に淹れたら、みょうに美味しい。染み渡るようだ。

寒くなるまで、アイスティーの暮らしを続けるだろう。
お気に入りの、イケアの、ガラスのティーポットにバッグをふたつ
お湯を注いで、蒸らして、また注いで、冷まして冷蔵庫に入れる。
夏になる前に、ルピシアのカフェインレス福袋を買った。
そして、ルイボスティーの美味しさに驚いた。
まだ、夏になる前の出来事だった。

ティーポットがカラになったので、次のお茶を淹れようと思う。
ルイボスティーを選ぶか、悩んでいる。
1袋にバッグが10個、5回しか飲めないルイボスティー。
美味しい、好きだ、と思うと急に手放したくなくなる。

好きなものは、最後に食べるタイプだ。



そういう、
いたってフツーな日常を送るわたしは
いたってフツーな言葉たちを綴っている。

「みんな特別なんだ」
「ひとりとして同じ人はいない」
「みんな違ってみんないい」

そういう言葉は聞き飽きたし、わたしなりに理解しているつもりだ。
もちろん、すばらしいと思っている。救われることも、救われたこともある。

ただ、どうしても”勝てない”と思ってしまう。
勝つために書いているわけではないのに、思ってしまう。

最近は、「大学生で出産を選んだ」という記事を見た。
前向きに出産を選ぶ姿勢と、それを支える家族の在り方が美しく、話題になったのだという。

ほんとうにすごく乱暴な言い方をすると、(悪く思わないで欲しい)
難病でも前向きとか
複雑な家庭環境とか
若くしてデビューするとか
勝てない、というか持っていない。

わたしの人生に於いて、他人があんまり経験していなそうなことと言えば
会社をクビになること
二十代と三十代で一度ずつ、別の理由で働けない身体になったことだろうか。
でもそれはわたしにとってのフツーで、経験談を語るほど神々しくもなく、不幸ぶるほど深く悲しむこともできなかった。
なんだか、前向きに振る舞わなくちゃいけない、と信じていた。

もちろん、そういった特別を生み出すこともできると思う。
でも、その努力をしない。
しないことを選択した。

例えば、
会社を辞めて独立するとか(稼げるかどうかは別として、辞めることは今日にもできる)
出版に向けて動いてみるとか(みんな売り出す努力か、売れる成果を用意して出版している。書いているnoteを誰かが見つけてくれて出版に至るっていうのは、ライブやってればメジャーデビューできるっていう夢物語と同じだ。そういうひとも、いるだろうけど)

もっと世の中の関わって
寂しくないような
なんて言えばいいんだろう。
見つけてもらえるような

わたしの書くものは、フツーだなあ。と思う。
勝ちにも、関わりにもいけないなあ、と思う。

たぶんみんなフツーで
そのフツーを、周りとかわたしが勝手に「勝っている人種」などと烙印を押すだけで

でもやっぱり
わたしの書くことは、おそろしくフツーだなあと思う。

美味しいルイボスティー
仕事帰りのコーヒー
誰かの新設
日常の、なんでもないような実験
誰にでもできること
石を投げれば当たること
どこにでもあることを、書いていたいのだと思う。

それが「努力しないこと」とか「挑戦しないこと」の言い訳になってしまわないように
見極めることだけは努めていたいなあ、と思っている。



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