すこやかな背中
今日はなんだか、眠たかった。
寝起きのエスカップで「大丈夫」と思えたけど、午前中はやっぱり眠かった。
会社の昼休みでたくさん寝てみたら、午後はやっぱり大丈夫な気がしてきた。
それなのに友達の部屋に着いても、なんだか眠たくて不思議だった。
何かを少し動いて、「大丈夫」と思って、でも机に突っ伏するのを繰り返していた。
ばんごはんを食べたら、もう動けない。
テレビから「カリオストロの城」が流れているのを横目で見ながら、わたしはテーブルにへばりつく。
もうダメだ、と思ってソファーに横になったら眠ってしまっていた。
ルパンが偽物の指輪を返して、怪我だらけのところを救出されたところまでは覚えている。
「一度見た映画を見ながら、ごろごろするのは最高だね」と話していた気がする。
「最高の贅沢だね」と、友達も言った。
「もう少しごろごろしたら、頑張れる気がする」
だって今日はケーキがあるから。
そんなふうに自分を励ましたあと、いや違うとつぶやいた。
「そうだ、頑張らなくても良いんだった」
食べ残したピザを、ラップに包んで冷凍したいと思っていた。
使っていたお皿も洗ってしまいたい、と思っていた。
雑誌を縛ろうとビニール紐を手に取ったところでピザが届いたから、部屋の隅に積んだままだった。
そのへんをぜんぶ片付けたら、ケーキを食べようと思っていた。
あとひとふんばり、と励ましながらも、わたしはソファーに沈んでいった。
「そうだよ。好きにしていんだよ」
友達は、当たり前のように、ほがらかに言った。
「ここでは、自由だよ」
そう言われながら、わたしは眠りについたんだった。
*
目が覚めたときには、「カリオストロの城」は終わっていた。
最後のシーンが見れなくてちょっと残念だったけど、悪くない目覚めだった。
煙草を一本だけ吸って、キッチンに向かってピザを包んでゆく。
ふとテーブルのほうを見ると、友達の背中が見えた。
彼女が「部活みたい」と称していたゲームの画面が、ちらりと見える。
わたしは、その背中が好きだな、と思った。
彼女がゲームをたのしみながら、彼女なりにまじめに、一生懸命やっていることを知っていた。
その、すこやかな感じが、わたしはとても好きだった。
人生で純粋に「たのしい」と思えることが、いったいいくつあるだろう。
おとなになったわたしたちは、むかしよりもずっと「たのしい」を掻き集めている。
同じテーブルに座って、彼女は仕事をしているときもある。
「がんばってるなあ」と思って、その横顔や背中を、わたしは見つめていたりもする。
ああでも、どっちでもいいんだ。と思ったら、なんだそういうことか、と妙に納得してしまった。
このひとがすこやかさを保っているならば、仕事をしていてもゲームをしていても、どちらも背中でも良かった。
もちろん、仕事は大変で、ゲームはたのしいのだろうけど、どちらも一生懸命取り組んでいる。
そんな姿を見るのが、わたしは好きだった。
いつでもあたたかい、自由なこの部屋で。
だからきっと、わたしが眠っていようが起きていようが、彼女にとってはどちらもいいんだと思う。
なんだかそんな気がした。
「人の気配を感じながら、うとうとと眠る」ということの幸福さを、わたしたちは知っている。
話をしていなくても、同じ方向を向いてなくても
「あなたがいいなら、それでいい」と、わたしたちは幾度となく言い合ったではないか。
わたしは今日もこの部屋で、深く呼吸をする。
人生はまだまだおもしろくて、このあいだ買った指輪はやっぱりかわいくて、ケーキがおいしいことを確認する。
ただ、それだけの、なんでもない日々が
わたしを今日も、守ってくれている。
ありがとう、今日は夢を見ずに眠れたよ。
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎