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3月31日の夜に。(3月の振り返り日記)

予定と違う感情に、驚きを隠せずにいる。

3月31日の夜。
センチメンタルを覚悟して、あらゆる不安と対峙する。その覚悟を決めていた。

3ヶ月間の休職を終えて、明日から社会復帰。
うん、文字にするとようやく少しだけ緊張してきた。


コロナウイルス後遺症のその後

つらかったことを抱えて生きてゆく、というのは難しい。
最初は自分が、「コロナウイルス後遺症」という病を患ったということすら認めることが難しかった。
具合はずいぶんよくなったのだけれど、振り返るにはまだ早すぎる。
ようやく、カサブタになろうとしているところだった。
傷はまだ身体に残っているうちに、「アー大変な怪我をしたなあ」っていうのは、やっぱりちょっと先走ってるように思う。

でもせっかくなので、3ヶ月の休職期間にできるようになったことを書いておこうかな。

・今までと同じ速度で歩けるようになった
(駅まで徒歩10分に戻った。ひどいときは、15分〜20分かかっていた)

・今までと同じ距離を歩けるようになった
(友達が付き添ってくれれば、半日くらい遊び歩ける)

・駅に着いたとき、立って電車を待てるようになった

・掃除が終わったあと、立った状態でコーヒーを淹れられるようになった
(確か去年は、シンクに寄りかからないと立っていられなかった)

・気づいたら37度以上発熱している、ということがなくなった。
(平熱は35度代)

・毎日の頭痛がなくなった
(本当に毎日だった。年末から始めた治療の成果か、この休職期間中にぐんとよくなった)

・たくさん寝られるようになった
(昼寝もできない、夜も浅い眠りを繰り返していたのに、今までどおり半日くらい寝れるようになった)

・長時間ゲームができるようになった
(信じられないことに、マリオカートで1時間走るだけで熱を出していた。ぜんぜん集中できなかった)

・本を読めるようになった
(集中できなくて、文字を追うことができなかった)

そして、残ってる症状がこちら

・歩くとたまに息切れする

・急に頭の回転速度が遅くなって、友達と上手に話せない。言葉が出ない

・食べられないものがある
(揚げ物とか、油とかぜんぜんダメ。友達と食事に行きづらい。わがままボディーを継続中)

・味がわからない(涙がしょっぱくなかった)

・嗅覚は治ってないっぽい
(友達に「良い匂いするね」って言われたりするけど、半分くらいは理解できなくて、もう半分くらいは異臭。極稀に正しい匂いがわかる感じ)

・平熱上がった?
今まで、36.5度以上の熱ってインフルエンザと胃腸炎のときにしか出したことがないんだけど、具合悪いとそれくらいまで上がっちゃう。

頭痛は定期的にあるんだけど、偏頭痛かもしれないのでなんとも…

それにしても元気になったなあ。と思う。
12月は、ほとんど友達と話せなかったし、ゲームをやれば熱を出して、本も読めなかった。外出も命懸け。

元の身体には戻っていないけど、偏頭痛とか、骨折跡とか、そういう「持病のひとつ」みたいな感じになっていけばいいなあ。と思う。

移動とか、人とたくさん話すことっていうのがまだ上手にできなかったりするので、会社行くのは不安もあるけど。
もうこれでダメなら実家に帰ったらいい。とりあえず、収入を失っても匿ってくれる屋根があると思えば、なんとかなる。

こんな病気の話がなにかの役に立つかわからないけれど、一応残しておきます。


3月31日のわたし

3ヶ月も仕事を休んで、社会復帰できるかなあ。
3月31日の夜にはセンチメンタルな気持ちになっているんだろうな。
今の仕事を始める前日(半年強の無職生活明け)は、かなりナーバスだったからな。
と思って、いろいろ気持ちの準備をしていたのだけれど

いまの心情はというと、
「3ヶ月も休んでいたのに、”数日休んで会社に行く”くらいの超軽い気持ち」
で、いるの。
まじで?
この人、図太すぎない??
自分でびっくりしてる。

会社のLINEを覗いたら知らない人も増えてるし、もはやわたしの席あるかわからないけど。
まあ、席なかったら帰ってくるわ……

新しい職場で、新しい人間界とか仕事を覚えるわけではないし、
決まった時間に会社に行くこととか、会社という組織に属することに対しての気持ちの整理がうまくできなかっただけで、業務そのものが嫌いだったわけではないし。
おまけに、人間関係も超良好だった。
顔を思い出せば、「はやく会いたいな〜」なんて思うくらいだ。

3ヶ月間、いろんなことを考えて。
改めて、もう失うものなんかなにもない。と思えば、怖いものもあんまりなかった。
だって、身体は以前より動くし。
ダメになったら、また休めばいい。

ああ、わたしやっぱり逞しくなっちゃったなあ。
「この経験は、きっとあなたを強くする」とか言われて、「いやそうだろうけど、いましんどいからね。ほんとにね」なんて思ってたけど
ああ、やっぱりこの結末よ。

スガシカオの「午後のパレード」って曲でさ、「ごめんなさい なんとかなると思っちゃう」って歌詞あるんだけど。あれ、好きなんだよね。

あと、つらくなったら自分で書いたこのエッセイ読み直そうと思ってた。


3月のわたし

2月の定期検診のそのとき、ぐわりと悪い日々を過ごしていて。
いやまあ頑張れば働けると思いますけど、頑張らないことに決めた。
3月はボーナスタイム。本当に何もしなくていい。1ヶ月寝ててもいい。

なんて思っていたのに、月初にいきなり救われてしまった。

敬愛する作家の作品の「オススメを教えてください」と言われたこと。
自分の好きなものについて、文章で伝えるという
その面白さに、まさに目覚めたような感覚だった。

奇しくも、鷺沢さんが亡くなった年齢に、今まさに追いつこうとしている自分の存在が、ずいぶんと逞しく後押ししてくれた。
36歳の小説家になる前に、この世を去った鷺沢さん。
わたしは小説家になれなくてもいいから、「36歳の物書き」になってやるからな。

「3月はなにもしなくていい」という決意は3日で打ち砕かれ、
「3月は書きまくろう」と決めた。

新しい何かができなくても、他のすべてが疎かになっても、
「ああ、たくさん書いたなあ」と思って、3月を終えられたらそれでいい。
そう決めた。

いま、心から「たくさん書いたなあ」と思っている。
時間も体力もあったから、今までなら面倒で後回しにしていた話題にも、ほとんど漏れなく取り組んだ。
文字数も前月よりぐんと増えたと思うし、新しい取り組みもたくさんできた。

そういえば、感想文で好きな人(はじめしゃちょーの畑@たなっち)からリプライもらえたのも嬉しかったです!
やっぱり、言葉ってすごいなあ。届いちゃったよ。

(感想を書いたのはこの記事。有料です。まじでよかった)

そんな嬉しいこともあってからか、ふわふわした感覚から、ひとつ辿り着いてしまった。


書くことは、楽しい。

そりゃあ、書きたくないとか、面倒だとか思うけれど。
書いているうちに、いろんなことを見つけて、それがすごく幸福だった。
この先も、書くことさえ捨てなければ、わたしの魂が路頭に迷うことはなさそうだ。

4月になって、noteの連続更新は2年を迎える。
ピアノ日記から始めて、療養中にエッセイを書けなくなったりしたけれど、それでも2年。
わたしは毎日、このデスクに座って、noteの投稿画面を開いてきた。

2年前のわたしは、デスクに座ることも、書くことも苦しくてならなかった。
ということを、いまでもきちんと覚えている。


明日からのわたし

とりあえず会社に行ってみます。
そして、後回しにしていた課題に取り組みます。

病気にならなくても「いまの暮らしのままでいいのか」とか、「このまま正社員になるのか」とか、人生の課題を後回しにしてきたから。

でも、以前より逞しく取り組める気がする。そうなるといいなあ。

明日からも、書いて、歩いて、弾いて、悩んで
見つけながら暮らしていきます。


2022年3月31日 まつなが
思ったり、感じたりした者の勝ちだ。


あした起きて電車乗れたら100点だな〜〜〜





※3月に書いたエッセイのセルフライナーノート

※3月に履修したもの


※今日のBGM





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