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冬眠を待たぬ

今日、何度目かのごはんを温める。

ちょっと食べて、ぼおっとして、
やっぱり何か足りなくて、また食べて。
ときどき、そんなふうに過ごす。
いくら食べても、何を食べても、満たされない日。

はやく元気になってね

耳元で、誰かわからない声が、ぼやっと響く。
「具合が悪い」なんていうと、だいたいそんなことを言われたりする。
最近は、「お大事に」とか「むりしないでね」とか、そういうほうが多いかな。
「はやく元気になったね」は、子どものころに、よく言われていたような気がする。

そして、無邪気に誰かに、言っていたような気がする。

確かに、はやく元気になるにこしたことはなくて
つらい時間は短いほうがよくて
各々の信じる”普通”の状態を、最低限維持できることが望ましいと思う。


最近、「たくさん食べて元気になること」をやめた。

どこかで「これだけ食べたのだから、元気にならなきゃ」と思い込んでいる自分を、ようやく拾い上げることができた。
たくさん食べたのだから、休んだのだから
はやく元気にならなくちゃって。

ゲームみたいに、寝たり食べたりして、自分の体力ゲージがぐーんと増えればいいのだけれど、そうはいかないことのほうが多い。
たくさん寝た次の日も、仕事があるから起きるけれど、なければもっと寝ていたと思う。
仕事のおかげで、わたしは「それなりの人間」の皮を被っていらると思うのだけれど、果たして「それなりの人間」でいることに、どれほどの意味があるだろうか。


無意識のうちに、誰かと比べている。
わたしの「食べ過ぎ」という気持ちひとつ取っても、どこかの誰かがいつかに決めた「成人の一日分の食事」よりも多いから……という気がするけれど
成人の一日分って、そういやよく知らないな。
一食分って、ファミレスの定食とかのイメージで合ってる?
あれを一日3回食べたら正常? それとも食べ過ぎ?
それに「成人」って言っても、年齢でも男女でも、体格でも、生活習慣でも、ぜんぜん違うのに。
今日は「五等分の花嫁」を見ていたのだけれど、あれだけ似ている五つ子だって、食べる量が違うのにね。

「一日しっかり休んだから、もう大丈夫」って
大丈夫な人もいるし、その「大丈夫」だって、「動ける」のと「元気」なのと、求めるのは人それぞれ違って
けれどもどこかで「たくさん寝て食べて、早く元気にならなきゃいけない」って思っていて
いま、予定がなければ動けない自分のことをすごく怠惰に思っていて
それについて弁明の余地はないのだけれど

何度も、言い聞かせる。
たくさん食べて元気にならなくていい
たくさん寝たから、元気にならなくていい。
仕事に行けないけど、映画館には行ったっていい。
べつにいい。
なんでもいい。

ただ、怠惰すぎて衣食住をキープできない状態が
ずっとずっと続いて、苦しくなったら
そのときにはもう一度、立ち上がれるといいなって

ああ、この世界の人間が”冬眠”を手に入れたのならば、わたしはずっと眠っているのに。

なーんてね
また、誰かと比べてる。


※now playing




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