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オフィスの好きだったところ

会社に最後に行ってから、
もうすぐ1ヶ月が経つ。

なつかしい、という気持ちも
なんだかうそみたいに遠く
わたしは家に、引きこもっている。

時折、あの窓を思い出す。

会社が好きだったか、なんて質問には
もちろん一概に答えられない。
だけど、ポケモンとお菓子とお茶で埋め尽くされた自席と
あの窓は、好きだったと思う。

外に面しているほとんどすべての壁が、
すべて窓になっているオフィスだった。

わたしは二十代の大半をライブハウスで過ごしたあと、
前職でも、パソコンに向かう仕事をしていた。

いちにちの天気や、
日の落ちる瞬間を、
あまり気にせず過ごしてきた。

ライブハウスは地下だったし、
前職は途中で移転したのにもかかわらず!
どちらのオフィスも、わたしの席の近くに窓はなく
雨が降っているかどうかですら、よくわからなかった。

いまのオフィスの、窓が好きだった。
よく眺めていた。

日当たりの良い場所だったので、
一日中ブラインドが上がっているわけではないけれど
ひとが少ない土日も、
自席の近くのブラインドをあげて、よく外を見ていた。

何かがあったわけじゃない、
窓の外は無限だったし、
自席にいるわたしには、なにもなかった。

それでも、何度も窓を見ていた。
行き詰まったら、少し遠くを見ていた。
よく晴れた日には、「なんでここにいるのかなあ」なんて思いながら
明日の休みに晴れたらなにをしようか、なんて
思うこともあった。

風が強い日も、
雨が降っている日も、
その温度に触れることはなくても、ずっと見ていた。

窓というへだたりがありながらも、
外を見ながら、
気配に触れているような気がして、
わたしは、しあわせだったのだと思う。
うしなったいま、そんな風に思える。


かつて、相方が「引っ越しの第一条件は日当たり!」と豪語していたことを思い出した。
そのとき、「へえ」と思って聞き流した、わたしのことも覚えている。

いまは、わかる気がする。
朝がきて、夜がきて、日の長さや、
それは、世界と触れ合うなにかを
きちんと、感じていられること。
尊い、と思えるようになった。

自宅でリモートワークをはじめてから、窓を開けるようにしている。
仕事がなくなったいまも、その習慣は根付いている。

1階で、せまい通りを入ったこの家の窓からは
見える世界はあまり広くないし
いつも同じ景色なことに、愕然としたりするけれど。

それでも、窓を開けて
外の空気をうかがって
晴れていても、いなくても
通りすがるひとの声と、
電車の音を、
わたしは見たり、聞いたりしている。


photo by @TripGirrrrl

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