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ペンギンのしろいおなか

水族館のベンチに座って、
ペンギンの白くて丸いおなかを見つめながら、エッセイを書いている。

あんなに見つめていたのに
ペンギンプールを横から撮った写真がなかった。
じっくり見つめて満足すると、写真を撮らない傾向にある。

葛飾区とか墨田区とか、千葉との境目あたりへの外出が増えたので、すみだ水族館の年間パスポートを買った。買ってしまった。

年パスがあるというのは、ここがセーブポイントになるという事実に驚いている。
一生懸命におさかなもくらげも見なくても、この場所はわたしを受け入れてくれる。
今日は、ばんごはんを食べるために寄った。

もう十余年も前に、ディスニーランドの年パスを持っていたひとのことを思い出す。
「一日中、カリブの海賊の中から見えるレストランで本を読んでいた」
きっと、そういうことなのだろう。

すみだ水族館を愛している。

大水槽の裏



そもそも、水族館を愛しているのだけれど、すみだは特別だ。
大きい水槽の前に、ベンチがある。
わたしはそこで、ずっと座っていられる。

つまりすみだ水族館とは、大きい水槽を観にくる場所なのだけれど、今日は水槽の前が埋まっていた。
世の中はそろそろ夏休みだろうか。
わたしの会社も夏休みに入ろうとしている。
わたし自身はペースを乱すこととか、イレギュラーなこととかがあまり得意ではないので、夏季休暇中も仕事をすることにした。
夏季休暇よりも、好きなときに出勤して、休みたいときにパパッと休んで、飽きたら帰る暮らしのほうが性に合っている。

そんなわけで、自身は夏休みとは縁遠い暮らしをしているけれど、世の中はそうではない。
夏の長い日が沈んだ今も、こどもたちの声で溢れている。
こどもが元気なのはよいことだ。

そしてわたしは、ペンギン水槽の前に座っている。

大きな水槽の前が空いていなくて残念だな、と思った。
確かに思ったのに、信じられないほどの束の間だった。

大きな水槽を、遠くから見る幸福たるや。
ああ、今日まで気が付かなかった。

目の前にはペンギン
視線を動かせば大きな水槽に、こぽこぽと泡が浮いている。
あの水槽の、魚よりも泡が好きかもしれない。

こぽこぽと、絶え間なく
ずっと浮いている



ペンギンは、泳いだり潜ったり、ときどき目の前を通る。
さっきまではもう少したくさんいた気がするけれど、夜は眠るのだろうか。
「夜はボスがいないから、子供が泳ぐ時間だ」みたいなのも、どこかで読んだ気がする。
ペンギンの世界にもいろいろあるのだ。
ひとりとか、一匹生きていくのはものすごく大変なのに
誰かと関わらなければいけない難儀さは、人もペンギンも変わらないのだろうと思う。気の毒に

わたしは、ペンギンのいない大きな水槽を見つめている。

わたしは、水面を愛している。
それは、川や海を見つめることを愛していることで
同じように、コーヒーを淹れたマグカップの表面も愛している。
落としたミルクを見つめている時間が好きだ。
わたしはミルクを、決して混ぜない。
混ざってゆくのを、いつまでも見つめている。

延々と揺れる、ペンギンプールの水面を見つめている。
ペンギンはいても、いなくてもどちらでもいい。

アクアパーク品川の、イルカのいないイルカショーも好きだった。
夜、イルカの寝ている時間にひっそりと行われる、音と水と光のショー。
アクアパークの年パスを持っているときは、よく通っていた。

これは、イルカがいたときのアクアパーク品川。
ここもとても好き




愛している。と思う。
いろいろなものを
さまざまな理由をつけて
愛している、と思う。

かつて、「味方を作るな」と言った人がいた。
「誰かが味方になると、他の誰かが敵になるから」というようなことを言っていた。
そのときは、そうかと頷いたけれど、いまでもよくわからない。
人類はみんな兄弟だから、敵とか味方とかないってこと?

何かを愛していると、愛していないものが生まれるような気がしている。
大きな水槽を愛するわたしは、ペンギンプールを愛していなかった。
でもそれも、今日までの話だ。

そしてわたしは、
何日か前の自分のツイートを思い出している。

パン屋さんのね
外が見える席が好きだったんだけど
埋まってて残念だなあ

しかたない
と思って、お店の中が見える席に座ったんだけど

パン屋さんを見ながら食べるパン
さいこうだなあ

なんて思う自分の節操なさを
結構好ましく思ってる

まったくもって、今日のわたしと同じで驚いている。
本当に節操がない。

ああ、でもそれでいいんだと思う。
敵も味方も、好きも嫌いもすなおに受け入れたらいい。
そのあと、味方を増やすのか好きを増やすのか
何を増やすのが自分にとって心地良いのか、見極めたらいい。

わたしは今日も愛している。
水族館を
水面を
コーヒーを
散歩を
ひとりの時間を
愛している、確かに。

そしてそれは、
動物園と紅茶と、誰かといる時間を愛していない。というわけではない。

時折確かめる。
わたしは、愛を纏い、思い込みの海を泳いでいることを。
いまここの居心地がよいということは
隣の海の居心地が悪いということと、イコールではないこと。

ペンギンの白いおなかは、水面を浮いているようだった。
あいつら、半分くらい泳いでなくないか?
ときどき地上で、ときどき水中で
水中では浮かんでいるのと、泳いでいるのと半分くらいだ。
でも、それでいいんだと思う。

わたしも、ぷかぷかと心地よく過ごせる場所を
今日も節操なく愛しながら
へらへらと生きていきたいと思っている。


そしてくらげも好きだから節操ないし
だからこそ、水族館が好きなのだ。とも思う






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