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1キロヘルツの世界

「夜中だから大きい声出さないで!」

前の家に住んでいたとき「騒音」という名目で、二度警察を呼ばれたことを、わたしはまだ根に持っている。
別に、バカ騒ぎをしていたわけじゃない。
上の階に、ちょっとデリケートな人が越してきて、わたしたちの「しゃべり声」がうるさいというのだ。
証拠として、わたしたちのしゃべり声を録音している、と言われたことに狂気じみたものを感じ、退去することに決めた。

「わたしたちの声の大きさだとね、”小声”以外のすべての声が”大声”になるの!」

わたしも同居人も、地声が大きい。
わたしの場合は、大人数でしゃべっていても「まつながの声がうるさい」と怒られたことがあるので、ちょっとコンプレックスを感じているレベルだ。
そして、同居人も声が大きい。酔っ払っているので、タチが悪い。

「でもさ、わたしの声とあなたの声って、どっちが大きいの?」
「デシベルで言ったら、俺のほうだと思うよ」

音の大きさを測る単位で「デシベル」というものがある。
ふうん、とわたしは答えた。

「でも、君の声のほうが”よく通る”から、うるさく聞こえるかもね」
「どういうこと?」

「君の声の核は、”1キロヘルツ”あたりにあるから」

また、別の単位がでてきた。
ヘルツ、というのは周波数で、「1秒間に1回の周波数・振動数」と定義されているらしい。
振動数の数が多いほど、音が高くなる。
ちなみに、同居人の声の核は、800ヘルツあたりにあるらしい。


この「デシベル」とか「ヘルツ」っていうのは、
バンドをやっていると耳にする単語だけど、わたしはあんまり勉強せずに過ごしてきた。
自分の好きな音だけを、わたしの感情の乗るピアノだけを追求してきた。
いまでもそれは、変わっていない。

よくわからない。
その、”声の核”っていうのも、よくわからない。
でも、

「1キロヘルツの世界かあ…」

わたしは、小さくつぶやいた。


自分の声が、あんまり好きじゃなかった。
大きすぎるし、よく通ることは理解していたので、イベントの売り子なんかをやるときには便利だったけど、
「カエルの鳴き声」「つぶれた蝉の声」など、散々な言われ方をしてきた。
低くてしゃがれてる。
かわいい鈴の音みたいな声の女の子を、羨ましいと思ってみていた。


この、”声の核”を変えることができるかどうか、わたしは知らない。
でも、いまのわたしの核は、1キロヘルツの近くにあって、
それは、神様じゃなくて両親からの贈り物で、ずっと一緒に歩んできた戦友で、

わたしだけの世界、だと思った。


最近、家でふざけて歌う以外、あんまり歌っていない。
自分にとって歌うことがなんなのか、よくわからないままライブができない毎日に入ってしまった。
録音をするならば、歌よりもピアノのほうが手軽、というのもあって
自分の曲ですら、もう長らく歌っていない。

わたしが弾き語るその曲は、
わたしが歌ってあげないと、死んでしまうのに。


「1キロヘルツの世界」
よくわからないけど、それは美しい言葉だと思った。

ああ、きっとわたしはこの世界に出会うために、また歌をうたうんだろうな。

そんなことを確信した、夜だった。


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