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【深夜のお悩み相談室】 自分に向いていることを知りたい

 夢を見た。
 占い師に「相性を占おうか」と尋ねられて、答える前に目が覚めた。

 夢の中では、もう会えない友達や、はじめしゃちょーがわたしの彼氏だったりすることがあるけれど、そのときはめずらしく、現実世界の同居人が隣りにいた。

 声には出さなかったけれど「占ってもらわなくて結構です」と答えるつもりだった。

 そりゃあ、かつて……限界を迎えそうなときには占ってもらったことがある。
「あなたは水で、彼は木だから。彼にとって、あなたはいたほうがいい(水を与える)ような関係だね」と言われて、「吸い尽くされてンな〜〜」と思ったことは、一生忘れないと思う。
 今では、「すいすいと流れていく水のようなわたしが、人間としての形をなんとか保てているのは、同居人が真っ直ぐな木のように隣にいてくれるから」なんていう前向きな解釈もできるだろう。

 だから、もう聞かない。って思った。
 相性がどっちでも関係ない。
 一緒に過ごした時間は決して短くないし、「こんなふうにやるとうまくいくよ」というのは、言われなくてもわかっていることか、言われてもできないことのどちらかだと思う。

 そしてわたしはこの問いに、「占わずに答えてもいい?」なんて、ちょっとエラそうなことを言ってしまったんだけれど、後悔はしていない。

 自分に向いていることを占っていただくことってできますでしょうか…?

 苦手なこととかわかってきたなとは思いつつ、正直得意なことがあまり自分で把握できていない気がして、今後何に力をいれるべきか。客観的に知りたいなぁと思っています。

 自分の特性、特技、反対に向かないことなど占うことは可能でしょうか?

 あれ、これってもしかしたら普通は「就職活動」のときに、ある程度は調べたり考えたりするもの? 適性検査とか、イロイロあるじゃん……念能力診断とか。
 就職活動したことないから、そのへんよくわからなくってごめんね。こんなにくどくどとエッセイを書く前に、もっと適切な回答があるかもしれない。それは、世の大人たちに(あるいは社会で戦う同年代)に聞いて欲しい。


 あなたから見て、わたしは「文章がうまい人」に見えるだろうか。
 消してないので「見られても仕方がない」という覚悟ではいるけれど、かつてのエッセイなんて、いやもう本当に。見られたくないし、書くことはしんどかった。

 会社をクビになったこのころ。
 時間だけはたくさんあるのに、パソコンの前に座ることが苦痛でならなかった。
 書くことは楽しいとは思えなかったし、何もせずに過ごすという事実に耐え得る強靭な精神力があったら、きっと書かなかったと思う。
 わたしは自分に”負けること”で書き続けた。
 ”今日も何もできなかったわたし”と、毎日暮らし続けることができなかっただけ。

 そして今に至る。
 途中で「楽しい」と思える瞬間もあったし、今でも書くことより寝ることのほうが好き。会社に行くことよりも書くことは好きだけど。
 でも今でも書き始める瞬間は億劫。これは、スターバックスに座って書き始めている。
 新しい本を買おうか悩んで「いや、買う前に書けよ」と思って書き始めた。つまりは、ご褒美がないと書き始められない。


「書くこと」を選んだことを、母親あたりはごく自然に受け入れられるだろう。
 10歳の頃にワープロを与えられて、そのときから好きな文章を書き綴り、インターネットが開通したら自分のホームページを作り、文章を公開していた。という古のオタクだった。
 10代のころの記憶はあんまりないけれど、書くことは楽しかったと思う。たぶん、書かなくても生きてゆけたし、インターネットはあくまで架空の世界で、限られた人たちが訪れる別荘とか、避難所みたいな感じだった。

 音楽活動をしていたとき、歌詞を書くことがいちばん好きだった。いちばん、生きている感じがした。
 当時は一括りに”音楽活動”だと思っていたけれど、本当は音楽以外で、ブログやメルマガを書くことや、ライブやスケジュールを組むことも好きだったと思う。
 曲を作っているときは楽しくて、練習は嫌いだった。
 最初は、相方が歌詞を書く。と言ったとき、「嫌だ」と思ったことを覚えている。

 練習は嫌いだったけれど、ピアノを嫌いになりきれなかったのは、相方がわたしをずうっとずうっと、広い心で自由にしてくれたからだと思う。
 わたしはずっと許されて、好きなピアノを弾いていた。それは、わたしの感情そのものだった。

 たぶんわたしは、感情を紡ぎたいのだと思う。
 今となっては、そう思う。

 弾き語りが長続きしなかったのは、「音楽でなくてもいい」と気づいたからではないだろうか。
 自分の「つたない歌とピアノ」の組み合わせでは、十分な感情を載せることができなかった。
 だったら書いた方が早いというか。
 願いは叶ってしまっていたというか。
 音楽のその現場に、わたしは強い情熱を、実は持っていなかったのではないか。とか。
 まあいろいろあるけど、今は書いて暮らしている。
 仕事、というほど書いてはいないし、お金にはなっていないけれど、1円以上にはなっている。
「食っていけるほどではない」ってやつ。
 ワープロを与えられてから、25年以上が経って、わたしはいまでも書いている。


 とあるシンガーソングライターとの会話は、今でも思い出深い。
「何が好き?」と聞いたことがある。
 シンガーソングライターの業務というのは多岐に渡り、「歌」「楽器」「作詞」「作曲」「アレンジ」などなど……
 彼は迷わず「曲を作ること」だと言った。
 アレンジは面倒だし、自分の曲を自分で歌わなくてもいい。と言っていた。

 別のシンガーソングライターには、最近新曲を書いていなかったので「なんで?」と尋ねてみた。
「まだ、既存曲を完璧に歌いこなせていないから」
 そう言われたときには、ぶったまげた。
 彼の、歌にかける情熱、真摯な態度たるや……
 このひとことで、君の歌を好きになってしまいそうだ。
 そしてこの男に「何が好き?」と尋ねても、おそらくストレートに「歌」とは答えられないのだろうと思う。
 いろいろな要素が交わって……つまりは、「そのときどきで変わる」とか「総合的に」とか、
 あるいは、「まだ探している」のだと思う。
 わたしから見たら、「音楽は他者と関わる道具」であり、この男は「他者と関わること」が何やら大切なように見受けられる。


 さて、質問内容に戻ると
「自分に何が向いているか」については、ネットで調べるのが早いと思う。
 念能力診断とか、どうぶつ占いとか、真面目にやるならこういうのとか。類似するものは幾らでもあると思う。

 わたしが拙い四柱推命とか、数秘術でも似たような何かは導き出せると思うけれど、多くはネットに書いてある。
 それでも、わたしを頼ってくれてありがとう。
 だからこそ、「わたしとして」答えたい。

 わたしを含め、3人の「シンガーソングライター」の答えを提示した。
 わたしたちは10代の頃から音楽に触れ、それぞれの道を歩み、そしてようやく答えを見つけた。
 いや、「見つけた」なんて恐れ多い。近づいただけかもしれない。答えは「変わってゆくこと」を受け止めて、「旅をする覚悟」を決めただけかもしれない。


 冒頭の、「相性占い」の話に戻る。
 相手(対象)との相性がわかればよい。と思うこともたくさんある。
 けれども、あなたを占って「芸術の分野には秀でていません。マニュアルに沿って行動することが向いています」と言われたらどうでしょう。
 うるせえ、って思いません?
 あるいは「人に何かを教えることに秀でています」と言ったら、すなおに一線を退きますか?
「誰かをサポートするほうが向いています」と言われたら、自分の名を冠する公演はもう行わず、誰かを支えて生きてゆくことを選べますか?

 年長者として、時折「最短ルート」を示すことがあります。
 もしあなたが「フライヤーを業者に依頼して印刷したい」というならば、プリントパックを勧めるでしょう。調べるもなく、ここがいちばん安い。そんなショートカットであれば、いくらでも提示します。
 わたしのエッセイは、すべてそんなつもりで書いています。あなたの感情を肯定しながら、だいじょうぶ、そのまま生きていて良い。と。わたしと同じように落ち込んだりしなくてもいい、その感情はわたしが引き受けた、と。

 けれども、自分の向き不向きというと、話は少し違います。
 ここを、ショートカットする術はない。
 もっと言ってしまえば、「ここは自力で踏ん張れ」ってところです。
 もちろん、「他人に評価されたこと、感謝されたこと」で選んでゆくのはよいことでしょう。

 向き不向きを、「好き嫌い」に言い換えて例え話をするならば、嫌い(不向き)は口にした瞬間にわかります。口に含んでいられないし、すぐに吐き出したくなるでしょう。
 けれども、好き(向いていること)は、口に入れた瞬間に判断することはできません。
 噛んで、噛んで、吐き出して、また噛んで
 そしてその味は、「うまい」と感じた直後でも、ようしゃなく「まずい」と牙を剥いてくることもあるでしょう。きっと、思い通りには進みません。

 それでも「噛みたい」「吐き出したくない」と思ったものが、あなたの「好き」なものであり、向いていることだと思います。

 今日はシンガーソングライターを例に出しましたが、職業や役職という肩書の中にも、業務はたくさんあります。
 バンドをやるにしたって、「演奏だけしていればいい」ということはありません。
 スケジュールを組んで、スタジオを押さえて、ライブハウスの人とやり取りをして、告知もして。一見「音楽じゃないじゃん」という作業もたくさんあります……公演を企画したあなたならば、よくわかると思います。
 もちろん、苦手なことや手から溢れることは外注しても構いません。
 けれどもこのとき「外注する能力」が問われます。

 ”好きなこと”や”得意なこと”を見つけるためには、すごく時間がかかります。
 好きだと思っても、業務を細分化すれば「嫌い」なものにも当たってしまうでしょう。同じように、新たな才能に気がつくこともあります。
 むかし誰かが言っていた、「好きなことをやるために、嫌いなこととどう向き合うか」
 おとなになって、この言葉が大変にストンと落ちるのです。
「嫌いならやらなきゃいーじゃん」と思うんですが、そのためには「他人に頼る能力」と「お金」が必要なんです。
 演奏だけしてればいいバンドマンなんて、どこにもいません。


 ちなみにわたしも自分の”得意なこと”は、わからない。
 むしろ、毎日「書くって言っても幅広くイロイロあるんだな〜」と、バカみたいに思っています。
 時折誰かから評価をいただくと「あ、これで合ってたんだ」と安心します。合っていなくても、書き続けたいこともあります。

 やっぱりそれは、誰かに支えてもらうことはあっても、自分で見つけてゆくもので最短ルートはないんだと思います。
 もし最短ルートがあるんだとしたら、「食わず嫌いしながらもいっぱい食った奴」のような気がしています。
 食わず嫌いの王様のようなわたしがいうことじゃないけれど。
 いま思えば、得意なことというか、負担なくできることは10年前と変わっていない気がします。けれどもそれを「特技だ」とは思えないものばかりです。


「嫌い」や「苦手」と同じ身軽さで、「好き」と思って進んでみてください。
 その才能がすぐに花開くかは別として
 諦められなかったものが、あなたの「向いている」ことです。
 それは、誰かと比べたときに秀でているものではないかもしれません。
 それでも手放せなかったものが、一瞬の輝きと喜びを忘れられなかったものが、きっとあなたの才能となるでしょう。

 もし、あなたが同年代の親しい友人だったら「逃げんなバーカ」と言ったと思います。年上の友達だったら「芸事は甘くないよ」とたしなめられたかもしれません。
 けれども、わたしはどちらでもないので、「一緒に頑張ろうね」と言います。

 転んでも、折れても、帰ってこられる場所。
 ひとつひとつの経験をして、触って飲んで吐き出してを繰り返して
 毎日を大切にすることは難しくても、「おもしろいな」と思ったものから、決して手を離さず

 一年後は難しくても
 三年後には忘れていても
 いつか笑って、「むかしはそんなこと言ってたね」って話せることを
 ここで、願っています。


 2024年4月22日 ねる


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▼こんなこと書くと、占いを頼みづらいとお思いになる方もいるかもしれない……やっちまった
なんでも聞きます。絶対に
だから、なんでも聞いてね




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