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これからもずっと、変わらない夢がある

晴れた日は散歩をする。
この日は、公共料金や家賃を払いに行くついでに駅前まで歩いて
お気に入りのカフェの前を通った。

しばらく店内営業をお休みしていて、
テイクアウトのみの営業なので、いつもスタッフの誰かが外に立っている。
今日も見慣れた顔を見つけて、ほっとしながら、
わたしは、吸い込まれるように声をかけた。

頼んだ商品を待っているあいだ、他愛もない話をする。
今日は見知った顔の他に、もうひとり出てきて
「うちの若い子!会ったことありましたっけ?」と尋ねられた。
人の顔を覚えるのは苦手なので、初対面かは定かではないが、「今日覚える」と言って挨拶をした。

若いというので年を尋ねたら、ハタチだという。
もしかして、ざわつく気持ちのまま尋ねたら、「うさぎ年です」と返ってきた。

「わたしも、うさぎ年だ……」

もちろん、ライブハウスに出入りする中で、高校生だって10代だっている。
でも、「そういう生き物」として、度外視していた。

実は、「同じ生まれ年の子」に、会ったことがなかったのだ。

仲間内で一回り年が違う、という現場な何度も見た。
いつもわたしは、そのあいだにいて、10個差だね、と笑っていた。
ついに、「わたしの一周り下の子」が現れたのだ!

動揺した結果、
「同じ人類として、仲良くしていただきたく…」などと口走り、
30代無職、スッピンの女は、さぞかし不審だっただろう…

「あの、わたし、三十代で無職ですけど
 きみたちが、”おとなになるって悪くないなあ”って思える
 未来を作れるよう、がんばるから……」

いやでも無職でスッピンに言われても、なんて思ったけど
隣りにいたもうひとりの子が、「ほんとそれっすよね〜〜〜」と笑ってくれて、ほっとした。

ほんと、それ。
わたしの思いを笑わずに、肯定してくれて、
もちろんそういうひとだってわかってたけど、なんだかほっとした。


気づいたら、「大人」という括りにカテゴライズされている気がする。
そのカテゴリー自体にはあまり興味はないけれど、
年下の子、という存在が、増えてゆくのは事実だ。

無職でスッピンだし、
いま、具体的な手段や方法を語れるわけじゃないけど、

「大人」に属したと自覚したときから、わたしの夢は変わらない。
きみたちに、”おとなもたのしそうだなあ”と思ってもらえるような、人間になること。

この思いは
いま、どこまでも堕落していくことだってできる、無職なわたしのこころを
確かに、支えてくれている。


photo by amano yasuhiro

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