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さびしくてたまらないとき、君を抱きしめることを辞めた。 * 「今日は帰れない」と連絡がきた夜に、このエッセイを書いている。 同居人は、ときどき帰ってこない。 そのたびに電話をかけていて、深夜の執筆中のわたしを苛立たせた。 わたしは、執筆中に声をかけられることをとても嫌う。 30をとっくに越えたおとなが、深夜にどこにいようと構わないのだ。 愛があるなら、「帰れない」の一報だけ欲しい。 「帰れなくてごめんね」と、言われることも嫌いだった。 べつにわたしは、君がいなくても平
投稿したエッセイを確認していると、ページの下部に「このクリエイターの人気記事」が表示される。 むかしは、「クリエイター」と呼んでもらえることそれだけで、なんだかぽかぽかと嬉しかった。 居場所を、与えられたような気持ちになった。 たぶんあのころは、居場所というものが必要だったんだと思う。 書き続けて辿り着いたのは、「座れればどこでもいい」のような、野生児のような魂だった。 わたしが本当に必要なのは、居場所じゃなかった。 いや、居場所もあればいいのだけれど、プライドを折るくらい
目が覚めて、ひとりで、ほっとする。 最近は、仕事から帰ってごはんを食べるとすぐに寝てしまう。 会社では平気な顔をして、ついつい大声で笑ったりして、きっと「あかるいひと」、あるいは「げんきなひと」なんて思われているのだろうけれど、 仕事が終わると、ぐわりと疲れる。 後遺症による、薄い靄みたいなものは、まだ晴れない。 (病のカテゴリ?としては、ブレインフォグと呼ばれるらしい。ずいぶんとその名の通りだなあと思う) 病気のことはさておき、そもそもそんな暮らしをしていた。とも思う。
わたし今日、画期的なことに気づいたの。 家族の愚痴です。 読み物としてお楽しみいただけるように、或いは頷いていただけるように書きましたが、100%本音の愚痴です。
わたしは、一緒に住んでいる男を”恋人”と呼ぶことを嫌っている。 宇多田ヒカルだって、そう言っていた。