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「懐かしさ」の正体

ふりむくなよ

サッカーとの関わりがなかった学生時代。

このまま大人になったら取り返しのつかないことになる、
という漠然とした不安があったにもかかわらず…

大人になれば自身を取り巻く環境が大逆転し、
サッカーとの関わりも急展開を見せるのではないか?
という根拠のない希望を捨てずに生きてきました。

そして社会人に。

学生時代にサッカーをやってきて進学・就職とともに引退された方は、この頃になると現役時代のことを懐かしむこともあるのではないでしょうか。

しかし私の場合、大人になってようやくボールを蹴れるようになった。

その時点で、過去を振り返って懐かしがるような材料などありませんでした。

過去からのメッセージ

過去に「懐かしい」という感情を抱き始めたのは割と最近のことです。
腎不全が進行して、透析へのロードマップが見えてきたあたりでしょうか。

ここで不思議な現象が起きます。

懐かしい、と感じるのは就職してボールを蹴り始めたころではなく、サッカーなどとんと縁のなかった小学生時代のことなのです。

それも、心臓が悪いと嘘をつかれる前、小1~小2のころ。
まだサッカーというものに対しコンプレックスを抱く前のことです。

あの頃の団地からの景色、遊んだおもちゃ、学校の教室の風景…
何もかも懐かしい。

これはいったいどういうことなのか。

懐かしさというのは、人生充実して楽しかったころに対して感じるものではないのか?

その理由は何なのかずっと考えを巡らし、達した結論がこれです。

「あのころから人生をやり直したい」という願望、
これが懐かしさの正体なのではないか。

先日書いた、洗替法か切離法か?にも通ずる話です。

実際に人生をやり直すことは不可能ですから、サッカーに関しては新たな関わり方を模索するしかない。
しかし、その時にこの「やり直したい」という感情を置いてきぼりにせず、きちんと向き合ってこれからの進路を決めるべきなのではないか。

懐かしいという感情を通じて、幼いころの自分がメッセージを送ってきているような気がするのです。


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