津田沼のあの子

それは突然の報せだった。自分の青春の大半を過ごしたと言っても過言ではない我らが地元、津田沼のパルコがどうやら無くなるらしい。そのニュースが全国に知らされる頃には、幾人かの友人たちからの閉店を悼むLINEが何件も溜まっていた。

43年も前から津田沼に鎮座していたそれが閉店する理由というやつは至ってシンプルだ。2018年からの減損損失がこの災禍でピークを迎えたらしい。要するに経営不振だ。

学生の時はさることながら、社会人になってからも地元に巣食っている私が毎日のように通っているそれが呆気なく無くなってしまうのは、自分に思った以上にショックを与えていたようだ。Twitterには収まらない喪失感をここで吐き出すことにした。

前述の通り、私の青春の大半はほとんど津田沼にある、それもほとんどパルコに集中している。
ちなみにタイトルの「あの子」は別にパルコのことではない。まあほとんど脳内では別れた彼女のような扱いをしている。急に元彼女が遠くに転勤するあの喪失感。(元カノが転勤したことも彼女と別れてから変な長文を書いたこともない)「あの子」は一人であり、みんなでもある。色んな経験を共に津田沼パルコで過ごした人たち。
それらに支えられ、叱咤されて今の自分は成り立っている。古着屋で働いていたあの子の何気ない一言とか、喫茶店で紫煙を吐きながら適当に放たれた親友の深いようで浅いようなあの言葉とか、それらの言葉たちは今もあの場所にへばりついて、ずっとこっちを遠くから見つめている。
変な場所と変なテンションで決死の告白をしている最中にぼんやり見えた『PARCO』の電灯とか、厳しい親がいる家に帰りたくなくて冬に入ったカレーうどん屋さんの看板とか、そういったしょうもないこと、でも忘れたくないことがあそこには沢山詰まっている。

あの場所が無くなってしまうのは寂しい限りだが、そこで過ごした私の青春や思い出が無くなるわけではない。
それに、閉店までにはあと2年ほどの猶予があるらしい。それまでに沢山最後の思い出を作ればいい。入ったことのない店にも顔を出してみよう。それがきっとあの子がいなくなったときにも、悲しみ過ぎずに明るく別れるための準備になるから。

じゃあね、パル子。




………。

どうも私半月と申します。しがない会社員ですが、唐突な津田沼パルコの閉店ニュースにショックを受けてついに変な長文を書き連ねてしまいました。不定期にTwitterには書ききれない日常の思いつきや忘備録を書き連ねる予定です。以後お見知り置きを。

では、アデュー!

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