なぜ、「褒める。」「叱る。」より「ありがとう。」が効果的なのか。
意外と気をつかってしまうJUNです!
まだまだ自分を信じる気持ちが足りないのでしょう。だからこそ、人間関係に過敏になってしまうのだなぁと本を読みながら改めて感じた今日この頃。
しかし、そんな性格だからこそもたらされた副産物というか、たなぼた的な自分のスキルが、
「つい、ありがとう。」
と言ってしまうことです。
対人関係に過敏なだけに、必要以上に感謝というか恐縮してしまうところがあるのですよね。しかし、人間関係で「ありがとう。」は、褒めるよりも、叱るよりも効果的であるという情報を発見したので記事化させていただきます。
▶褒めることの難しさ。
「子どもは褒めてのばそう。」というのは、もはや誰しもが聞いたことがあり、心がけていることでしょう。
もちろん、教師は褒め上手な人が多いです。ぼくも褒める力に関しては日本代表レベルだと密かに自負しておりますが、そんな僕でさえ、褒めることに対して違和感を感じたことがありました。
教育現場でよく使われるテクニックとして、
「みんなの前で褒める。」
というものがあります。
例えば、
「○○さんは、今日の給食準備の時間、重い食器を運ぶのを手伝ってくれたんだ。これってとても優しいよね。みんなで、拍手~」
というように良い行動を全体化するわけです。
ここで教師側の思惑をいやらしく探っていくと、
「みんなも○○さんのような行動をするんだよ!」
と、間接的に求めているのですよね。まぁ、これについては問題ないと思いますが、問題なのは子どもたちの次のような反応です。
「先生!それだったら、昨日は僕がやりました!」
「私も○○さん、手伝いました!」
完全に教師の意図が裏目に出ています。
小さい頃から「褒められるのは良いこと」と信じて育ってきたからこそ、「同じことをしているのに褒められないのは不公平」だと感じてしまうのは当然でしょう。
さらに、「褒められたい。」という子どもの強い気持ちは、
「褒められるために優しい行動をとる。」
という結果にもつながっていくのです。もちろん、このモチベーションでより良い行動を続けていくのはかまいません。しかし、問題なのは、
「褒められないならやらない。」
という、教師が見ていないときの行動につながらないということなのです。
▶叱ることの弊害。
こちらは至極当然の話なので短めに。叱るという手段は、その場だけの反省にとどまります、
「先生に怒られたくないから従っているようにみせる。」
という、表面優等生を育てる結果になります。叱ることの教師側の意図は単純で、
「言うことを聞かせたい。」
「縦関係の序列をはっきりさせたい。」
「単純にいらいらしていた。」
など、大人側の事情で叱るという手段を選んだとしか思えません。
叱るという手段を行使してしまったのであれば、
「まだまだ修行が足りなかったな。」
と自分自身を振り返る必要があります。
▶褒める、叱るよりも大切なこと。
では、褒めるも叱るも取り上げられた状態でどうやって子どもと接したら良いか途方にくれた迷える子羊のためにおすすめの選択肢を与えます。
偉そうにしてすみません。その選択肢とは、
「感謝する。」
です。
「ありがとう。」
と伝えましょう。
「褒めることと何が違うのか?」と疑問に思う方もいらっしゃるかと思いますが、感謝をして育つのは、
「貢献感。」
なのです。貢献感とは、
「自分は、誰かのために役立っているという他者意識。」
のことを指しています。褒められて承認されることは、「自分中心」になっているので、貢献感とは明確に違います。
感謝の言葉を、浴びて成長した子どもは、
「自分の行動は誰かのためになっている。」
「誰かのためになることが、良い行動である。」
と、学習していくとこでしょう。
自分の意識の中に、他者の喜ぶ姿があるというのはかけがえのない学びなのです。
▶まとめ。
本記事では、「何よりも大切なのは、感謝の言葉。」という内容をまとめました。
貢献感を得るということは、自分を大切にすることにもつながります。
自分のためだけでなく、周囲さえも幸せにできる人物となることができたら最高ではないですか!
他者意識をもって行動できる自分。なんとも自分に対して自信がつきそうですよね。
ぜひとも、親御さんは、「人のために行動することは、自分を成長させることにつながる。」ということをアドバイスしてあげてください。
そして、小学校という子どもの集まっている場所で貢献感を積み上げ、自信を深めていこうではありませんか!
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