「みんなと同じ」を意識してしまう意外な理由とは
環境の変化があると、
「みんなと仲良くできるかな。」
なんて心配が生まれてくるでしょう。
親御さんと面談をしていても、
「うちの子は、”みんな”の中で馴染めているでしょうか…」
という心配をされている方は少なくありません。
もちろん、所属するコミュニティの中に信頼できる人がいるというのは、人生の幸福度を上げるために欠かせません。
しかし、最高の人間関係というのは、自分の素直な気持ちを押し殺し、個性を隠したままやり過ごすことではありませんよね。
ということは、自分らしくふるまいつつ、そんな自分を理解してくれる仲間づくりを進めることが大切なのですが、分かっていても上手くできないもの。
ついつい「集団から浮いてしまうのではないか…」と気にしてしまいます。
この”はみ出し注意報”というのは、個人的な感覚というよりは、「集団行動をよしとする文化」の賜物かもしれないのです。
本記事では、僕たちがついつい「みんな」を意識してしまう理由についてさくっと解説。
もちろん、意識すれば個性的な存在として集団からはみ出すことも可能。
しかし、はみ出せばいいってものでもないので、まずは読んでから自分の立ち位置を見直してみてくださいね。
▼「みんなに合わせる」というのは、文化の影響?
最近では、子どもたちの多様性を尊重し「個別最適な学び」の実現が求められるようになりました。
僕たちが学生の頃は、「みんなで同じ内容を同じペースで」が基本だったので、ちょっとでもはみ出した行動をしたもんなら先生によっては大変なことになったものです。
つくづく教育界も変わってきたなぁなんて思うのですが、肝心な子どもたちはというと、どうやら「みんなと同じ方が安心する」なんて子もいるみたい。
というのも、「自分で計画していいんだよ…」と自由を与えられた方が逆に困ってしまう子どもさんもいるのです。
自分で選択してきた経験値が少ないのかなぁなんて思っていましたが、もしかしたら、「文化」の影響かもしれません。
というのも、アメリカのような「個人主義文化」では、「集団の中で、どれだけ自分らしさを出せるか?」という価値観で暮らしている。
それに対して、日本のような「集団主義文化」では、「集団がどれだけ協調しているか?」という価値観でよしあしが決められる。
だからこそ、集団内に収まり切っていないと判断されると、「こっちへ来なさい!」とうまく所属することを求められる場合が多いのです。
そして、このような「文化」は、世代を通して無意識のうちに受け継がれていくことが分かっています。
学校を例に上げて考えると、「先生」のもつ価値観というのは、”自分が学校へ通っていた時に出会った先生の価値観”に影響を受けているのは確実でしょう。
ということは、「普通」を疑うことなく教壇に立つと、数十年前によしとされていた価値観を現代の子どもに提供することになりかねません。
だからこそ、時代の変化に合わせてバージョンアップしていく必要があるのです。
▼とはいえ、「文化」の力は根強い
ここまで、「僕たち大人が”普通”と思っていることをバージョンアップしていく必要があるよ!」という内容を書いてきました。
ただ、これが言うほど簡単ではないのです。
冒頭でも触れたように、我が子を小学校へ通わせると、
「うちの子は、集団に馴染めるかしら?」
なんて心配してしまうのは、もはや「悪目立ちしないよう集団に溶け込んでほしい」という価値観の表れでしょう。
これが、「個人主義文化」出身の親御さんだったら、「うちの子は、集団の中でしっかりと自分をアピールできているだろうか?」と考えるかもしれません。
この「文化」の価値観浸透がどれほど根強いかというと、こんな実験からも確認されています。
「サル」、「バナナ」、「クマ」という3つの言葉の組み合わせを考えてもらうという実験です。
この組み合わせが、なんと文化によって変わってくるのです。
アメリカのような「個人主義文化」では、
ということが分かっています。
それに対して、日本のような「集団主義文化」では、
のです。
また、「人間関係について語ってもらう」という実験もおもしろいのでさくっと紹介します。
「個人主義文化」出身の人に人間関係について語ってもらうと、「自分が誰かに影響を与えた時の話をする傾向にある」のに対して、「集団主義文化」の人は、「自分が誰かから影響を受けた話をする傾向にある」ことが分かっているのです。
もちろん、生まれた国が違い、育った文化が違えば、人種ではなく、その文化圏の価値観が身に付くことでしょう。
僕たち人間は、これほど環境に影響を受けているのです。
▼まとめ
本記事では、「『みんなと同じ』を意識してしまうのは、文化の影響かも」という内容をまとめました。
もろもろ書いてきましたが、決して「集団主義文化」を否定している訳ではありません。
人間は集団となって力を合わせた時に、驚くべき成果を獲得できますからね。
ただ、何でもかんでも理由なく「みんな」にならないといけないという訳でもありません。
多様性を尊重するのであれば、必要に応じて「みんなから脱する」という選択肢も”あり”でしょう。
個人的な興味・関心に没頭しとことん追究する中で必要に応じて「みんな」となり、自分の力を発揮できる分野で協力するのが、個人的にはちょうど良いのではないかと思うのです。
もちろん、そのような状況が学校で実現できる確信はないのですが、何はともあれ理由もなく「みんなでやろうね」という文化からは、少しずつ解放されていってほしいものです。
📘参考文献
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