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なぜ教師の話は面白くないのか。

リモート学習が正式に「授業」として認定されることになりました。今回は、動画撮影をしていている中で、考えたことを書こうと思います。

その内容は、

「なぜ、教師の話は面白くないのか。」

ということです。みなさんも、「教師の話は、つまならくて長い。」というイメージがありませんか。それは、事実です。いや、事実と言っても人を惹き付け、最後には「聞いてよかった。」と思える人もいますよ。たくさん。しかし、毎日子どもの前に立って話術を披露している職業にも関わらず、「それはないでしょ。」というレベルの方も相当数いらっしゃいます。今回の撮影では、目の前に子どもたちがいません。最初から最後まで、個人での戦いとなります。そのような異例の状況に追い込まれたからこそ、「つまらなくて、長い。」話になってしまう原因が見えてきました。

「話し方を工夫する必要がない」ベテラン世代。

「教師」とひとくくりにしても、様々な個性をおもちの方がいらっしゃいます。「協調性」を強めに指導する割には、自分に協調性がないなんてこともあるあるです。「学級王国」という用語もあるくらいで、教師というのは、自分の裁量で突き進むことができます。だからこそ、管理職は、「学年で足並みを揃えろ!」と方針を打ち出すのかもしれません。手放しにしておくと、どこまでも突き進んでしまう僕のような人がいますから。

話しが逸れてしまいましたが、教師の話が面白くない理由は、「話し方を工夫しようという意識の低さ」があると思います。ベテランの教師は、「先生は神様」世代でした。「先生の言うことをきちんと守りなさい。」というよう家庭の後押しもあり、教師が何の工夫もしなくても、力で話を聞かせることができました。このような風潮では、話し方のレベルをあげようと努力する教師は、稀な存在であったはずです。そのために、聞き手が飽きているにも関わらず、気持ちよさそうに話を続ける鉄のハートをもった教師を育て上げたのです。

「敢えて話さない」中堅世代。

中堅の教師の話が面白くない理由は、「授業観」にあると思います。ベテラン軍の授業は、教師主導の知識偏重型でした。最後まで教師が知識を披露し、テストで100点を取ることが全てといった感じ。しかし、中堅の先生の授業観は、

「子どもたちが、どれだけ語っているか。」

という評価軸を採用しています。教師力を高める修行の1つに、自分の授業を一言一句「文字起こし」をするというものがあります。その際、教師として気になるのは、自分の発言と子どもの発言の「差」です。通し番号を振っていって、「教師の発言がなるべく少ない方が良い授業」とされます。また、教師の発言数が少なくても、1回の発言量が多いとマイナス評価です。僕ら中堅世代が目指したのは、「一言も教師が話さない。」という授業でした。そうです。その授業づくりを目指していたため、授業のレベルは上がっても、話術のレベルは、全くもって上がっていないのです。

「話し方の大切さに気付いた」若手世代。

ここで期待のホープが台頭してきました。若手と呼ばれる教師は、話術のレベルを意識的に上げようとしています。なぜなら、

「話が面白くないと、聞いてくれない。」

からです。「若い」ということは、最大の武器ですが、足かせになる場合もあります。子どもたちは、フレッシュな先生が大好きです。年が近くて話しやすい。休み時間も体を動かして遊んでくれる。しかし、「若さ」故の難しさは、「友達感覚から抜けきれない。」ということにあります。教師の権威を振りかざせということではありません。しかし、子どもたちに大切なことを「伝える」ときは、やはり「教師」という立場からアドバイスをしていると子どもたちに認識してもらわなければなりません。そのときの頼みの綱が個人の「話術」になるのです。多くの教師は、その必要性に気付き始め自己研鑽しています。どれだけ、子どもたちを惹き付けることができるか。どれだけ、必要なことを的確に伝えることができるか。毎日戦っています。

ここまで、教師の話が面白くない理由を世代別に分けて書いてきました。社会の変化とともに、子どもも変化し続けています。そして、教師も子どもに合わせて変化していかなければ、生き抜いていくことはできません。リモート学習も始まり、求められる教師力は、ますます変化していくことでしょう。この変化をチャンスだと受け止め、公教育が価値あるものとして進化できるよう自分にできることに挑戦していきます!

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