あれほど「後悔」したのに、同じ「あやまち」を繰り返してしまう理由とは。
「僕は、どうしてここに来てしまったんだろう。」と割とよく感じるJUNです。
大丈夫。今のところ頭は正常に動いていますし、急にSFを語るサークルを始めたりしません。
むしろ、あなたにはありませんか?
「もうやめよう。」と思っていたのに「またやっちゃった。」という経験が。
本記事では、「僕たちは、なぜ『あやまち』を繰り返してしまうのか。」について話題とします。
ぜひ、「後悔ループ」にハマる前にループを断ち切れるよう、子どもさんへアドバイスしてあげてくださいね。
▼僕たちが「あやまち」を繰り返す理由①
世の中には、様々な「あやまち」があふれていますが、前提としておきたいのは、
「全ての『あやまち』が、悪いとは限らない。」
ということです。
僕が、仕事において「またやっちまった。」と何度も「後悔」した内容というのを回りくどく説明すると、
「僕個人としては『価値がある』んだけど、僕の家族からしてみたら、『価値が感じられない』。」
という内容のこと。
まぁ、単純に言うと、「僕のエゴが前面に出ている仕事」ということです。
家族からしてみたら、
「そんなことにこだわるより、家族の時間を作ってよ!」
と主張したくもなるでしょう。
ばりばりやっていく教師人生をイメージしていた僕は、家族からの冷たい視線を背中に受けつつ、ただひたすら進み続けていました。
そんな僕にも転機が訪れました。
子どもの病気です。
人間は、「きっかけ」さえあれば、価値観なんてのは簡単に変えることができます。
ただ、その「きっかけ」にある程度の衝撃は、必要不可欠なのですが。
そんなこんなで、僕は「仕事を手放す」という方向に舵を切るのですが、スッパリという訳にもいきませんでした。
「今年こそ全面的に捨ててやる!」と思って臨むのですが、1年という時間の経過の中で、「捨てきること」ができるず、「来年もよろしくね!」という流れに飲み込まれていきました。
なぜ、このようなループに陥ってしまうのかというと、
「最大の要因は、『終わり方』にあり!」
これは、間違いありません。
どういうことかというと、
「人間は、『終わりよければ全てよし!』になってしまう。」
という強烈な特性をもっています!
どれだけ家族間のいざこざが継続的にあったとしても、1年間苦労を共にした仲間と手を取り合って語り合う瞬間には、どうしても達成感がこみあげてきてしまうのです。
そして、ささやかれるループへのいざない。
「来年も頑張ろうね!」
この瞬間の僕は、世界中の誰よりも爽やかに、
「よろしくお願いしますっ!!」
と、満面の笑みを浮かべていたのです。
▼僕たちが、「あやまち」を繰り返す理由②
人間は、本当におもしろい生き物で、退屈させてくれません。
あれほど辛かった記憶を「達成感!」として上書きしてしまいますからね。
さらに厄介なのは、その上書き力の強さ。
おもしろい実験があるので簡単に紹介させてください。
「ひどく単純な作業に取り組んでもらった被験者に対して、報酬を与えた。」という実験です。
実験で取り組む「作業内容」は変えずに、「報酬」に差をつけました。
では、ここで考えてもらいたいのですが、つまらない仕事の報酬が、「低いグループ」と、「高いグループ」では、どちらのほうがその仕事に対して「やりがい」を感じたと思いますか?
きっと、「報酬の高い方が『やりがい』をもつでしょう!」と考えたのではないでしょうか。僕もそうでした。
しかし、実験結果は、見事に逆をいったのです。なんと、
「報酬額が低いグループの方が作業内容を肯定的に捉えていた!」
というではないですか!
なぜこのようなことが起こるのか。
そうです。記憶の上書きです。
ちょっと考えてもらえれば納得していただけると思うのですが、
「つまらない作業に取り組んだのに報酬は雀の涙だった。」
なんて現実、耐えられないではないですか。
そこで、僕たちの能は気を利かせて、
「あの低報酬の作業は、まぁなんていうか、それなりに楽しかったよ!」
と、感情さえもねじ曲げて記憶にぶちこみます。
このような記憶の上書き作業が後悔の理由。
僕のように「絶対来年は手放すぞ!」と決めた仕事も、こつこつ取り組んでいるうちに、「この仕事には、自分にとって素晴らしい価値ががあるんだ。」と見いだしてしまうのが人間のおもしろいところなのです。
▼まとめ。
本記事では、「記憶の書き換えが、後悔の理由である!」という内容をまとめました。
一言でまとめてはみましたが、この「後悔ループ」から抜け出すには、それなりの「覚悟」が必要です。
もしも、子どもさんが「現実」と「理想」のはざまに打ちひしがれているようでしたら、正しい判断ができるよう、アドバイスをしてあげてくださいね!
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