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カメラの前で|エッセイ

 ある日曜日の朝、僕は小田急線で西へと進んでいた。映画撮影に行くためである。

 大学で「映像制作実習」という授業が行われている。1年かけて映画を作るという内容で、学生は有名映画監督の講師に毎週アドバイスをもらいながら制作を進めていく。
 僕はそのお手伝いとして制作に参加させてもらっている。

 初めての映画制作。初めての撮影現場。
 期待と緊張を感じながら僕は電車に乗った。
 撮影場所の高校は神奈川県藤沢市にあり、東京からは1時間くらいかかる。僕は席に座って本を読んだ。 

『カメラの前で演じること』

 著者は映画監督の濱口竜介氏。『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞するなど、近年世界的に注目されている監督である。最近では『悪は存在しない』がヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)を受賞し話題となっている。
 この本には『ハッピーアワー』という作品の演出法に関する解説や、脚本などが収められている。

 『ハッピーアワー』は30代の女性たちのドラマを描いた作品であり、演技経験のない4人が主演を務めたにも関わらずロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞するという快挙を達成したことで有名である。
 この作品は上映時間が317分(5時間17分)もある。僕はこの映画を池袋の新文芸坐という映画館で見た。 16時05分に上映が始まり、2回の休憩も含めて上映が終了したのは22時10分だった。
 長回しを多用した大胆な時間の使い方と、ラストに向かって少しずつ、しかし確実に加速し盛り上がっていくストーリー。僕はこの6時間を長いと感じることはなかった。

 未経験の女優たちを受賞へと導いた演技指導法や、6時間をあっという間に感じさせてしまう演出法。これらが記された本を読みながら撮影現場へ。この本が早速今日役に立つだろうか。僕はけっこうワクワクしていた。

 現場に着くとスタッフの皆さんがすでに準備をしていた。監督に挨拶をすると、カメラマンのJさんの手伝いをするよう言われた。
 初回からカメラアシスタント……!経験のない僕がいきなりそんな重大な役割を頂いていいのか。僕はちょっと不安になったが、とてもテンションが上がった。

 Jさんに挨拶をし指示を仰ぐと、衣装ケースのようなものを廊下に運ぶよう言われた。機材を置く台にするらしい。僕はその通りにした。
 ただ荷物を運んだだけだが、これも撮影に使われると思うととても嬉しくなる。僕はいい気分で物の移動や機材の充電をした。

 こうして雑用をしていると、Jさんに声をかけられた。地面から十数センチの位置にカメラを置きたいので台を探してほしいとのことだった。ここは高校の教室なので辺りを見ると役目を果たしそうなものはいくつかあった。僕は監督の許可を取り、原状を記録したうえでロッカーの上に置かれていた参考書をお借りした。きっとこの高校の生徒さんの物だろう。
 厚みは十分。しかしさすがに床にそのまま置くのはまずい……
 僕は自分のカバンから本を取り出しそれを一番下にしてJさんに渡した。
 まさかこんなに早く役に立つとは。まだ演技も始まっていないのに。

カメラの下で台になること


 撮影中、僕は主にモニターを持つ役割をした。このモニターは本番中に監督がカメラの映像をチェックするためのものである。
 本当は監督の手元にあるのがいいのだが、カメラとモニターを繋ぐケーブルがかなり短くモニターはカメラの側を離れられない。そのため僕がJさんの横でモニターを持ち、ずっと監督の方に向けておく必要があった。
 モニターはサイズは厚めの文庫本くらいでそこまで大きくはないが、重量はけっこうある。ずっと持っていると腕が痛くなってきてかなり辛い。後半は腕がプルプル震えていた。
 次の日僕の腕は案の定筋肉痛になった。

 助監督の先輩が言っていた「映画制作には筋トレが必要」という言葉は本当である。

カメラの横でモニターを持つこと


 主人公二人が出会うシーンの撮影中、監督が細かいアングルの指示を出しにカメラの所に来た。
 僕は監督に場所を譲ろうとそこをどいた。

 監督がカメラを覗くと、画面には僕だけが映っていた。僕は完全にカメラの前に立ってしまったのである。
 監督とJさんにツッコミを入れられ僕は慌ててフレームアウトした。ふたりとも笑って許してくれたのでよかった。その場にいた役者さんたちも笑ってくれた。
 これは意外とよくあることらしい。

カメラの前で邪魔になること


 「次のシーンでフォーカスやってみようか!」とJさんに言われた。フォーカスとはピントのことである。カメラや被写体の動きに合わせてピントを調節する役割のことだ。
 「やったことないんですけど大丈夫ですかね……?」と僕が訪ねると、
 「大丈夫大丈夫!ここをグルグル回すだけだから!」と笑顔で答えてくれた。

 やってみるとかなり難しい。ほんの少し装置を回すだけピントの合う範囲がかなり変わる。
 あと、装置の動きが直感と反対なのだ!
 時計回りに回すと近くにピントが合う。え、すごく逆な気がするのは僕だけですか。
 Jさんに訴えると、Jさんも逆な感じがすると言っていたので安心した。

 僕は計3つのカットでフォーカスを担当させてもらった(1つはピントが合っていないせいで後半が使えなくなりました。チームの皆さんごめんなさい)。中でも校庭を歩きながら会話をするシーンは特に大変だった。
 二人の人物を追いかけながら横顔を撮る必要があり、我々は並んで横歩きをしながら撮影をした。足音が入らないように靴も脱いだ。
 校庭に置かれたたくさんの靴とカニ歩き集団。
 映画の撮影はときに怪しい見た目になる。

 ちなみにそのシーンは映りこんだ草木が季節設定に合わないという理由でボツになった。

カメラの後ろで裸足になること


 夕方になり撮影も終わりになった。
 役者の皆さんには先にお帰りいただき、我々は控え室などの片付けをした。みんな一日の疲れが出てしまいものすごくダラダラしていた。

 すこしずつ作業を進めているとお腹が鳴った。そういえば昨日の夜7時から何も食べていない。もう22時間以上経っている。
 近くにいたS藤さんにお腹空きましたねと声をかけた。みんな少なくとも昼食は摂っておらず腹ペコのはずである。
 S藤さんはお腹すいたね、と同意したうえで、
「私、二徹だから余計しんどい……」と言った。
 なんと衣装の準備等で2日寝ていないそうだ。
 映画制作は恐ろしい……
 そういえばS藤さんはさっきから歩き方がフラフラしていて言動も少しおかしい。
 僕は見かねて食べ物を買ってきましょうかと提案したが、
「家に帰ったらすぐ寝るから大丈夫!」と満面の笑みで言われたので、とても心配だったが放っておいた。

 スタッフの皆さんは撮影日のずっと前から準備を進めている。
 その影響もあり、S藤さん(英語英文学科)は卒業論文の進捗がかなり厳しい状況だった。締め切り2日前になっても3割ほどしか書けていなかった。
 そんなときもS藤さんは満面の笑みで、
「頭の中では書けてるから大丈夫!」と言っていた。そしてほんとうに間に合わせた。

カメラの前に準備するもの


 「Jさん、あっちにパンの自販機があります!」
 僕はJさんを急いで呼んだ。
 我々はあまりにも空腹だった。エネルギーをほとんど失っていた。そして帰り支度をしているときに、校庭にあるパンの自販機を見つけたのである。
 「これめっちゃうまいやつじゃん!」
 売られているクリーム小町というパンを見てJさんは叫んだ。
 他のみんなを呼んできましょうかと僕は言ったがJさんは、
「いいよ、早く買おう、とにかく早く食べたいんだ。」
 それもそうだ。早くパンを食べたい!!

 我々はすごい速さでパンを購入した。僕の分もJさんが買ってくれた。

 急いで開封しパンを頬張る。
 うまい!柔らかくほのかに甘い生地。上品な甘さのクリーム。
 本当においしかった。Jさん本当にありがとう。ごちそうさまでした。

 映画撮影の後のご飯が一番うまいのかもしれない。

カメラを置いてパンを食べること


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