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がっかりされると、こっちががっかりしちゃうよ。

ある日のこと。
お世話になっている方のところに顔を出したところ、これからイギリスのアイテムを扱うビジネスをしたいという方と同席することに。
現在、私は、食の編集者・ライター、情報発信サポーター、そしてイギリスの食研究家と、大きく三本柱で仕事をしていて、そういう方との会話ですから、イギリスのあれこれをご質問されることに。
しかし、その方、最後には口を閉ざされました。

同じような認識の方は非常に多いんじゃないかなぁ。
その会話の内容は次の通りで、よく見聞きする風潮と私自身の感じ方にものすごいギャップを生じることがあり、それ端的に示すものでした。
あとになって、こうだったのかと推量した、彼女の声をかっこに記しておきます。


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「イギリスでは、日本人は好意を持たれているんでしょう?」
「さあ、どうでしょう。個人差がありますからね。あっ、お年を召した方は、日本も日本人も嫌いな方が多いですよ。第二次世界大戦の記憶、というところでしょう」
「・・・(えっ、日本人ってオール・ウェルカムじゃないの?)」

「ニュースとかは、日本に対して好意的な報道が多いんじゃないですか?」
「イギリスで日本のニュースが報じられることは皆無に等しいです。よっぽどの事柄、たとえば、5年前の東日本大震災なんかはレポートされますけど」
「ニュース番組が少ないってこと?」
「違います。むしろ、ニュース然り、ジャーナリズムは盛んな国です。ヨーロッパ、中東、アメリカ、アフリカ、アジア、つまり世界のニュースは日本にいるよりずっと量が多いです。日本のことは眼中にないというか、存在感がないというか。東アジアで圧倒的に報道される国は中国ですね」
「・・・(えっ、日本のニュースって流れないの?)」

「福岡に行ってみたい!って人はたくさんいるんでしょう?」(※ご質問された方は福岡の方なので、こんなことも)
「あいにく、まずは福岡というエリアの存在自体を知らないと思います。九州という名称も知らないですね。九州のなかでは長崎が圧倒的に知名度が高い。5年前の事故のこともあり、彼らは福島は知っているので、同じ“福”から始まりますし、福岡は福島と勘違いされがちなんじゃないでしょうか」
「・・・(えっ、福岡を知らないの?)」

「日本の技術は賞賛されてるんでしょう? 家電製品は普及しているってききました」
「1990年代、もしかしたら2000年代前半までは、確かに一般家庭やホテルなどで日本のメーカーの家電製品をたくさん見ました、今は違います。それまでPanasonicやSonyだったのが、韓国や中国のメーカーのものにとってかわられました」
「安いからですか?」
「値段はわかりません」
「日本のメーカーの技術は世界一ですよね?」
「世界一かどうかもわかりません。私に言えるのは、家電に必要なのはこれ見よがしな技術の搭載ではなく、使い勝手がいいかどうか、ということです。一般的に、イギリスはじめヨーロッパ人は、たくさんの機能を家電に求めているとは思えません。シンプルで頑丈なものが好まれるように感じます。要は、日本のメーカーはマーケティングを見誤ったということです。自分たちが作りたいものを作る、もっと言うと競合他社より技術的に優れた内容を詰め込んだ商品を作ることを主眼においていて、それは自己満足に過ぎません。そこには、消費者が求める商品を作るという視点が完全に欠落しています。今、イギリスで日本製品を家電に見なくなったのは、そういうことが原因なのは、火を見るより明らかでしょう」
「・・・」
~~~~~~~~


心底、日本礼賛をききたかったんだと思います。
こんな風な返答がくるとは想像だにしていなかったのでしょう。
なぜなら、そのときの彼女は非常に落胆した表情で、同時に非常に困惑していたから。

一方の私は、たった数分の彼女との会話のなかで、日本礼賛が、なぜか外ではなく、国内に向けて、やたらなされている現状を垣間見た思いがしました。
もちろん、私の見解がすべて正しいとは思っていません。ただ、イギリスをはじめいろんな国を訪問するなかで、実感として強く私が認識していることが私の回答であるのは間違いないのです。
加えて、一般的な見解と私の感覚とのギャップは、ますます大きくなっている気がするのです。

そうそう、今でこそ、日本製の質はすばらしい、とされていますが、かつての日本は、ほかの国から見れば、安かろう悪かろうの時代がありました。
実はこのこと、私、知らなかったんです。
10年ほど前にイギリスで、今の年齢で70代前半の人に言われ、調べてみたら、確かにそうでした。
なぜ、こういうこと、つまりよくなかったことを、日本国内でちゃんと言わないのかな? 
時代が変われば、国の状況も変わり、当然受け取られ方も変わる。それだけのことなのに。


私は、日本がダメと言いたいわけではありません。
いいこともたくさんあるでしょう、他の国にも他の国ですばらしいことはたくさんあるのと同じように。

今、私が非常に疑問なのは、現状認識や検証をしないまま、ただ単に、感情的とも希望的観測ともいえる、日本礼賛を国内で声高に唱え続けるのはいかがなものか?ということ。
これに限らず、いろんなことが高度経済成長期(〜バブル期)をモデルとして、そのときの認識のまま変わっていない、変わろうとしない、いけいけどんどんで勢いがあったとされる、換言すると、いちばんよかった(とされる)時代にしがみつきたがっている気がして仕方がないんですよ。
でも、そのときと時代を取り巻く環境はまったく違うのに、思い切った方向転換をしないまま、いつまで過去の幻想の中に希望を見出そうとしているのだろう?
ぼんやりとしたぐらぐらの土台にどうやって、未来の具体的な設計図が描けるというのだろう?
ノスタルジーじゃ飯は喰えないよ!


彼女のおかげで、そんなことを改めてぐるぐる考えたりしたのでした。


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