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あの日の光(首吊り部屋PartⅡ)

わたしは20代前半に人生最大級のピンチとチャンスを迎える。
場所は「首吊り部屋」。半年というごく短い期間を過ごした、東横線沿線の、古くて狭いアパート。

ロフト付きの構造が、首吊りにぴったりだった。そのために作ったのではないかと思うくらいの部屋。わたしがそういう精神状態だったから、そう見えたのだろうか。当時のわたしの心は「別に気持ちの問題でそう見えてるわけじゃないんだから」と明確に否定していた。

今思えば、明確に否定するところが逆に怪しいとも思うが、真実はわからない。わたしの精神の変調はそのころにはじまったわけではない。調子を崩してから7年が経過し、もはや病んでいることに疲れているような状態だった。

ちょっと不穏な感じがするのでBGMでも。
文章を書いていて、この曲が思い浮かんだ。
Pink Floyd ”Shine on you crazy diamond”

今でも日付を思い出せる。あれは4月9日だ。「四苦」八苦と語呂合わせで記憶をつないだ。ある晩、首吊り部屋でのこと。理屈はまったくわからないので、起こったことをそのまま話す。

なんでもない普通の夜だったと思う。ちょうどそのころメールの文通相手はいたが、わたしは相変わらずひとりだったし、自分の状態に悩んでいたし、仕事もうまくいっていなかった。

そんな代り映えのない夜なのに、なんの前触れもなく、頭の上からすーっと光が差し込んだ。邪が去っていくような感覚があった。わたしは宗教やスピリチュアルとは距離を置いているが、長年とり憑いていた悪霊が去るとしたら、きっとああいう感じだろう。

この感覚はあとにも先にもない。「パラダイムシフト」という言葉はまた別の意味で使うのだと思うが、このときはパラダイムシフトとしか呼びようがなかった。

光の前と後で世界がまったく変わってしまったような感覚があった。数日後、文通相手に「自分は変わってしまったので、もうこれまでの自分としてやりとりを続けられない」ということまで書いた。

いったい自分はどう変わったのか? うまく言えないが(時間が経って忘れてしまったが)、変化はポジティブなものだった。力があふれてくるのを感じた。これは自分の備忘のために書くのだが、ペ〇スも大きくなった。

退職日は5月15日だ。退職には、4月9日の光の体験が明らかに影響している。しかし、心が元気になったのはいいのだが、就職先がない。前回の記事で書いた通り、当時は就職氷河期のピーク。社会から隔絶され、ひとり首吊り部屋にいることしかできず、精神がどんどん削られていった。

急上昇からの急下落。ジェットコースターのような時期だった。もしかすると、本当に生まれ変わったのかもしれない。幼児がはじめて見る外の世界に右往左往するのに似ている。この話に比べると、もうひとつのエピソードはたいしたことはない。あるけれど。

6月か7月。人がうらやむ大企業に入社した大学の同級生から、突然「泊めてくれ」と連絡があった。何があったのか聞くと、社員寮で同期が首を吊って自殺したらしいのだ。そんな場所で今日は眠れないと。

その亡くなった方には失礼かもしれないけれど、わたしはこう思った。「死んだら負けだ。わたしは死んでないのだから負けていない。少なくとも、生きていれば負けたことにはならない」

その気持ちにどれだけの効果があったのかはわからないが、わたしは人生の「東横沿線、首吊り部屋編」をなんとか乗り切ることができた。精神的にこの辺が潮時だと判断し、あまり乗り気のしない転職先ではあったが、「神戸の奴隷編」に突入することにした。

なお、今考えると、首吊り部屋は、首吊り部屋ではなかったのではないかと思う。そんなに首を吊るのに適していたら、実行者が出てしまい、あんなに高い家賃にはなるわけがない。

首吊り部屋は、わたしを救ってくれた光の部屋だった。

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