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#beat8 仕事が暇すぎて課長の煩悩がフル開示されました

これは草食系ブラック企業(職場)のリアルなドキュメンタリーだ。草食系ブラックは社員の能力・やる気・成長機会を根こそぎ奪い、廃人同然にしてしまう。まるでこの世の果てのような理外の空間には、様々な怪現象が現れる。

【登場人物】ひろし:部長(※別名「怪鳥」)、仕事をしない。たつお:課長、仕事をしない。のぞみ:中堅社員、以下同文。トシ:中堅社員、以下同文。

◇ ◇ ◇
23時、本社の明かりはまだ消えていない。すべての棟の、どこかのフロアには黄色い明かりが点っている。言うまでもなく、忙しい人間は忙しい。どこの会社にもありがちな二極化が、株式会社ペンタにも起きている。

やや背の低い建物の一階奥――社内のスタジオにて、静かに機材を見つめる男がいた。オールバックのその男は、スタジオの中央で腕を組んでいる。
ゆっくりと機材を見回した後、彼はそっとその場を離れた。

まだ仕事が残っているのだ。月明かりの下、ひとけのない社内の敷地を歩き、仲間たちのもとへと戻る。彼が帰宅するのは、プロジェクトのすべての進捗を確認したあと。自ずと最後のひとりになる。

「『優秀な奴ほど残業も少ない』君は二十代かい? でなければ、戯れ言だ」
彼、高須部長の持つ、哲学のひとつである。

◇ ◇ ◇
場面は変わり、二極化の、仕事がない側。そのもっとも端にある部署。

朝礼で、課長のたつおが言う。「今日も、特にないですね」最近では、はっきり言う。
以前はまだ朝礼の体を取り繕おうとして、一週間先にある取締役会など、〈業推〉とはなんの関係のないイベントにまで言及していたのだが、いい加減ネタがなくてあきらめたらしい。部長ひろしは何も発言しない。別にそれでいいようだ。ぽかんと部下と同じ立ち位置で聞いている。

「はーい、よろしくお願いしまーす」間延びした声を出し、たつおがさっさとしめる。朝礼は五秒で終わり、全員すぐに着席する。

そのあと、トシの耳元と水平の位置、50センチも離れていない場所で、小型のプリンタがガタガタ鳴りはじめた。嫌がらせのような不快音。一枚や二枚ではない。このプリンタを使用する該当者は約一名。

おまえの席の横に置けよ。というか、なんでおまえの横にはでっかいラジカセが置いてある?
怪鳥のとなり――まさにフロアの角の場所――には、作業台としても使えそうな大きな脇机があり、その上に、持ち主不明の馬鹿でかいラジカセがぽつんと乗っている。カセットテープのみ使用可能の、埃をかぶった年代物。アンテナが斜めに伸びている。

シュールな光景だ。こちらのフロアに移ってくるときにあったものを、そのまま放置している。ひろしの、なにもしないの精神がここにも生きている。怪鳥と絡みたくないため、そのことを誰も口にしない。

トシの耳の近くで、小型のプリンタが身を震わせながら、ガタガタと大きな音を鳴らす。仕事のない部署がなにをプリントアウトする必要がある? 怪鳥はプリントアウトが大好きだ。情報システム部が、怪鳥の呪いをかわすために「はいはい」と用意した。

今朝の印刷物の正体。怪鳥はたつおに、大量に印刷した電車の時刻表を渡した。
「あったほうがいいっしょ、便利っしょ」
管理の丸投げに対するご褒美である。
「はは……」

このポンコツが! おまえには、横のラジカセがお似合いだよ。
その後、水面下で呪いのメッセージが飛び交う。
このスモールワールドにいると、人間がどんどん小さくなる。各々の卑小な悪感情が、この異空間をさらに異様なものにしている。

そのスモールワールドの新ルール、朝礼がなされるようになったのは、ここ最近のことである。
「そんなの、やっても仕方ねーじゃんか」かつて、ひろしはそう言った。それが俺のポリシーだ、とも言った。
その都度コミュニケーションをとればいい、あるいはそうすべきだ。当初は、部下もいいように解釈したものだが、今でははっきりと分かる。
こいつ、朝礼を仕切る能力もない。

妖怪戦争の後、ひろしはひろしの上司(62)から、朝礼やってる? と訊かれた。ひろしは「やってます」と答えた。朝礼のはじまりだ。

だが、始業のチャイムが鳴り、皆が立ち上がった後で彼が話しはじめたものは、与太話だった。業務上の連絡事項は一切ない。
「他の部署のやつが何も言ってこねえんだ」「とりあえず待つしかねえよな」「俺、あのときそう言ったよな、な、なっ?」
言い訳、もしくは自分の話しかしない。一瞬でも隙を見せると、自慢話に移行する。

トシはひたすら手帳を凝視する。のぞみは壁のなにもないところを見る。異動してからまだ日の浅いたつおだけが時々相槌を打つ。やつは評価を気にしているのだ。トシは舌打ちをしたくなり、のぞみは、「甘い!」と声を出さずに叫ぶ。

ひろしの脳内変換機能をなめてはいけない。相槌だけでも、それはひろしを敬っていることになってしまう。ひろしは「とりあえず、座りますか」と言って、全員を座らせた後で自慢話を続ける。誰もが思う。朝礼じゃねえよ、と。

ひろしは部下からたいがい相手にされなくなっていたが、そのうち何を言っても誰からもリアクションが返ってこなくなった。たつおも適当に流しはじめた。「あ、そっすか」「そっすかー」「じゃあ、そういうことで」
たつおは雑談と猥談が大好きだ。その分、つまらない話を聞くのは耐えがたい。相槌を打つ限り、ひろしは何度も同じ話をするのだ。

そのうち、居たたまれなくなってきたひろしは、結局、朝礼の役目をたつおに押し付けた。たつおは朝礼ができる子だ。そして普通に朝礼を行ってしまうと、先ほどの「今日も特にないですね」で終わってしまうのだ。

◇ ◇ ◇

朝礼から5分も経たないうちに、たつおが立ち上がった。つられるように、のぞみもまた立つ。二人は、階段脇にある給湯室に向かったのだ。業推の場所からは扉を二枚隔てている。

そこでは、朝のコーヒーを淹れつつ、きゃっきゃとOLトークがはじまる。主には怪鳥ネタ。この頃は、たつおもひろしのことを怪鳥と呼ぶ。友達か! 馴れ合いの極み。お互いが胸の内に持つ、ここは仕事場ではないという共通認識がそうさせる。

トシはそうでもないのだが、のぞみは最近、暇つぶしの相手としてたつおによく絡む。そして会話の内容を、トシにダイジェストで伝えてくれる。「あいつ、すげえ。怪鳥の馬鹿にしっぷりが半端ない。腹抱えて、顔を真っ赤にして笑ってるよ」

他にも、たつおはカップ麺をつい二つ食ってしまうらしい、やめられねえんだとぼやいていたなど、どうでもいいことを教えてくれる。
「え、のぞみ君は、一個ですむの?」
「俺、カップ麺二つ食うくらいなら、一個にして別のもん食いますよ」
「いや、俺だって別の銘柄にしてるよ」
「そういう問題じゃないです」

たつおは、のぞみの言葉を借りるならば、「禿げ散らかったおっさん」である。業推では新参者。やって来たのはつい先日のように感じるが、実際には半年以上が経っている。妖怪戦争終結後、リストラに追い込まれた課長の後任としてやってきた。

いまの印象は、その当初とはかなり異なっている。禿げ散らかったおっさんであることに変わりはない。

最初は、かなり澄ましていた。その話し方、立ち振る舞いから、プライドの高い人間だと見てとれた。異動先で、部下になめられてはいけないという気負いもあったのだろう。だがこれ以上ない険悪な空気のなか、事情も知らない人間の居丈高な態度は、トシとのぞみを苛立たせるものでしかなかった。

たつおは、怪鳥ほど高いものではなさそうだが、柄物のワイシャツとタイを組み合わせて、毎日しっかりコーディネートをしてくる。のちに、「こうでぃねえと」と、おっさんのお約束を果たしてくれる愛嬌の良さは、このときまだない。

さらにたつおは、三年ほど海外勤務の経験があると自己紹介のときに話した。怪鳥は同士を得たとばかりに、かつて中国に赴任していた頃の話を、たつおにした。なお、ひろしの赴任先は潰れている。
怪鳥と同類……、外側だけのハリボテか。たつおの当初の印象は、二人に嫌悪感を抱かせた。

このタイミングでのたつおの登場は、怪鳥にとって渡りに舟だった。二対一。いまや二人の部下からは冷たい視線しか感じない。形勢逆転のチャンス! 
俺、仕事してるじゃん。たまには与太話でもしねえとやってらんねえよ。
こいつら馬鹿だから、理解できねえんだろうな。
馬鹿な部下の管理は、たつおに任せるか。あいつは優秀そうだからできるだろ。俺、忙しいし。

たつおがこれまでの経緯を知らないのをいいことに、以前、トシやのぞみにしたのと同様、ことあるごとにたつおに近づき、あることないことを、たっぷりと吹き込んた。自分のまわりの人間――今となってはトシとのぞみも含まれる――が、いかに仕事ができないか、これまで自分がいかに仕事をしてきたか。

たつおにべったりと寄り添って、ひそひそ話をした。怪鳥は嬉しそうに、口をたつおの耳元に寄せてくる。最悪の光景だ。たつおは正面を向いたまま、口元で、はは、と微かに音を立てていた。

怪鳥が、二人の前面に立つことなくなった。代わりにたつおが立ちはだかる。たつおに向けられた反論が、業務の詳細に及びはじめると、「ああ、分かった、分かった」と切り、「そうだな、どういうたとえ話をしようかな」と、抽象的な正論を探しはじめる。

彼は怪鳥と違って、ビジネス書に書いてあるような、よくある正論をぶつことができる。おそらくその手の本が好きだ。中途半端な……。厄介だな。

楽なときに、楽なポジションにやってきたものだ。すでに業推のなかには、仕事と呼べるものなどほとんど残っておらず、さらにはすべてが消えようとしているのを、指をくわえて見ているしかない。もはや仕事上の理由で、怪鳥と戦うこともなく、後は内部のつまらない小競り合いをするだけだ。

おまえも怪鳥と戦ってみろよ、とトシは思う。
あのおっさん、化け物だぜ。
少なくとも、二人は、一次戦争、二次戦争と、正面から怪鳥とたたかった。筋を通したやり方をした。それゆえ、無残に背中から切りつけられたのだ。

今の脱力感、無気力感は、言うならば、惨敗した兵士のなれの果て。
そんな彼らに対して放つたつおの正論は、透明人間に向けて石を投げるようなものだった。何の手ごたえもない。

なぜ、中途のこいつらは仕事をしないんだ、部長の言うとおりだな。たつおはそう思ったことだろう。
だが一方では、無理もないことだと思う。部長と肩書きのついた人間から、もっともらしいことを言われれば、そちらを信じるのが普通だ。怪鳥のパトロンである、ひろしの上司(62)のように。
その方面においてひろしはプロだ。社内にぽつぽつとではあるが、信者もいる。

なにもしない、似たもの同士がタッグを組んだ。
終わったな……。
暇より先に、ストレスに食い殺される。
――と、思っていた。
ところがたつおは、どちらかと言えば、怪鳥の天敵であった。

◇  ◇  ◇

トイレに続く薄暗い廊下でのことだった。
「暇すぎるって、逆につらいよなあ」ある日たつおは、のぞみにそう話しかけてきた。
この人……、のぞみの嗅覚が動いた!

そう、いくら怪鳥が「仕事はある。工数がいくらあっても足りねえよ」と、もっともらしく言ったところで、ないものはない。怪鳥から指示を受け、何らかの作業をしているふうに見えたたつおも、席にただ座っている日々が続いていたのだ。
たつおの言葉に、「ですよねえ」とのぞみは笑顔を見せた。

ここからの展開は、早かった――。
そのうちたつおは、仕事中に眠りはじめた。頭が上下にぐらぐら揺れる。PCのモニターに頭を打ちつけんがばかりだ。禿げ散らかった頭頂部を、辺りの者に、惜しみなく見せつける。

それが三十分、一時間と続き、明らかに寝ていると分かる。いや、隠す気がないのだ。上司を完全になめている! 本来、できない行為だ。
完全に落ちたたつおの後ろを、ひろしが素通りする。見ないふりで自席に戻り、いつもの間抜け面でパソコンをいじりだす。本来、できない行為だ。

ひろしにすれば、管理業務をすべてたつおにぶん投げているため、強気に出ることができない。怖くて言えないのだ。ひろしが頑として譲らないのは、仕事をしないの一点。それ以外のすべては、怖い、怖くない、が行動基準。ほぼすべてのことは見て見ぬふりという、恐ろしいメンタリティを発揮する。

のぞみとたつおの間で、「今日も暇ですねえ(暇だなあ)」が、挨拶になりつつある。
いつかのぞみが切り出した。「信じてもらえるとは思いませんけど……」

業推の実情を分かってもらおう、というよりは、暇だからだ。このネタの宝庫を、誰かに話したい。話せる相手は多いほうがいい。元、バリバリの営業マンだけに、相手との距離を徐々に詰めるサジ加減が上手い。

トシはのぞみから聞かされた。「いや、そういうこともあると思うよ」とたつおは答えたそうだ。「あのおっさん、ホラ吹きで有名なんだよ」とも。
こいつ、怪鳥の前では、フリか。
たしかにこの男はいくら表情を作っていても、時折、口元が動く。
「仕方ねえよな、今週は待つしかねえな」
怪鳥の言葉に、「そうですねえ」
言ってる意味がわかんねえ、けどまあ俺もそのほうが楽だしな、にやりと。
表情筋が、一瞬本心の方向へ動く。二面性の片側が、表情から零れ出る。

たつおは、どんどん、ぶっちゃけるようになってきた。元々、下世話な話が大好きなのだ。
聞けば、怪鳥のひそひそ話に対しては、「おいおい、俺の耳元で囁いていいのは、姉ちゃんだけなんだよ、気持ちわりいおっさんだな。というか、なんでここ、女がいねーんだよ。最悪だよ。あー、キャバ行きてえ。早く給料日こねえかな」と思っていたらしい。お水の姉ちゃん大好き、おっさんなんかとは絡みたくない。

「あの人、一日に何度も同じ話するんだよ」
笑える話が大好き。つまらない話は聞きたくない。怪鳥の話を右から左に流すようになった。
「はは」「そっすか」まったく目を合わせない。完全に無視するわけではないすれすれのところで、怪鳥の話を、ひと言目で切ってしまう。すごいスキルだ。いっさいの尊敬の念がない。

さらにはリースのPCが入れ替わるタイミングを利用して、たつおの席の端――怪鳥との境のところに――タワー型の本体をどんと置いた。あからさますぎるだろうと、トシがはらはらした。本人、堂々としたもので、しれっとしている。

たつおがここにやってきた経緯――どうやら元々、人事に異動願いを出してたらしい。
仕事が忙しいのはイヤ、早く帰ってテレビを観たい。
それで傍から見ていて楽そうな、この部署に目をつけた。たつおが業推に馴染む素地は充分にあったのだ。それでも、ここまで仕事がないというのは計算外だったようだが。

彼は、異動後、上司の無能さを早々に見切った。この手の人間を適当にあしらうことには慣れている。それどころかさらに踏み込み、利用できると踏んだ。

怪鳥を手玉に取る、狡猾さ、計算力がある。本音と建前、状況に応じて顔を使い分ける適応力もある。ひと通りの論理を組み立てることもできる。典型的なA型人間で、部下を管理するためのマメさも備えている。

が、そうした能力を踏まえた上でも、言ってしまえばたつおは、欲望に勝てないだらしないおっさんなのであった。

仕事があまりにも暇なのでバンドをはじめました

「ロックスターになりてえなぁ」プロジェクト

《ギター》のぞみ。「仕事があまりにも暇なので、ギターを溺愛するようになりました」
《ドラム》トシ。「仕事があまりにも暇なので、やたらリズム感が身につきました」
《ベース》たつお。「仕事があまりにも暇なので、兄が憑依するようになりました」
《パフォーマー》ひろし。「工数がぜんぜん足りねえよ」

男たちの熱き戦いが、そろそろはじまる!

【作者コメント】
迷ったら読者ファースト。本話、最終的に文字数を4000字削りました(前話は3000字削除)。少しでも読みやすい作品になるように、メインストーリーと関係ないところはガンガン削っています。つらい作業ですが、これができるかが先のステージに進むための別れ道の気がしております……。

ぜひサポートしてね! もっと面白いロックスターに育ちますよー!