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魔法少女はメタルを聴く 第12話「わたし、約束したんです」【最終話】

こんなに、頑張っても駄目なんだ。たくさんの人から綺麗って言われても、スタイルを褒めてもらっても、ひとりの人のことを心の底から好きだと思えても、プライドを捨てて自分をさらけだしても、それでも駄目なんだ。彼が選ぶのは、わたしじゃないんだ。
ベンチの前に崩れ込んで、身体をまるめる。

すべての身体の器官が狂ってしまったかのようだ。神経の電気信号がでたらめに飛び交っている。
胸をおおう肋骨が、音を立てて軋む。上半身を捻じる大きな力に耐え切れない。叫ぼうにも声は声にならない。
「はあ、はあ……」呼吸器官がまるで機能してくれない。体内の温度計は異常値を検出し、鳴るはずのないけたたましい警告音が発せられている。
すべての臓器は、それぞれがそれぞれの大きさの兎に変わってしまって、身体の内部で飛び跳ねている。地面に横たえた身体を、意味もなく揺さぶった。このままでは身体が破裂してしまいそうだった。
こんなに、こんなにつらかったんだね……。

「お、おい、だいじょぶか!」
オズの声がする。
あんた、いつか言ったよね。愛なんて幻想なんだって。この痛みが、苦しみが、本当に幻だっていうの?

何度も身をよじる。強く目を閉じる。苦痛に顔が歪む。「えっ、えっ」はじめ誰の声か分からなかった。わたしはようやく自分が泣いているのだと気づく。
「おい、しっかりしろよ。さち子は卑怯だ。またずるい手を使ったに違いない」
「違う!」わたしは叫ぶ。
卑怯なんかじゃない。あの子は、卑怯なんかじゃないんだ。
これまで、何度もこんな思いをしてきたんだね。ずるいんじゃない。何度も傷ついて、その度に強くなってきたんだ。だから、ずるいとかじゃない。ずっと逃げてきたわたしとは違う。

「今、魔法で楽にしてやる。あたしの魔法でちょっとはマシになるはずだ。こういうときはいい鎮静剤になる」
「いい!」
「どうしてだよ。おまえ、本当に苦しそうだぞ。なあ、それ、本当に病気じゃないのか。ほら、急性なんとか」
「この痛みは必要なの。刻んでおきたい!」

最初、オズが言ってくれたとおり、これは彼女の魔法の守備範囲――つまり恋愛による精神作用、激しい心の痛みだった。それが分かってきた。だからこそ、わたしは受け止めなくてはならない。これもわたしの大切な恋の一部なのだから。
「おい!」
痛い、苦しい、苦しい……。見えないナイフで身体中をえぐられているようだ。

高い位置から、「だいじょうぶです、なんでもありませんから」と言うオズの声が聞こえた。人が集まってきたのかもしれない。
「なあ、メイデン、座ろう。立てるか」
その声に従う。
身体が動く。激痛は去りつつある。

何歩か歩き、ベンチに腰をおろすと、「えええ」と情けない声を上げた。オズの小さな胸に顔をうずめる。ここにいるのは、魔法少女でもなんでもない、ただ、片想いに破れて泣いている、ひとりのみっともない女子だった。
身体の痛みが引いてくると、その出元がわかってきた。やはりそれは心だったのだ。
ハルキ……。ようやくわたしに訪れた、はじめての恋だったのに。

わたしの恋は終わった。
しかし夜は終わらない。この結末を見届けていた、ある人物がいたから。

○  ○  ○

ベンチに座ってからまだ五分も経たないうちに、わたしたちの前に人が立ったのがわかった。いまだわたしはみっともない顔を隠すようにオズにすがりついていて、その彼女の身体が、こわばったのだ。

「あんた……」オズが言う。身体の震えが伝わってくる。
先週の、あの彼女だろうか。街の薄暗がりのなか、ナイフを持ってわたしの前に立った彼女。並々ならぬ状況かもしれないというのに、ぼんやりそう考えていた。

今のわたしは最弱だ。先ほどまでたしかにあった、骨を軋ませ肉を裂いた力は、全身の気とともにはるか彼方に飛び去り、いっぽう心は戻らず、何もすることができない。
「やっと、完成させたみたいね」
だれだ、この声……。視界の闇のなかに響く。
どこかで聞いたことがあるような――。
「どうしてここに」またオズの声。そして、
「メイデン、最強の魔法少女」射るような、鋭い声だった。
関係者! わたしは顔をあげた。

オズとはまた違う、やわらかいマントのような質感をした黒ずくめの衣装。その胸の端に、ワンポイントでかぼちゃのマークがある。目と鼻と、口の部分がくり抜かれたかぼちゃは、不気味に笑っている。
彼女の長い黒髪が、左右に広がった。彫りの深い、白く塗りたてられた彼女の顔は、夜の景色にとても映える。目の下のくまはやはり印象的だった。

八年前とまるで姿が変わっていない。
「ロウィン……、先生」
「ふん、ばかばかしい茶番」
体温のない、おそろしく冷めた声。そこからは、侮蔑以外のなんの感情も感じられない。
「まあ、おめでとうと言っておくわ。おかげで、最強の魔法少女が誕生したのだからね。褒めてあげる。魔法の選択は悪くない」
「み、見てたんですか」
「ここしばらく、おまえの動きを監視していた。本来それはわたしの仕事じゃないんだが」淡々とした口調で彼女は続ける。それから、これも感情のない声で、「リカがいなくなって大変だ」
「え」リカさんが……。
「どういうことだ」とオズが口を挟む。彼女は、いつもの傍若無人な調子を取り戻していた。「監視って、メイデンをつけてたのは、ストーカー女じゃなかったのかよ」
ロウィンが無言でオズを睨む。一瞬、オズは気圧されたかに見えたが、ぎこちない笑みを浮かべて続ける。「実は、同一人物だったりしてな。あんたなら、あんな感じで化けられそうだし」
「ストーカー女? あの気味の悪い女のことか」
彼女は、オズの挑発など意に介さない様子だった。「安心しろ。おまえらをつけていたところを、わたしの魔法で処理した」
「そ、そうなのか」オズが動揺する。そして、混乱の中からぽんと言葉が出たといったふうに、「おまえの魔法って」
「守護神伝」さらりと答えた。

あのうわさは本当だったのか――。
時期をずらしてリリースされた、二枚のアルバムであるにもかかわらず、彼女はそのすべての曲を魔法として使えるのだという。柱の一曲を選んで魔法にするわたしたちとは、根本的に異なっている。

おぎわらさんから聞いていたことではある。この現実世界に、魔法少女という存在を創り出した彼女は、自身も魔法少女の原型、いわゆるプロトタイプなのである。
「ん? どの曲だよ」オズが訊く。
「序章から、四曲目〈トワイライト・オブ・ザ・ゴッズ〉まで」
「んん?」
四曲目まで――? 四曲目で何が起こったというのか。

「彼女はどうなったんですか」訊かずにはいられない。
「ふらふらと、どこかへ消えていったな」
「いったい何を!」
「何を? 難しいことを訊く。わたしの魔法は、おまえたちほど明確な指向性を持っていない。純粋なエネルギーの注入だ。それは相手にとって精神的な負荷となる。いわば精神攻撃とでも言うべきもの」
「精神……」
「喜べ。一時の下等な感情は、これで破壊されたはずだ」
「そんな」
「最強の魔法少女!」彼女がびしりと言う。続けて、その訪問の目的を。「わたしの下で働きなさい」
「え、それは」早急すぎて話についていけない。
「リカの代わりを、あなたが務めるのよ」
そうだった――。「リカさんはどうしたんですか?」
「リカは消えた」
「消えたって」
「資産家の男をつかまえてな」
へ、そういうこと?
「ちょっと待った!」オズだ。会話から置き去りにされた彼女は、面白くない顔をしている。「今度にしてくんねえかな。メイデンはいまそれどころじゃねえんだ」
「出来損ないはだまってなさい」
「出来損ない?」オズの顔がぴくりとする。
「普通にしていれば、最強の魔法少女になれたものを。あなたには失望した。最強のサバスを引き当てておいて、オジー個人に傾倒した愚か者。しかも選択した魔法にはヘヴィネスの欠片もない。興味がないの。話しかけないで」
「な、言わせておけば」
「嫌だと言ったら!」わたしは声を張った。
わたしの人生をどうしようっていうの! ようやく振り払ったはずの幻影、かぼちゃ女が、ここに来てまた干渉する。
「ふ、いまの貴女になにがあるっていうの」

月の冷気で力を得たかのように、魔女は冷たい顔でわたしの目を射貫く。「くだらない男にうつつを抜かして、その挙げ句このざま。大衆の面前でどれだけ無様な姿をさらしていたことか。魔法少女研究会のエリートが威厳の欠片もない。……まあ、いいわ。今回に限って許してあげる。考えるまでもないこと。おとなしくリカのポストにおさまればいいのよ」
くだらない? わたしの戦いが、あなたにはそう見えたの――?
愕然としてしまう。
「よく考えてみなさい」そう続ける彼女は、わたしが話を飲み込めていないものと考えているらしい。「長い歴史のある、私立大学の大学職員よ。そこではなんのスキルも必要とされない。いるのなんて、暇をもてあましてる連中ばかり。それなのに地位も給与も保証される。ひとりの求人に対して、応募が百人を超えるなんてざら」
――なるほど。
大学に職を斡旋してやるから、魔法少女研究会の運営に手を貸せ、と。

来るべき感情が、遅れてようやくやってきた。
「嫌! ハルキはくだらなくなんかない。くだらないのは、魔法少女研究会のほうでしょ」
「あんた……」
魔女の声に怒気がこもった。目のまわりに、隠していた年輪のような皺が現われる。その様は、メタルのジャケットワークにある神話の怪物のようだった。「力づくでもいいのね」
魔女の上体がふらりと揺れる。そのとき、

「待てよ」オズが敏捷な動きを見せ、わたしの前に立った。
「メイデンは嫌だって言ってんだろ。それに、なんだよ、勝負もしないで出来損とか言ってくれちゃって。最強の魔法少女はあたしなんだ。メイデン、大学職員のポストはあたしがいただくぜ」
わたしの返事を待たずに彼女は、ロウィンとのあいだの二段ほどの段差を駆け降りる。そのあと距離をとって敵と向かい合った。わたしのいるベンチから見ると、二人は、左右に別れて対決する形になる。

身長差がある。二十センチ、いや、三十センチ以上にも見える。ふたりとも魔導師をモチーフにしたような黒服の衣装だけに、オズのほうはコスプレをしているようで幼さが目立つ。
たとえるなら、五百年生きた伝説の魔女と、駆け出しの魔法少女。あるいは、あどけない処女と、処女百人の生き血を吸って永遠の命を得た吸血鬼。勝負になるのだろうか。

勝負。そういえば、どうやって――。
わたしが案ずるまでもなく、「そうね」とロウィンが、その勝負方法を提案した。「じゃあ魔力くらべをしましょうか」
「お、おう」
ぜったいわかってないだろ。
見透かしたようにロウィンが説明をはじめた。わたしにも聞こえるように。まるで、わたしと戦う未来が見えているかのように。

ロウィンの語ったその方法は、魔法少女同士の、シンプルかつ、驚くべき決闘方式だった。たった二つのステップで説明できる。ひとつ。たがいに片方の拳を突きだし、触れ合うようにする。ふたつ。その状態で魔法を唱える。以上。この方式では魔法の効果によらず、純粋に魔力の大きさだけで勝負が決まるのだそうだ。ただし、どのように決まるかは説明がない。ただ決まるとだけ。

ロウィンは左利きなのか、左腕のほうを差しだした。それはわたしのいる側の腕。
「わたしに勝てたら、なんでも言うことを聞いてあげる」自信にも、無関心にも聞こえるその口ぶりは、パソコンで合成された人工音声を思わせた。「魔法少女研究会の解体、とか」オズがにたりと笑う。
「勝てたらね」
「へえ、すごい自信」

表情からオズが、よし、と覚悟を決めたのがわかる。右の拳を固めた。それから腕をゆっくり、ボクシングのストレートような格好に伸ばし、すでにあるロウィンの左拳につけた。二人の腕が、わたしの目の先でひとつの直線になる。
「これで魔法を使えばいいんだな」
「お先にどうぞ」

オズは、目を閉じたかと思うと、すぐに開いて唱えた。「グッバイ・トゥ・ロマンス」
速い。たしかに、楽曲を頭から流す必要はない。神妙な顔つき。魔法を唱えるときの彼女は、少し大人びて見えた。
「イニシエイション」ロウィンが唱えた。邦題では「序章」となる。
『守護神伝・第一章』一曲目のインスト曲。インスト曲が魔法なのだから、もう滅茶苦茶だ。

次の瞬間、オズの顔にあきらかな異変があらわれる。いったい何が起こっている?
「たいしたことねえな」ぜんぜんそうは思えないが、とにかくオズはそう言って、ふたたび彼女の魔法を唱える。
ロウィンの表情は変わらない。それどころか、自分の魔法の解説をする。「言っておくが、わたしの魔法は、曲順が進むごとに重くなっていく。いまはタイトルの示すとおり、ほんの序章にすぎない」
オズの額に汗が光った。
――次がくる。そんな空気の変わり目に、ロウィンはドイツ語を思わせるいかめしさで、「アイム・アライブ!」と放った。
二曲目。『守護神伝・第一章』の、実質的なオープニング曲だ。

次の数秒間、オズはこらえるように、ぎゅっとまぶたを固くした。しかし、彼女の口から反撃の呪文はでなかった。
「ぎゃあ」
オズの右拳がはじかれる。それから、勢いよく尻もちをついた。その様子は、見えない魔法の手が伸びて、彼女の両肩を突き飛ばしたかのようだった。
「そんな……」オズが茫然とした顔で、勝者を見上げる。
「重い。どうなってんだ。二十曲近く魔法が使えて、ぜんぶがこれか、これ以上だってのか」
「歴代5位にも入っていない……」敗者を冷たく見下ろす魔女。「まったく見事な失敗例ね。ある意味いいサンプルになるかも」

その直後だった。「お願いします!」
素早く身を起こしたオズが、地面に頭をつけた。「負けは認めます。けど、今日だけは、メイデンのことをそっとしておいてください。あいつは戦える状態じゃないんです。サンプルでもなんでもなりますから」
「ふん」魔女が鼻を鳴らす。「サンプル? 冗談よ」
「オズ……」

○  ○  ○

耳の奥から――何かが聞こえている。
その何かは、弱々しくも回転を続けていて、直感的に大切な何かだとわかる。つかもうとする。回転は大きくなる。
引き寄せようとする。回転はもっと大きくなっていく。
わたしは理解した。死んでないよ、まだ生きてるよ。そう語る彼の正体は、わたしのイメージ――あの大車輪だった。わたしの魔法。
「……わたし、やるよ」
「メイデン!」

ボリュームが大きくなる。リフの回転が浮力を生み出すかのごとく、身体が軽くなる。ベンチから立ち上がると、身体の感じが以前とすこし違って感じた。先に大きな戦いを終えたからか、晴れて魔法少女となったためか、血が流れたあとで、身体の組成が変わってしまったためか。
「わたしだって黙ってられないもの」
ハルキが教えてくれたもの。
それが、どれだけかけがえのないものか見せてやる。
「負けたら、なんでも言うことを聞くって約束、ちゃんと守ってくださいね。わたし本当に解散させちゃいますから」
「小娘が」
なんとでも言え。わたしは強い。わたしは最強の魔法少女だ。

オズが立ち上がるのに手を貸し、ひとこと、「ありがとう」と言った。
「メイデン……」
「交替。危ないから、ベンチにいて」
「ああ」
離れ際に彼女は、気をつけろよと、見えない力のことを言った。「反発する力がくるんだ。磁石の、N極とN極、S極とS極みたいな」
わたしはうなずく。

オズが退くのを待って、彼女のいたポジションに立つ。
敵と向き合った。オズのときのように、すでに左拳が差しだされていた。
さあ、行くよ。ためらいはなかった。わたしの音楽をフルボリュームにする。
戦闘開始!
拳をぶつけ合い、「アイアン・メイデン」「イニシエイション」
同時に唱えた。

――きた。オズの言うとおり、見えない力がわたしを押す。ロウィンに触れている拳だけではなく、身体の前面すべてに圧力を感じる。相手にとってもこれは同じことなのだろうか。彼女の魔法は、力強いが耐えられないほどではない。そう思っているうちに、
「アイム・アライブ!」
次の曲。相手はギアを上げてきた。重い! 気を抜けば身体が吹き飛ぶ。
「アイアン・メイデン!」
耐える。楽曲のリズムを内側に感じ、テンションを保ちつづける。こうなると、楽曲に音が詰まっていることが助かる。

――なるほど、バラードは不利かもしれない。
たとえるなら、音と音のアタック音の隙間、防御の薄いところに槍を突き立てられる感じ。オズがすぐ吹き飛んだ理由は、きっとこういうところも関係している。この勝負方法では、魔法の強い弱いが感覚的にわかる。

「アイアン・メイデン!」
すぐサビが来るように楽曲を編集する。また唱えた。

実際に勝負に臨んでみて、他にもわかったことがある。相手の曲名を聞いただけで、その曲が流れ込んでくる。なぜなら、それほどまでに聴き込んでいるから。『守護神伝』など、メタルを志すものなら誰もが通る、超のつく名盤。
相手の曲がわたしの精神に侵入することで、相手の魔法の力はますます強まる。そう考えると、術者の実力もさることながら、楽曲そのものもなかなか重要である。――だから一定の評価を得た有名曲が、魔法として推奨されるわけか。
メタルに精通する者同士だからこそ起こる攻防。
これが、魔法少女同士の戦い……。

「アイアン・メイデン!」また唱える。
すると向こうは、「ア・リトル・タイム」と、惜しげもなく次の曲へシフトした。二十曲近く手持ちの魔法があるのだから当然か。

身体にかかる負荷が、少し重くなる。ロウィンの言うとおり、楽曲が進むごとに質量が加算されるのだろう。もし途中で、ハロウィンらしからぬ軟弱な曲が混じっていれば、話はまた別だが、このアルバムに限ってそれはない。捨て曲なしだ。

「アイアン・メイデン!」気持ちを奮い立たせようと唱えると、わずかな希望をも粉砕するように、四曲目、「トワイライト・オブ・ザ・ゴッズ」
イントロからリードギター全開の佳曲。
ずしりとくるのを、必死で耐える。

淡い期待を胸に、ロウィンの顔を盗み見るが、彼女のほうにこたえている様子はまるでなかった。それどころか、楽曲を切り替えるタイミングを冷静に計っている。
わたしは巨人族の槌の下で、ただ潰されかかっているに過ぎないのか……。

小さく何かが光った。わたしの右斜め上だ。
目だけで追う。上の空間に、光が数回点滅するのが確認できた。イベント用の骨組みだ。おそらく、今度のイベント用に、小さな電球のついたワイヤーが張り巡らされているのだろう。ぶつかり合った魔法の余波が影響を及ぼしたらしい。
なるほど、たしかにわたしは戦えている。

「アイアン・メイデン!」
わたしはわたしだ。あんたなんかに振り回されない。
すると五曲目。「ア・テイル・ザット・ワズンツ・ライト」
やはり合わせてくる。やりにくい。

だけどどうだろう、一種の慣れなのか、上積みされる重さの幅は心なしか少なくなってきたように思う。
だが、それ以前に気になることがある。ロウィンは自分の魔法のことを、指向性がないというふうに――すなわち、明確な効果を持ち合わせていない旨の発言をしたが――曲によってその質は少しずつ異なっている。わたしの身体を押すにしても、左右に揺する感じだったり、一点を押す感じだったり、捻る感じだったりする。

問題はそこ! 
わたしは早期に決着をつけなければならない。

このままでは負荷が増すいっぽうだという事情もあるが、次の次の曲、七曲目には、わたしと同種の魔法、つまり、バンドの名前を冠した曲、「ハロウィン」が控えている。十三分超えの大作。

押し合いにおいて、わたしの魔法と似た性質の力が発揮されるのであれば、両者の力の差は、これまで以上に大きく表れるはずだ。同じ教科で勝負する。同じ種目で競い合う。そんな感じ。

そして、わたしたちの実力差は、歴然としている。
だとすれば、わたしのとるべき道はただひとつ――。
「ハロウィン」が来る前に決着をつける!

「アイアン・メイデン!」
「フューチャー・ワールド」
……やはりそう来る。『守護神伝』は、次の曲へと進行した。

やばい。
足が浮きそうだ。 

時間を細かく刻んだすべての時点で、ロウィンの魔法が、わたしの力を上回ろうとしている。負荷の絶対値だけをとっても、限界の一歩手前であることがわかる。電飾が今度は、もっと広い範囲で点滅した。
この状況で「ハロウィン」が来たら……。

ところが事態は、意外な進展を見せる。

「がんばるわね」冷酷な魔女が、はじめて魔法以外の言葉を発したのだ。
余裕はない。だけどわたしは、彼女の顔にかろうじてピントを合わせる。魔女は微かに笑っていた。
そして彼女の次の言葉は、絶望、あるいは激しい呪いを思わせるものだった。「いっそのこと楽にしてあげる」
彼女は唱える。
わたしは目をつむる。

が、
「――キーパー・オブ・ザ・セブンキーズ」
え――?

六曲目「フューチャー・ワールド」の次の魔法――、それは、問題の七曲目ではなく、アルバムラストの八曲目でもなく、次のディスクである『守護神伝・第二章』へと飛び、そのなかでも、コンセプトアルバムのハイライトとなる超大作、「キーパー・オブ・ザ・セブンキーズ」にまで飛んだのだ。

第一章の「序章」から数えれば十七曲目となる。スピードこそないが、壮大かつ重厚なメタル組曲で、バンドの力の限りを尽くした、十三分半にも及ぶ超大作。その質量は計り知れない。
絶望、激しい呪い……、うなずける。

だが、そのときに浮かんだわたしの感情は、魔女ロウィンの、まったく予期しなかったものだったろう。
彼女が与えようとした絶望の、まったく逆の感情。

ほんとうは彼女は、ただ最大の魔法を使おうとしただけなのかもしれない。順に魔法を使って、わたしが慣れることを危惧してか、敵のわたしに、敬意を表してのことなのか、理由はいろいろ考えられる。

だけどこのときのわたしは、「ハロウィン」を選択しなかったロウィンが、自分自身から目を背けたように感じたのだ。そして、勝てる、と。自分と向き合うこともできない人間に、負けはしない、と。

アイアン・メイデン。それは、わたしがわたしらしくあるための魔法。失敗も後悔も、迷いも出会いも選択も、すべてを肯定するための願い。わたしの大切な人が教えてくれたこと。

「アイアン・メイデン!」
「キーパー・オブ・ザ・セブンキーズ!」
うおおおお!
斜め上方、イベント用の電飾が激しく光り、さらには、円を描くようにして広がっていく。赤、白、緑……、そのいくつかが割れる音がした。

「アイアン・メイデン! アイアン・メイデン! アイアン・メイデン!」熱狂の名演のフレーズを、何度も何度も繰り返す。

ロウィンの多彩な攻撃に比べたら、わたしの魔法は力まかせにぐいぐい押すだけ。馬鹿のひとつ覚えみたいだ。それでもあえて言う。シンプルな力強さは、ときに何にも勝る。感動することに理屈はいらない。ただ衝動に突き動かされ、頭を大きく振れればいい。それがメタル。ヘッドバンガーとはそういう意味なのである。ただそれだけ――。

電飾の輝きは強さを増し、同時に、次々とガラスの吹き飛ぶ音がする。が、それも突然とまる。
アイアン・メイデン、アイアン・メイデン、メイデン……。

周囲のノイズの他には、わたしの声だけがあった。そこにオズの呼びかける声が聞こえる。
拳を下げ、空を見る。ふーーと息をつく。そして思った。
ああ、電飾の色はクリスマスカラーか――。

○  ○  ○

戦いの途中、通行人が立ち止まってこちらを見たり、そのうち何人かは、心配そうにこちらに近づいてきたらしい。オズが必死にベンチから、なんでもありませんから、と両手で押し返す仕草をしていたとか。

それもそうだな……、さぞ不思議な喧嘩に見えたことだろう。さらに背後では、電飾まで点滅して目立つことこの上ない。
立会人であるオズによれば、最後、ロウィンは、後ろ向きに豪快に吹き飛んだそうだ。彼女が仰向けに倒れていた位置は、たしかに、わたしから不自然な距離があった。

「メイデン、起きた、起きた」オズが呼ぶ。
満身創痍のわたしはベンチの上で休ませてもらい、道端のロウィンには、しばらく様子を見ようと、オズが付き添っていたのだ。決着が長引いたぶん、敗者の引き受けた魔力は大きかった。

「……気絶していたのか」ロウィンはなお変わらない調子で話す。「はじめてだな」
「おい、動けるか」オズが手を貸そうとする。
「いい」魔女がゆっくりと身体を動かす。そして、上体を半分ほど起こした状態で、視線の先のわたしに問いかける。「最強の魔法少女、おまえの望みはなんだ」
言われるまでもなく、わたしはベンチで考えていた。答えがすっと出たことに、自分自身驚いたが、おそらくこれが正解なのだろう。

今、その答えを口にする。
「わたし、大学に戻ります」
「おい、メイデン。それじゃ」
「ただし」とさえぎり、少し間をあけた。沈黙ののち、
「わたし、約束したんです。ハルキにジャズを聴くって」
「は」
「はあ!」
二人の魔法少女が同時に声をあげた。

わたしは続ける。「別にメタルじゃなくてもいいじゃないですか。好きな音楽を聴けば。それで、たまたまメタルを好きになった人が魔法少女になればいいんです」
それを聞いて、ロウィンは少し考えている様子だった。むろん彼女は、拒否する権利がないことをわきまえている。断れば、わたしが魔法少女研究会を解散させる可能性も。
「……まあ、結果的に、いい魔法少女が現われるかもね」

そこにオズがむずかしい顔をして言う。「けど、それじゃあ、魔法少女っていうより、ただの音楽好きの集まりじゃねえか?」
「魔法少女はまあ、裏設定ってことで」
わたしは立ち上がり、ベンチの前の段差を下りた。

茫然としてわたしを見る中腰のオズ。彼女のそばのロウィン。彼女たちを通りすぎる。
それから知らない他人をよけて、通路をむこうの端まで歩いた。
そうして手すりに両手をつく。
涙がでそうだった。

あんなに空虚だったこの街の景色が、夜を彩る高層ビルの姿が、生まれ変わったわたしの目にとても鮮やかだった。

わたしの住む世界は、こんなに、こんなに美しかったのだ。

(了)

===
【おまけ】
ハロウィン「守護神伝」

【作者コメント】
読了いただきまして本当にありがとうございました!
最後にほのかについて語ります。
ほのかは自分では性格が歪んでしまったと言うけれど、きっと最初からいい子だったんじゃないかと思います(記事のイメージ画像は大学時代のほのかさん)。彼女にはこの曲を送りたい。メタルナンバーではないけれど。

わたしは、ほのかが大好きです。作者とはいえ、勝手に未来を決めることはできませんが、将来、メガネをかけた優しい男性と結婚する気がします。ふたりの間には男の子がひとりいて、3人で仲良くポケモンカードでもしているのではないでしょうか。どうか雪崩のような幸せが君に訪れますように。

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